来てほしくない日が来てしまった。そしてそういう日は静かに過ぎる。今日は定時のお昼で帰れた。そのまま長女が通う塾の前にいく。妻が車で迎えに行くことになっているが、先に終わって待ちぼうけだろうから自転車で行って拾うことにする。
待っていると玄関先に出てきた。パパなのが意外でさらに車ではない。
「ここから自転車、とおくない?」
戸惑っている。
「ママあとでくるから、先に公園にいこ。」
安心したようだ。近くの神社のわきの公園にいく。広くないがブランコとアーチ型のはしごがある。ブランコは別の友だちがつかっているので、はしごに登る。大きな桜の木が満開だ。はじめてテストで満点をとったこと、ノートの評価がBと上がったことをうれしそうに報告してくれる。
「ママにも教えてあげてね」
「うん」
桜の花びらが一つはしごの下に落ちているのに気づいて、拾う。
「桜の花びら何枚?」とぼく。
「五枚。だけどキクザクラというやつはたくさんあるんだって」
「へぇそうなの。知らないわパパ。おしべとめしべってわかる」
「きいたことある。たぶんこのまわりのがおしべ、真ん中のがめしべ?わかんないおぼえてないや。」
神社の床下にネズミがいそうだとのぞきこんだり、そうこうしているうちに妻の車が来る。長女が乗る。
「お昼ごはん、たべてから帰るわ。」と伝えてぼくは自転車にいこうとする。
「パパと一緒に食べる」と長女。彼女もお腹が減っている。
そういってくれるのもいまのうち。駅ビルの7階にいって、一緒に食べることにする。
長女はピザ、ぼくはパスタのランチ。すでに食べている妻はパンケーキ。3人で食事するのはめずらしい。
「景色がいいね。マンションだったらこういう景色みながら住めるのだけど、どう?」
「やだ。家がいい。」と長女。
「いいね」というとおもいきや、予想外の即答であった。
ペットが飼えないのがいやらしい。友だちのマンションは金魚も飼えないのだと教えてくれた。
マンションで育った人は、大人になったら一軒家がいやだという話はけっこう聞く。一方、一軒家で育った人マンションがいやだという話はあまり聞かない。だからけっこううれしい。一軒家は機能を超えたルーズさがもたらす魅力があるんだ。
いつになく長女はニコニコいていて、おしゃべりであった。
窓から見える駅舎をみて思い出したのだろう、先日出した「絵画コンクールどうだったのかな?」と妻に尋ねる。ちょうど、妻が落選したと昨日ぼくに教えてくれていた。
「残念だったって。大きな子もたくさんだしてたみたい」と妻。長女沈黙。
「あんた、香山先生にほめてもらったことあるんだぞ。その方がよっぽどむずかしいわ」とぼくがいうと、曇っていた顔も明るい顔になった。
お店を出て、ぼくのリュックを長女に背負わせて、彼女たちは車で帰路につく。ぼくは自転車でなるべく川沿いを桜をみながらかえる。昨日から黄砂がすごい。
家につくと「かえってきた」と家の中から長女の声がする。
妻と長女とみんな自転車で最後の次女の保育園のお迎えにむかう。息子も自転車にまたがるが、また別のところにいく。
保育園について、すれちがう先生それぞれにお礼をいう。ホールにいくとリュウ先生がいて、お礼をいう。3人とも、親ができない育て方をしてくれた。
次女はしばらく壁をよじ登っていた。そのあと、ぼくらとりゅう先生のところにきて、写真をとってもらい、抱きしめてもらう。ついにこの時間が来たんだなと覚悟した顔をしている。園長先生にもご挨拶。また鴨をもらうための再会を約す。
園舎から出て、園庭に行く。長女は鴨にクローバーをあげながら戯れていたが、ちょうど鴨が園舎に戻る時間で、羽ばたいてくるのと一緒にこっちにきた。
そのあと、日が傾くまで友だちと遊ぶ。ビオトープの池の石に乗ったり、木にのぼったり、砂場で遊んだり。5年間慣れ親しんだ遊び場。今日は「もう行くよ」とはいえない。名残惜しいのが伝わってくる。息子が東京の保育園を離れる最後の日もこういうかんじだったのを思い出す。
