息子の誕生日。彼は日中はずっと部活。妻が弁当をつくって送ってゆく。晩ごはんは寿司、ケーキはメロンのショートケーキをご所望。プレゼントはすでに自転車を買って4月から中学校に乗っていっている。
娘たち二人はそれぞれ、手紙とプレゼントを用意している。自分のときはもらっていない長女、普段は悪態をつかれたり冷たくされているけど、そういう気持ちになるのが妹なのか。感心する。次女は長女のときと同様の手紙を書いているもよう。
午前に図書館に妻と娘たちとでるので、家にぼくとマル二人になる。息子に『ハイキュー』の単行本が入る棚を、こないだのテレビ台の端材でつくることにする。ぼくからの誕生日プレゼントである。ご近所さんからまた工具を貸してもらう。電動工具に慣れたらもうノコギリ、紙やすりには戻れない。文明の利器とはやはりすごいものだ。端材だけで3時間程度で棚ができる。残っていたマホガニーの水性塗料も塗って、はなれの部屋になじむちょうどいい風合いになる。ついでに木製建具のカンナがけしたところや、ネズミに齧られていたところをレタッチする。さらに端材でマル関連の道具を置く小さな台を2つ。日曜大工はいい趣味になった。自分でつくったものは愛着もあるし、既製品を買うよりぜんぜんよい。そして無心になれて面白い。
息子との会話は減った。人は風呂と寝る前に本音を語るそうだ。その2つとももう彼は一人の時間だから、無理もない。重なるところが少ない。部活とゲームが彼の生活の中心にある。
妻は娘と午後、息子の部活の練習試合を見学に行っていた。2軍どおしの試合にはちょこっと出ていたそうだ。
回転寿司ではブリやらマグロやら鉄火巻、いつものラインナップをたらふく頼む。おそらく会計の半分くらいは彼だ。ぼくは行く前におにぎりを3つ、わさびまきとイカで腹を満たす。これからはこうしないと破産する。
家にかえってケーキをみんなで食べる。マルを抱っこしているとき、上機嫌で写真にピースする。マルもご飯を食べる。
ろうそくの火を消したあと、娘たちからがそれぞれプレゼントと手紙を渡す。
読んで「ありがとね」とはにかんでいる。長女からはペン、次女からはノート。次女がいらないスーパーボールもあげると息子に渡すが、息子も「いらない」と断っている。
「スーパーボールもらって喜ぶ14歳はおらんやろ」
長女から的確なりアクション。次女は返されても困るからそっとぼくのところにきて、ぼくのズボンのポケットに入れてくる。
彼は妹の誕生日に自然体でいけばなにもしないだろうから、ぼくからは「大人になって、妹とご飯食べるときはおごってやれ」とお願いする。本人はそんな金がないと不安そうである。金の多寡ではない。それは気持ちの問題だ。プレゼントをもらう、自分はそれをやらないなら、そういうかたちで返せ。吉野家でも自作の焼きそばでもよい。これは遺言のひとつだ。リーダーたる兄の矜持をもち、意地を見せろ。
その話をすると、すかさず「おごってもらった?」
妻に前例を尋ねている。
「もらったよ。学生のとき」
妻が当然のように応える。
特にぼくからは言葉は伝えていない。言っても伝わらない。しかし、父としては日曜大工をしながら彼のために棚をつくっているとき、彼のことをずっと考えている。そのくらいでいい。もう父など中心に必要ない。小さいときに近くで遠心力をかけながらぐんぐん、たっぷり回して社会に放ったのだから、その分遠くに飛んでいくのだ。これからはそれを見守るだけだ。
釘を打ちながら、釘と似ていると思った。釘は、最初の段階が肝心だ。どこに打つか。鉛直にまっすぐなっているか。そこを間違えると修正することはむずかしい。逆にそれがきちんと極まれば、あとは意図的に横から頭をひん曲げるようなことがないかぎり、たいていは学校の先生なり、誰がやっても、重力に逆らわずトントン打てば埋まっていく。親は横からひん曲げようとするやっかいなケースがないかを用心するくらいだ。
完成した棚の裏側に油性マジックで一応メッセージを書いておいた。きっとずっと気づかないであろう、それはそれでいい。
ひたむきにがんばる爽快なバレー青春マンガ、『ハイキュー』を読んで、これを面白いとおもう子なら、大丈夫かという気になれた。娘たちの善意を受け止めて、ちゃんとお礼もいっていたし。まだぼくが中学校の頃に比べたら家でも口を開くし、素直だ。ぼくのころの『スラムダンク』のように、部活の青春の時間に『ハイキュー』のような傑作があることは幸せなことだ。目標にむかって仲間とかんばる経験を部活でやるのだろう。自分で何がしたいか考えて、青春を謳歌すればいい。
14年前の22時55分。彼はこの世に生まれた。14年後も、彼も家族もみんな元気で、楽しそうで。おかげさまで充分幸せな誕生日であった。感謝である。
深夜、『ハイキュー』を全巻読了。多彩なキャラクター、視点がすべてのキャラクターの中に入り込む多主体のストーリー。鳥肌がたった。ときどき泣いた。夢中になって読んだ。初めて息子がこの本に出会ったのはまだ小学生のとき、耳鼻科の本棚だった。以来、耳鼻科の待ち時間が長い方が喜ぶようになった。執念で全巻買うご褒美にこぎつけて、いまバレー部。貸してくれて、息子よ、ありがとう。