息子にありがとう

息子は、バレー部で頑張るまで、「勝った」ことがあまりなかったと思う。将棋にしてもテニスにしても、いつも負けて帰ってくる。テニスは可哀想なくらい歯がたたなかった。相手のみんな、ベンチに持って行く鞄やタオルなどもちゃんとしたテニスメーカーのグッズで、息子はタオル一枚とペットボトルだけ。タオルは、彼なりに勝負の日だからと、将棋教室で皆勤賞でもらった将棋盤を印刷したものを選んでいた。ペラペラな、粗品のタオル。でも彼にとっては思い入れがあるもの。コートでは一人。胸がキュンとなった。

部活をはしめ、勉強の成績も順調に急降下。コロナ禍になって、学校からパソコンが配られて、ゲーム三昧。ギガスクールはオンラインゲームの楽しさを学ぶためのものだった。それがたたら、母親の約束を破ってテニスを辞めることになった。その夜中、机に突っ伏して泣いていた。

部活もずっとラインマンや玉拾い。令和になじまないような軍隊のようなスパルタ部活で休みもない。試合に出られるようになったのはようやく3年生が抜けた後。新人戦も負けた決勝のビデオを見返し「おれだけ下手くそだ」と悔しそうだった。練習試合では相手のチームから「セッターがもっと上手かったら負けてました」と言われたこともある。彼は急造セッターだった。やがて、ブロックに転向。

それでも彼はその後も試合に出してもらえたのはブロックの役割だけを期待され、それに応えたかららしい。サーブも上手くなったそうだ。

「この一年、一番伸びた」選手は彼だったと、引退が決まった日、コーチが教えてくれた。

 

さして成功体験もなく、彼はずっと劣等感をもって育ってきたのかもしれない。だけど、部活を耐え抜いて、ブロックだけをやった。

通知簿に並ぶ優勝の文字。圧巻だ。副部長。表彰式ではトロフィーや優勝旗を手にしていた。

小さなころの頼りなく、勝っても悔しそうではない彼からは考えられない努力の証。たくましく育ててもらったものだ。

中学のその成長過程を、ぼくは寄り添えていない。上の話も、実際みたのではなく、妻や保護者から教えてもらったものばかり。寄り添っていたのはその前の弱い彼のときまで。父は絡まないほうがうまくいく。

 

保護者たちとの忘年会があった。その前日、ぼくの高校の小さな同窓会飲み会があった。会ったことは数回しかない保護者会のほうが、数段楽しかった。衝撃的だった。高校で過ごした自分の青春自体のつながりより、息子たちを共有していることのほうが、意味を感じる。昔話や近況報告なんぞ、退屈なだけ。同級生はみな立派だから、キャラクター的に日程やら店を手配するパシリだし、当日もひたすらバカにされるだけで劣等感を感じるだけだし、当日もなぜか一番気を遣って場を盛り上げたり、取り分けたり。相手にとっては便利な奴、こっちにしたら、みじめなだけ。もはや必要ないと思いつつ、いつか子どもが体調わるくなったり、困ったことがあったら役に立つ人間関係だろうから、維持しとこうと我慢する。つまり、こっちは仕事でしかない。

 

一方の保護者忘年会は、楽しい。熱のこもった話題がある。

ある後輩の保護者は、いまもご子息が息子の背中を追いかけているとおっしゃってくれたり、いろいろ褒めてくれる。誇らしい気持ちになる。彼は、家でグダグダでも、部活は頑張っていたんだ。

悔しい最後の敗戦の思いも、みんなが共有している。おかげで、だからこそ、結束も強いし、会った回数が少なくても、深く分かり合える。息子どおしを、深く共有している親のつながり。とてもありがたい。チームスポーツだからも大きい。

息子の親孝行をしみじみとかんじ、翌日、彼に「ありがとう」と伝える。

歯を食いしばりながら努力して、勝負して、チーム勝つ体験をできた中学生活。胸を張れるものになって、よかったじゃないか。自分でつかんだんだ。最後に悔しかったことも、これからの人生、必ず何かしらリベンジできる機会はあるだろうし、また頑張れるはず。あのとき目標達成して、燃え尽きてなくてよかった。そう思えるときがくる。

父の特に記憶のない勉強と気遣いばかりの灰色の中学時代に比べたらどんなに輝いていることか。結局高校のつながりもそんな程度だし、たいした背中なぞ持たない父のアドバイスなんて、もう害でしかない。いらない。なぜ、そうなるのか。我が子だからだ。唯一無二の我が子のことになると、こっちも本気になって、手を抜けないから、彼には重いしうざいことにしかならない。我が子でなければ気楽なのだが、それができない。

これからは惑わされることなく彼が自分で決めて行くのが悔いもなく、一番。たくましくなるためにも、挫折もすればいい。あとは、仏様のお導き。

ぼくとしては、子ども3人に恵まれ、それぞれ元気に育つというお金では買えない宝物を手に入れたわけだから、仏様に感謝しつつ、彼らが仲良く元気にこれからの人生を歩んでくれさえいれば、ほかになにも望むものなどない。