妻と次女を残して、ぼくと長女が先に家に戻ることにする。息子を英語に送らなきゃけいない。道中、たくさんの散歩している犬とすれ違い、その都度「かわいい」と愛しくてたまらない声を出す。
「わたし、飼えるならどんな犬でもいい。」
彼女は毎日犬の夢をみている。
家につくと、長女はご近所さんの友だちと遊びはじめる。
英語の塾に息子を送る道中、自転車でどこにいっていたかきくと、2つの公園に行き、木登りをしていたという。
「今日はだれにもあわなくて、一人寂しく。」
「木に登って何してるの?」
「ただぼーっと。今日は風で葉っぱが動いてて面白かった。」
「本、もっていけばいいのに。」
「本をもっていたら木登りはできん。」
「いや小さいのをポケットにいれて。」
「はいるやつあるかな。アガサクリスティのやつ入るかな。」
迎えの時間を定刻より3分遅く来てとお願いされる。
「しゃべっていたいから。」
毎回、友だちとの放課後が楽しいようだ。
家に戻ると次女と妻が帰宅していて、近所の子と外で遊んでいた。ずっと外だから、ずいぶん身体が冷えているだろう。
その間にお皿を洗い、お風呂を入れる。きっちんからちょうど夕日が海に沈んでいく。最初は丸い太陽が、だんだんおしつぶされたかのように平べったい楕円になる。この一日がついに終わる。
「さむい」といいながら妻が帰ってきた。
「先にお風呂、はいろう」
娘たちとお風呂に入る。
次女が、今日は保育園のホールで、みんな一人ひとりがやりたい遊びを全部やる一日だったと教えてくれる。30人以上いるから大変だったろうが、先生らしい粋なはからいだ。
「何やったの?ドッヂボール?」
「ううん。はないちもんめ。」
意外な答えが帰ってきた。
「はないちもんめって、なに?」と横から長女が聞く。
悲しいときと嬉しいときがあると説明してくれる。
湯船でいかにも眠そうなあくびが出ている。目も赤い。これは早く寝たほうがいい。朝から遊びっぱなしで疲れたのだろう。
お風呂からあがって、妻がつくったお好み焼きをたべさせたら、またあくびをしていかにも眠そうだから歯を磨いて寝床に一緒にいく。
「さよなら、3月。」と長女。
園児としてもさよならだと伝える。
「園児のわたし、さようなら」
「でもその代わり、小学生こんにちはだよ。」
最後、実感したのだろう。
「もう、遊べないんでしょ。もう、あそこ入れないんでしょ。もう、リュウ先生とあえないんでしょ。」
身体に布団を寄せながらさみしそうにつぶやく。ベソをかくわけでもなく、寂しさを、乗り越えようとしていることがわかる。彼女はこの5年間、ずっと自由で楽しい楽しい遊び場を満喫してきた。そこから引き離される。彼女の大切な世界の一部が、なくなる。
慰めるために「新しい遊び場、新しい先生とまた出会えるよ」とはいうものの、そういうことではない、という気持ちも痛いほど分かる。代わりにはなれないのだ。
「ランドセル、背負えるよ」
というと少しだけうれしそうだった。
「小学校も、ぜったい楽しめるよ。いつも応援してるから。味方だから。元気に大きくなってくれてありがとう。パパもとっても楽しい5年間でした。」
抱きしめながらそういうと、胸の中でうなずいて、すぐに寝た。まだ19時半だ。力の限りを、今日は尽くしたのだろう。
2階に戻って「『さよなら3月』っていいながら寝たよ」とみんなに報告したところ、
「それ言ったの、私だよ」と長女が笑いながら教えてくれた。なるほど。
そのあと、長女に割り算を教えた。ちょっとむずかしい問題を出したら涙を流しながら最後は解いていた。
息子がマッサージしてくれて、お好み焼きを食べたあと、ゲームで対戦した。ぼくはぷよぷよ、彼はテトリス。ぼくが強くてまだ勝ってしまう。「くっそー」と悔しがっている。たまに勝ったらすこぶる喜ぶ。
ついに5年がおわった。今日のように、3人と全力でむきあった育児と家事、それ以外もいろいろやりたいことをできた。実にいい時間だった。人生にこの時間を持ったことを誇りに思う。悔いはない。妻と子どもたちよ、ありがとう。