ふと。息子がまだ小さかった頃、週末の朝、ドラゴンボールのアニメをみたいからと毎週末、坂を降りて友達の家にお邪魔して、30分見て戻ってくるというのをやってたな。我が家にテレビがないから。自転車でいってたような。一人でいって、帰ってくる小さな旅。まだスマホから縁遠かったころの、イノセントな時期。友人宅のご両親も、寛容に受け入れてくれて、お世話になった。親子でいること、一緒に遊ぶことが当たり前だった時期。この記憶だって、スマホの出してくれた写真がきっかけで蘇るわけで。古いアルバムめくり、が憧れなんだけどな。
囲まれる
また家を発つちょっと前、食卓での時間。背中の紐を引っ張っても、話さなくなったウッディのぬいぐるみの電池を変えようと、小さなネジを探して、電池ケースを開けようと四苦八苦する次女を助ける。右ネジの回し方の向きがピンとこないらいしから教えるが、逆に回す。確かに右手で示しても、逆に見えることもあるか。
無事に開いて、新しい単四電池を入れたら、元気に「俺の帽子どこだ?」と話始めて、次女嬉しそう。
同時に、目の前のパソコンで楽譜を調べて、長女がリコーダーを吹いている。
「何の曲かわかる?」
アナ雪、ユーミン、リトルマーメイド。たどたどしいが、一部分はちゃんとメロディになったり。肝心なところで音が外れて、それに合わせてずっこけると、吹き出す。
「こけないでよ」
ほんの10分程度だったが、幸せな時間であった。
駅まで妻と彼女たちに送ってもらって、降車時にタッチする。降りたあとも、こっちのほうを向いて手をふりながら、走り去っていった。
かつて戦場に向かう父たちは、次また会えるとも分からない中、自らを奮い立たせて、国のために命をかけた。
寂しさ、いかばかりだったか。慮る範囲をこえている。その覚悟に比べたら、自分の別れは生温いものでしかないけれども、それでも、堪えるものがある。長くは一緒にいられない道を自分で選んだ以上、日々この瞬間に感謝して、ありがたい一瞬をつかみとって、少しでも積み重ねていくしかない。避けられない天災や事故ははあるのだし。
振り出しにもどる
庭に大きな樹のある家に住むのが夢であった。でも新興住宅地の我が家にはない。
10年前、庭に植えた木々が、毎年少しずつ大きくなってきたことがうれしく、楽しみだった。「見上げる」という行為が好きだ。
そろそろ高所が生い茂り、隣家にも影響あるからと剪定が必要となった。検索して、ある事業者のホームページから申込んだ。これが大失敗だった。
無惨に大きな幹も容赦なく切り刻まれた。剪定ではなく、伐採だ。
朝、作業員が着手するとき、嫌な予感がした。この人は、「職人」ではないのではないかと。
出勤のバスの中。戻ることもできず、作業に水さすのもいやなので、信じて電話もしなかった。
まさか、一番の幹は切らないだろうと。枝振りは、きちんと残してくれるだろうと。
妻から写真が送られてきたのは、無惨に切り刻まれた、低い枝しかないロシアンオリーブオイルや紅葉たちの写真。植木鉢のようなサイズ。大事な家族が、暴行にあった気分。植物を仕事にしている人が、なんでそんな残酷なことができるのだろう。理解に苦しむが、先方からすれば、こちらの望んだとおりにやったつもりなのだろう。
この10年、自然な樹形を残しながら自分で剪定してきた時間が全て無駄になってしまった。息子が小さいときにどんぐりから育てた木も、5メートルくらいになっていた。メルも、木陰によくいたものだ。
ぼくの一生では、この木たちが大木になることはないが、孫のその孫くらいには、大きな樹のある土地になってくれたらと願いながら。
やり場のない怒りと悔しさと情けなさに震えている。自分の発注のいたらなさ。以前、香山先生と名勝の庭をみたとき、一般の松に関心されていた。庭の木とは、植木職人の腕もさることながら、「亭主が切るところを見ながら、『ここを切れ』とディレクションしていくものなんだ」。見事な木とは、そのディレクションが素晴らしいと。
植木職人に憧れがあった絶望は大きい。決して値段は安くない。
子どもたちよ。植木職人しかり、職人さんは、自分の思いを丁寧に汲み取ってくれる腕のある方を、惜しまずちゃんと選ぼう。オーナーとして、ディレクションしよう。出来上がってみて、「思ってたのとは違う」とがっかりすることにならないように。
作業員から、「確認した」と電話してといわれていたから、かける。それがないと請求できないからと。感情を遮断して、「確認した」とだけ機械的に言葉を発して、とっとと電話を切る。泣き寝入りするしかない。木は戻らないのだから。
老後、あの木がどこまで育つのか、みるのが楽しみだったのになぁ。悲しくて、何も手につかない。木々に申し訳なくて、見るのがつらくて家に、帰りたくない。
父は庭に、大きな木は残そうとがんばったんだ。木は強い。切断された幹から、根が水を吸い続け、日々枝を伸ばそうとするのだろう。こんなことをされても、木は沈黙し、またひたむきに生きようとする。なんて美しいのだろう。そういえば、いまのぼくもこのような状態なのかもしれない。見習って一緒に、再生したい。
中庭の紅葉だけ、作業させなかった。我が家の最初からの生え抜きは、この1本だけになってしまったが、残ったものがあるのは救いだ。忙しくて遠隔操作。現地にいて寄り添わないからこうなる。高くついたが、これも、勉強代。
ファンクラブ
珍しく長女発信のビデオ通話。
「電話して」
コールバックしたら「スノーマンのファンクラブ、入っていい?」
「入ったら何がいいことあるの?」
「ライブに行ける」
ドームツアーがあるらしい。拒否権があるわけもなく、承諾する。
「そのための電話だろ」
図星の破顔。妻からぼくに聞け、といわれたのだろう。「いいよ」というと、ウキウキ嬉しそう。
「そんなことないよ。パパと話したくて。こればガチ」
「でも、もう電話切ってもいいかなと思ってるだろ」
再びはにかむ。
長女、いろいろがんばってるみたいだし、それで喜ぶなら父としては会費を稼ぐために働くのみ。
「連絡あるときは、お金ほしいときだけ」
数々の人生の先輩から聞いてきた言葉。
今日から二月期。実力テストがあるから、気が重そうだった。元気に育ってくれればそれで十分。