9歳

次女の誕生日。今日まで従姉妹のおねえちゃんが関東から帰省し、彼女らの祖父母の家にとまていたから、ほとんど今週顔を合わせていない。本人たちは楽しい時間である。

昨日はプールに連れていけというので、一緒にいくが、プールでも姉妹と従姉妹と息子で遊びにいくので、何もすることはない。息子も3人と一緒に何かしら遊んでいる。妹をひっくりかえしたり、浮き輪でひっぱったりして遊んであげているらしい。たいしたものだ。一度、深い2mのプールに息子を誘い、競争する。10m程度。泳ぎ方を忘れたらしい。身長差もあり、まだ勝つ。することがないので、そのあとぼくは50mプールにいき、一人平泳ぎをしてみる。200m泳いでみる。同じプールで、彼らが小さいとき、おんぶしたり、ボートに乗ったりして逐一付き添っていたのがついこないだのようで、もう遠い昔なのだ。次女ももうスイミング1級だし、心配ない。子育てが一段落した感。

プールのあと、彼らは温泉に行き、夜ご飯はショッピングモールの老舗パスタチェーン店に連れていく。次女はカルボナーラを選ぶ。大人の一人分を「食べられる」と豪語して注文したが、案の定半分くらい残る。ぼくが食べてあげる。ぼくが作ったカルボナーラのほうがおいしいという。チーズも薄味だし、ソースの味付けも浅い。マニュアル通り機械的にやっているのだろう。当たり前の差だ。とはいえ、当時は街中にあった店舗で、ぼくは高校時代はじめてカルボナーラなるものを食べた。食べざかりのあのとき。こんな美味しくてお腹にくるパスタがあるのかとありがたかった。

一度ぼくの家に帰宅して、長女と次女はまた祖父母の家に行く。次女が家をでるときに「8歳のあなたはきょうで最後だね、バイバイ」というと、ぼくのところにくる。ギュッと抱きしめる。「明日は、誕生日か」と息子。年頃の息子も、妹の誕生日はちゃんと祝ってあげようという気があるようでほっとする。

今日。昼食時に彼女たちと落ち合う。9歳になった彼女に「おめでとう」をいう。祖父母の家にある『クッキングパパ』を読んで、食べたいメニューをたくさんみつけたという報告。

どらやきって、どうやってつくるの?」

「おいしいりんごが入ったポテトサラダ食べたいのだけど、りんごって、いまもつくってる?いつも我が家が食べているりんごって、なんてやつ?」

昼食はうどんを食べて、そのあとまた別れる。駐車場で息子が「おめでとう」と伝えている。彼女たちは従姉妹が帰るのを見送りにいく。夕食は彼女の希望で大好きなインドカレーを食べにいく。といっても彼女はいつものチーズナンセットでカレーは食べない。注文してから、しげしげとナンが焼かれるところを見る。

家に帰る頃は黄昏時だった。暑さが落ち着いたこともあり、マルを散歩に息子が連れて行く。次女とぼくは自転車に乗ってそれを追いかける。公園で「ブランコをしたい」とそばに自転車を停める。

「もう、産まれてる?何時ころに産まれた?」自転車を停めながら。

日がしずんでからもお構いなしでブランコ。息子とマルも公園にいた。

「おれもやりたい。マルもってて」とぼくにマルをあずけ、息子も隣に。中学生になっても楽しいようだ。思いっきり高くまで漕いでいる。つられて、次女も目一杯。もうぼくに「背中を押して」ともいわない。彼らがこども園のとき、同じこのブランコで何度も背中を押していた。あれももう、昔のことなのだ。

家に帰ってきて、彼女に背中を踏んでもらう。体重が重いほうがぼくが気持ちいいだろうと、プーさんの大きなぬいぐるみを抱えながら踏んでくれる。

20時頃、ケーキを食べる。蝋燭に火をともし、みなでハッピーバースデーを歌う。彼女はチョコを食べない。板チョコに彼女の名前と「9歳おめでとう」と書いたプレート。それを長女がねだる。

「パパは、ホワイトチョコなら好きだから、パパとはんぶんこして」と気遣ってくれる。ぼくが「いいよ、食べな」と促し、長女がまるごと食べる許可が下りる。

長女が学校の家庭の時間が裁縫で、次女の誕生日が近いことを思い出し、次女のためにつくった小さなぬいぐるみをプレゼント。レモンをモチーフにした黄色の綿が入った刺繍で、顔があしらわれている。息子がいうには「次女に似ている」らしい。次女もうれしそうだ。ぼくは「ぎょうざ」というと長女が「は?」という顔をする。「レモン餃子」ということで落ち着く。

次女をシャワーに入れて、ドライヤーをする。

「ママのお腹を切って、産まれてきたんだよ」

「頭でかかったの?」

それは息子。

「そのあとは、お腹を切って産むしかないんだ」

「なんで?」

ドライヤーの合間に算数の本を読む。

「体積って、なに?」

「財布、あってよかったね」

公園に行く間に、ぼくが財布がないと家中を探していたときに、いろいろ心配してくれていた。ドライヤー中に耳を近づけるとそういってくれた。やがて鼻血が出る。同様せず、ティッシュを当てて、やがて「止まった」と落ち着いている。取り乱さない。

お医者さんになることに興味があるそうだ。マッサージしながら、あと何年かかるか尋ねられる。大学は6年あるといったら驚いていた。

お盆に生まれてくれたおかげで、子どもたちが大きくなっても帰省して、彼女の誕生日は家族5人でこうして祝えたらいいなと思う。

学童のビーズ遊びでつくってくれたぼくのイニシャルが入った飾りもの。いまはカバンにかかっている。何かと気にかけてくれる、優しい子に育ってくれてうれしい。

ぼくはカメラで動画を撮影しながら、家族でハッピーバースデーを歌い、ケーキを切り分けて食べるまでの会話の風景をみていた。素朴な、普通の家庭の一コマでしかないが、どんな映画のワンシーンよりも胸を打つ、かけがえのないものに思えた。今日のような、いましかないシーンを目に焼き付けておきたい。夕焼け時に家の近くを散歩して、家族でご飯を食べ、子どもたちが元気に他愛のない会話をする。旅行にいかなくても、贅沢はできなくても、この日常の幸せがあれば、十分だと思えた。