スマホ受験生

いまの受験生はたいへんだ。デフォルトでスマホ中毒だから、スマホに時間と人生と視力を奪われてしまう。塾にいかなくてもスマホが教えてくれるというポジティブな利用すればいいのかもだけど、息子を見てると自分の弱さゆえの逃避所。本人が気づくしかない。気づかないままかもしれない。まぁ、ぼくらの世代のテレビや漫画が置き換わっただけともいえるから大差ないのかもしれない。同じ空間に一緒にいて、それぞれちがう漫画読んで喋らないというあれ。でもなにか、セワシナサがちがう。

少なくとも大人で人前でスマホばっかり見ている人、とくにすぐ検索しようとする人は、どこか信用ならない。あ、そっちの世界いくのね、さよならって思う。

見ない人は泰然としてて、かえってりりしく、スマートにみえるから不思議だ。スマホ以前の世代は地図も読め、段取りもしっかりしてる。セカセカした即時の現地でのやりとりも必要なく、待ち合わせも正確。

スマートは「ホン」に奪われている。ということをスマホで書く切なさ。脱電機体験、大事にしたい。

電気も重機もないときに、ローマ人はパンテオンという無筋コンクリートのドームをつくり、それは1900年たった今も建っている。いま1900年残る建物、造ることはできるのだろうか。技術の進歩ってなんだ。

清潔になり、年中食べるものにも困らず、寿命が延びて、奴隷も禁止された。社会では等しく人間としての尊厳が大事にされるようになった。喜ばしい。でも戦争はなくならないのはなぜなのか。

温暖化、絶滅する動物は増え、砂漠化も進む。海にばら撒かれたプラスチックは生態系を変える。

これらをだれが解決の糸口を見出のか。人間か、AIか。あるいは、神や隕石、天変地異のような、贖うことのできないもっと大きな人間を滅ぼしうる第三の存在か。