お礼

長女の誕生日、彼女の父方の祖父からお祝い届く。何も言わなかったけど「パパ、送っといて」と手渡されたくまのプーさんの絵葉書。お礼と近況が書いてある。ホラー映画にハマっていることも。自分からちゃんと筆をとった。たいしたものだし、うれしい。

お礼の手紙は、いつの時代でも人間関係を築く基本。安藤先生から学んだこと。怠ることなかれ。

コーヒー

オムライス食べた帰り。同じビルにあるスタバでコーヒーを買いたかったが、「本日2杯目」のレシートをもう一つの車に置き去りにしたために、できなかった。家を出て車に乗ったときわかっていたけど、その場で取りに行く手間を面倒におもって諦めた。

家に着いて、車を乗り換えてスタバに買いにいこうか。そうおもって時間を確認したら、あと6分で閉店で間に合わず。家のコーヒーは今朝尽きて、淹れることもできない。

再度諦めたら、この一連を聞いていた長女。こたつでぼーっとしてるぼくに「パパ、はい」とインスタントコーヒーを一杯つくって、持ってきてくれた。彼女の誕生祝いのディナーのあと、成長感じる優しさ。心温まった。

カウンセリング

「パパ、公務員の仕事、楽しい?友だちいる?誇りをもってる?ほかの仕事したら?」(次女)

夜寝る前にぼくがこたつにいたら。歯医者にいって、なんか言われたみたい。

「パパのたいへんそうな顔みてたら、わたし公務員になりたいと思わないな」

「他の仕事をしてというのは、お金のこともあるけどね」

いかにも、気を使ってる顔をしている。

友だちも、いない。気が合うと思えた二人は、すでにこの職場を去った。もちろん、鏡のような素晴らしい奉仕者も、いる。ぼくは、所詮中途半端である。

「公務員の仕事は本来大事で尊いものだとおもうけど、『意味』を考えちゃう人は、つらくなるから、やめた方がいいよ。あと、がんばる人とがんばらない人で、お金も出世も変わらないから、がんばったからといって、報われないし、がんばらない人もたくさんいるから、その人たちとも一緒に仕事をしなくちゃいけないよ」

親として、彼女はならない方がいいと直感する。人の気持ちに寄り添える分、歯痒さばかりを感じてつらくなることが想像つく。変わるところも出てくるけど、組織の仕組みはまだまだ変わらないだろう。だから、正直に伝えた。端的にいえば、やりがいよりも100倍くらい、歯痒さとみじめさを日々感じるのである。その先にあるのが身分の安定だけ、でよしとするのか。自らに問いかけねばならぬ。彼女にはもっと向いている仕事はあるはずだと思うのだ。

もっとも、公務員といっても、いろいろある。これは事務方の話。スペシャリストの職種なら、また別の話しだし、ぼくにはわからない。

彼女はぼくが地方公務員の仕事をしてる時期しか知らない。そのむかし、エネルギッシュに、心許す仲間といきいきとしていたころのこと、伝えきいているのかもしれない。しきりに「戻ったら?」と勧めてくれた。子どもたちのことも、知らず知らず迷わせてるようだ。向いてないと思う仕事には、就いてはいけない。なまじっか中途半端に処理能力があると、好きなようにこき使われるだけ。器用貧乏というやつ。

そのあたりの微妙さが子どもに伝わるのも、反面教師としてはよかろう。世界は広い。元気にやりがい感じて働ける職、がんばりを歓迎して認められる環境をみつける、あるいは自分でつくって、のびのび社会に貢献してほしい。

こたつ改良

「ここに、棒が立ってたらいい」

こたつの天板の四隅に柱のように棒が立っていて、天板を浮かせて固定できるようになっていれば、布団と天板の間に隙間ができる。そこにいまこたつの上に載っているもろもろの雑品がしまえてスッキリすると。

次女の提案。

ほめつつ、「棒と布団はどうなってるの?穴開けるのかな。布団がずれて棒に引っ張られたらやぶれないかな」と細かいとこ気になるわるいくせ。

「大丈夫でしょ」

穴の周りの布を補強する絵がみえているようだった。

小人

カラフルなゴムの小人。両手両足の先にマグネットがついている。お互いをくっつけあう。久しぶりにそれで次女が遊び、「このくらいになれたらいいのに。もっと小さくてもいい」と小人になりたい願望。前も聞いたな。スイカの中に入って、お腹いっぱい食べられるから、と。

