カウンセリング

「パパ、公務員の仕事、楽しい?友だちいる?誇りをもってる?ほかの仕事したら?」(次女)

夜寝る前にぼくがこたつにいたら。歯医者にいって、なんか言われたみたい。

「パパのたいへんそうな顔みてたら、わたし公務員になりたいと思わないな」

「他の仕事をしてというのは、お金のこともあるけどね」

いかにも、気を使ってる顔をしている。

友だちも、いない。気が合うと思えた二人は、すでにこの職場を去った。もちろん、鏡のような素晴らしい奉仕者も、いる。ぼくは、所詮中途半端である。

「公務員の仕事は本来大事で尊いものだとおもうけど、『意味』を考えちゃう人は、つらくなるから、やめた方がいいよ。あと、がんばる人とがんばらない人で、お金も出世も変わらないから、がんばったからといって、報われないし、がんばらない人もたくさんいるから、その人たちとも一緒に仕事をしなくちゃいけないよ」

親として、彼女はならない方がいいと直感する。人の気持ちに寄り添える分、歯痒さばかりを感じてつらくなることが想像つく。変わるところも出てくるけど、組織の仕組みはまだまだ変わらないだろう。だから、正直に伝えた。端的にいえば、やりがいよりも100倍くらい、歯痒さとみじめさを日々感じるのである。その先にあるのが身分の安定だけ、でよしとするのか。自らに問いかけねばならぬ。彼女にはもっと向いている仕事はあるはずだと思うのだ。

もっとも、公務員といっても、いろいろある。これは事務方の話。スペシャリストの職種なら、また別の話しだし、ぼくにはわからない。

彼女はぼくが地方公務員の仕事をしてる時期しか知らない。そのむかし、エネルギッシュに、心許す仲間といきいきとしていたころのこと、伝えきいているのかもしれない。しきりに「戻ったら?」と勧めてくれた。子どもたちのことも、知らず知らず迷わせてるようだ。向いてないと思う仕事には、就いてはいけない。なまじっか中途半端に処理能力があると、好きなようにこき使われるだけ。器用貧乏というやつ。

そのあたりの微妙さが子どもに伝わるのも、反面教師としてはよかろう。世界は広い。元気にやりがい感じて働ける職、がんばりを歓迎して認められる環境をみつける、あるいは自分でつくって、のびのび社会に貢献してほしい。