甲斐性

ぼくは、情けないことに家族を経済的に十分やしなう稼ぎを得られてない。この歳にもなって、つくづく無力さに嫌になるが、副業もできずほかで生計を立つこともできない。かつて、育児や家事もできた期間を与えられたことは人生において喜ばしい宝物になったが、はていざ働けども、生計は真っ赤っかの赤字である。かといって、仕事をダラダラするのは国賊だとおもうし、そもそも性に合わない。ダラダラと仕事の遅い者、質の低い仕事をする者のほうが、稼ぎが多い。この制度、ほとほと理解に苦しむが、屈したくもない。だれからもそこまで求めてないことをかってにやろうとして、たいへんになって、もがくことを繰り返している。かといって、水準をさげてことなかれ、で済ませばそれこそ存在意義はない。外部から入った身だからできることを見つけて、なるべく役にたたないと税金をもらう資格はない。

長く勤めるほど、公務員の給与体系は退職金を考えても有利らしい。若い頃のがんばりは、ダラダラ過ごす老年期に返ってくるというものだ。そんな人質のようなシステムに甘んじて残りの人生を売るのはごめんだ。そのシステムが、居座る怠惰な年長者の溜まり場をつくり、天下りのシステムを存続させる。そう批判しておいて、自分がその道をゆくのはだれよりも恥ずかしい。

もう貯金もない。この春の人事がどうなるかで、背に腹は変えられぬ、家族を養えるように、そろそろ路線を変えることも視野にいれなくてはならないのかもしれない。「役に立ったし、少しは税金もらってもいいかな」と自分が納得できる今のうちに去るべきな気がする。

だだぼくは、この9年間の仕事を通して、全体の奉仕者である公務員に与えられたミッションは素晴らしいと思うし、眠っているだけで、可能性はまだまだある。生業としてやることは誇りでやりがいもある。やっていることは日々地味ではあるが。気に食わないのは人事制度や、それに甘んじて、思考せずダラダラしている一部の組織、なんでも事勿れで済ませようとする可能性を潰す風土なのだ。

父と母は小さな自営業で、二人だけでがむしゃらなら働き、生計をたて、ぼくを育ててくれた。つくづく、親の偉大さを痛感する。悔しいが、なにもかも足元にも及ばない。

アメリカに留学した医師の古い友人二人は、日本では稼ぎがもちろんいい方だけど、あちらでは生活保護の対象の年収になるという。同じ仕事をしてるアメリカの医師の年収は5倍。経済成長しつづけている国と、停滞した国の違い。日本の大学で最先端の研究をする医師たちがこうだ。さすがに、職業をつく国を間違えたと、嘆いていた。かといって、開業医になることは選ばない。

それにしても、彼らとは高校や浪人までは同じ環境にいたわけなのだが、彼らがなげく年収の、さらにぼくは半分くらいの年収である。事務屋の給与なんざ、そんなもので当たり前、いやむしろまだもらいすぎてありがたがらねばならない。医師は命を救う。尊さがちがう。妻の仕事だって、よっぽど尊い。誤ったとすれば道の選択だ。この差をなげくなら、はなから道を間違えたことが原因だ。たいして努力をできないにもかかわらず、変に夢を見てしまった代償だ。だったら道を変えるか、どうか。両親はどう思っているのか。勝手にお前が決めたんだろ、という話だろうけど、ちゃんと育てたにもかかわらず、家族を養えない大人になってしまい、親不孝してるなという罪悪感がある。そして若い頃のぼくと今のぼくが会ったら、税金でかのようにブーブーいいつつ耐えながら生きていることをだれよりも軽蔑するだろう。自分が、だれよりも自分を許せないのである。

 

これから尊敬してやまない先生と会う。先生とはこの人生を選択したからこそ出会えた。会うたびに希望を与えられる。お金で得られないものも、得た。再会するにあたり、座右の書というべき先生の本を2冊再読し、心を整える。

上の友人たちはそれでも、帰国したら日本の最先端で踏ん張り続けつもりだという。立派だ。

この道を歩んできて、気の置けない仲になった友人は、みな頑張る、努力を惜しまない人たちであることに気づく。だれひとり、ダラダラしていない。頑張ることの美しさ、生きることの充足はそれを通して得られることを思い出させてくれる。かけがえのない存在だ。その分一番ダラダラしているぼくが、恥ずかしくなる。友人たちも、ハガユイようだ。

人生においてはお金で買えないものほど、大事なのだと子どもたちに言い聞かせているのは、ぼくだ。しかし、かといって彼らにひもじい思いをさせていいものか。沈むことがわかっている国で、どう頑張っていけばいいものか。子どもたちが、自分自身を納得させられる「道」を見つけるようにするにはどうしたものか。苦悶の春。