12歳

長女12歳の誕生日。桜の綺麗なときに生まれた。彼女も家族もあわただしく、写真がとれなかった。初めてのことだ。ケーキも、彼女が食べたいディナーもお預け。

無理やり仕事を早く切り上げて、トランポリンに送る。前日の朝、「明日、トランポリンに行ける?」と尋ねた彼女。妻が用事あって「送れない」と伝えたら、むくれながら家を出ていた。誕生日にそれはかわいそうがから、ぼくが願いを叶えることにした。

トランポリンの間に、甘いものを買ってあげようとたい焼きをかった。次女の分。もめるのがいやだから、あんこを2つにして、カマンベールチーズのやつは選択しなかった。

トランポリンが終わってたい焼きを渡すと「何味?」と聞いてくる。あんこ味を伝えたら「いらない。チーズがよい」と断られた。一つを次女に渡して、もう一つをぼくが食べる。空振り。

そのまま英語教室に送る。「シュークリームでも買う?」と聞けば「うん」と前向き。道中。気分が変わって「ファミチキが食べたい」と要望を変更。はじめてのことだ。どこで覚えたのか。ちょうどファミマが通り道にあるので寄る。ファミチキは1つにする。200円ちょっと。長女に渡すとすかさず次女が「一口ちょうだい」とねだる。渋々長女は渡す。

長女が食べているとき、次女が「私も、唐揚げ食べたい。ファミチキみたいなの」とリクエスト。

「英語まで時間あるから、ゆっくり向かって」と長女。

「お腹すいたから、早くいって」と次女。

英語教室につく。結局数分前到着のオンタイム。長女をおろしたあと、近くの唐揚げ屋によって90円の小さな唐揚げを買ってやり、次女の欲を満たしてやる。一口サイズだが、満足していたようだ。

学校から帰宅した息子を塾に送り、その足で英語を迎えに行く。家について、妻のつくったカレーを食べたあと、旅人算の算数の宿題のプリント。合っているか見てほしいとみて、間違った問題を指摘すると「わからない」と機嫌が悪くなる。さすがに疲れているのだろう。ブーブーいいながら妻に優しく誘導されながら正解にたどりついたようだ。ぼくはイライラを助長しないように何も言わず、構わないでおく。

セカオワが出た歌番組をみていたら、機嫌が回復してくる。彼女が関心を示していた、ぼくが最も好きなホラー映画「シャイニング」のトレーラーも見せる。「今度観る」と前向き。

22時半過ぎ。眠くなり、「足もんで」と寝床へ。次女もついてくる。左手で長女の足、右手で次女の足をそれぞれもみながら、寝かしつけ。いつものように、しばらくしたらビクっと身体が動いて、寝付く。

今朝の、出勤のとき。車で聴いた音楽は、たまたまシャッフルで出てきた関取花ちゃんの『むすめ』だった。これはぼくと彼女にとって、特別な曲だ。彼女が2歳か3歳のとき、みなかみのNew Accoustic Campに行った。まだメジャー・デビューする前の花ちゃんが来ていて、彼女を肩車しながら聴いた。いつか、歌詞にあるような日がくるのだろうか。あのときはまったく想像がつかなかった。だけど、娘を持つ父になったからこそ、感じ入るものがあって、大好きになった。その後、この街であったライブハウスでの単独ライブにも、彼女と二人で行った。子どもは彼女だけだった。帰りしな、花ちゃんにCDのサインをしてもらうとき、みなかみのときのことを伝えたり。

誕生日に合わせてドンピシャでシャッフルしてくるとは、オーディオプレーヤーも粋なことをする。

肩車や抱っこをしていたときの思い出が蘇る。二人で早朝のバードウォッチングのイベントにいって、鳴き声だけきいて、みつけられなかったやつとか。そういうえば、最近彼女が泣いたところを見ていない。むかしは「アブブ」とぼくらが呼んでいた、思いどおりいかないとき、泣きじゃくる時間がしばしばあったのにな。

いま、妻とほとんど変わらないくらいの身長になった。歌詞がひたひたと現実味を帯びてきた。

「今度、何食べたい?オムライス?」

「うん」

これはまだ空振りはしなかった。

プレゼントもまた改めて。ちゃんとしたiPodをご所望。