抱き枕

長女が寝床を変えて、マルのそば、ヨギボーの上でねはじめた。もともとの寝床のベイマックス、いつも抱きしめているやつは置いてきたが、代わりにプーさんとイヌのゴウタと白熊のコンピューロボの三つを抱いている。その三つで大きさとしてベイマックス相当になるそうで、落ち着くようだ。マルのそばで寝たいのか。体幹が悪くならないか心配すると「なんてま?もともと体幹いいから、普通になるくらいだろ」とのこと。

手紙

子どもたちが、ぼくの父へそれぞれ手紙を書いた。感謝とともに。娘たちは最後「だいすきだよ」で締めている。息子は目指す進路について触れている。娘たちはそれぞれ2枚、息子は1枚。息子はいつものようにせいぜい抽象的な数行かとおもったが、具体的に時間をかけて目一杯書いていた。手を動かし、気持ちをしたためたこと、褒めてあげたい。

社会人になって、よくわかる。手紙で感謝の気持ちを伝えることができる人は、例外なく信頼関係を築き、ちゃんと仕事をしている人だ。LINEより、手紙のほうがいろいろ伝わる。若い頃、安藤先生から学んだこと。歳を取ればとるほど、デジタル化が進むほど、より実感している。

ぼくら

ぼくらシリーズ。7日間戦争。借りて長女は途中で興味なくしていた。次女はまだ読んでいる。「ポリ公」、「スケ番」って何?と聞いてくる。ぼくの小学生の頃の話。

この本が世に出た頃から、時代少しずつ変わってきた。暴力教師はほぼ絶滅した。公立の学校では理不尽で強権的なルールは依然残っている。とはいえ、動機にリアリティを感じない反抗の仕方、ぼくがリアルタイムで感じていた小学生のころの共感はないと思われ、想像する世界なのだろう。個性は認められず、団体の統率が優先。窮屈で締め付けられていたからこそ、忍耐力もつき、力が出るんだ、という理屈。国が成長した成功体験がある団塊の世代はよくそう主張する。わからなくもない部分もあるけど、その方針だけが正しいということもないことがわかったのが現在。もう少しして世代が変わりきったら、再び締め付けましょう、という流れもまた出てくるのかしら。

お役目

次女。今月でクラスのホームルーム委員のお役目おわる。後期は卒業生を送る会の委員になったそう。姉を送る役。クラブはダンスに入ったみたい。夜寝るときと、朝の学校へ送る車中で。

失恋

娘たちへ。もし、君たちが大きくなって、大きな失恋をして、この世に希望が持てないくらい悲しい気持ちになったとき、よしもとばななさんの『デッドエンドの思い出』をお勧めします。大丈夫だよ。

次女にはさっき伝えておいた。利賀村にて。

あかり

「なんか描くものない?」

イサムノグチのAKARIと、装飾的なペンダントライトがそれぞれぶら下がった利賀村茅葺き屋根の古民家。照明が隠れてぼんやり照らす前者と、むきだしの後者。インスピレーションを受けたみたいで、ぼくがペンとポストイットを渡すとそくにスケッチしはじめる。両者の間のような、丸い板が三枚、上下真ん中に照明を囲むU形。

Fritz Hansenに似たようなのがあったなと検索してみせてあげる。吸収して、発想して。いい循環だなぁ。