息子の母の日

息子が学校から美術館のフリーパスをもらってきたので二人で行く。現代アートなので理解の仕方がわからなさそうで、展示の間をパッとみてはサクサク歩く。公文の友だちが遊びにくるかもしれないから、それも気になって早く帰りたいのかもしれない。車の中でやっていたテトリスをまたやりたいのかもしれない。あまり関心はなさそうだ。とはいえこういうのは空気を吸って身体のどこかに置いておけばよい。むりにわかろうとしなくていい。感じているものはいつか芽がでるはず。

帰りに母の日のカーネーションをイオンに買いに寄る。どれが一番心に残ったか、一応聞いてみる。「ない」と応えるかとおもったが、「赤い階段のやつ」と即答。理由は『キングダム』で、信が死にかけたシーンで同じような階段が出てきたからと。一つでも心に残るものがあれば連れていった甲斐があるというものだ。

ついでに無くなりそうなシャープペンシルの芯も買う。

朝、朝食のときにそれぞれの我が子たちが妻に「ありがとう」を言うように促したら、真っ先に息子が「育ててくれてありがとうございます」と口にした。中学生なのに殊勝なことだ、ぼくは当時できていなかったなと内心感心した。

車中でバレー部の顧問の先生が「何も買う必要はないから、言葉でありがとうを伝えるように」と生徒たちにいっていたそうだ。顧問の先生の影響力とはすごい。もう子どもは親よりも先生だったり友だち、つまり社会に育ててもらう時期なのだと実感いする。そして、我が子たちには母親に直接お礼の言葉を言えるうちに惜しみなく伝えてほしい。ぼくはできなかった。なんで一言がいえなかったのか。ずっと悔やんでいる。

家に帰ったらちょうど友だちが我が家を訪ねてきた。遠くから息子に住所を聞いて自転車でわざわざ来てくれた。うれしそうな息子は家に招き入れ、一緒にぷよぷよテトリスをしたのち、一緒に自転車でどこかにでかけていく。夕暮れまで遊んでいた。

昨日は一人でまた塾の帰りに自転車で公園に行っていつものお気に入りの木に登り、夕焼けをみたそうだ。昨日も今日も夕焼けが実に綺麗だった。来週からは週末も部活なので、ゆっくりした土日の休日はしばらくもうなさそうだ。

たまにはまた一緒に美術館に行きたいものだ。