遠征

この3連休、息子ははじめての遠征で家にいなかった。奈良まで。試合には出ない。得点係と球拾いと雑用。それでも本人は楽しかったようだ。弱い朝は同部屋の友だちに起こされたり、先生が背中に座って圧力をかけられたりしたらしい。夜はみんなでテレビでやっていた『コンフィデンスマン』の映画をみたそうだ。

携帯電話もないからやりとりもなく、様子がまったくわからなかったかとにかく無事に返ってきた。妻がひっきりなしに「いまなにしてるかな」と気にして、お迎えの時間には早く向かうし、やはり母であった。こうやって息子が家にいない時間が自然と増え、親もなれてゆくのだろう。

高校サッカーの決勝をテレビでやっていた。ピッチに立っている子は充実しているのはもちろんだろうが、試合に出ないでスタンドから応援する、他の高校に行けばエースになるだろうエリート選手の子たちに感情移入する。競争して、勝ち負けあるだろうが、その経験をどう活かすかはその子次第だ。

「苦労させましょう。」

妻へ顧問の先生からこの間に届いたメールにあった言葉。受験を見据えて塾に缶詰になって先取りで勉強したり、家でひとりyoutubeをみたり、ゲームをしているよりはよい。なぜか。先取り勉強は本当の学問の面白さを教えてくれないから。進学塾の先生が教えていることは機械の製造であって、学問ではない。ゲームは大人がそうなるようにしむけた感情の範囲で泳がされている消費でしかないから。世界を読み解く想像力を養うことができない。

チームのみんながいて、厳しい先生から指導を受けて、清濁合わせ飲みながら壁にぶつかり、苦労し、乗り越え、全身で感じる青春をするほうがよっぽどよかろう。心技体、いずれも鍛え、揃えたほうが長い目で見れば意味がある。将来を保証する決められたレールなどもはやない。人生勝ち続けることもできない。つまづいたとき、うまくいかないとき、ポキンと折れないしなやかな強さを体得してほしい。