気配り娘のあこがれ

六角鬼丈さんが亡くなってしまった。直接お会いしたことはないし、指導を受けたことがあるわけではないのだけど、学生時代、本や講義録で影響を受けた、一ファンだった。そして尊敬する建築家が尊敬してるのが六角さんなことが多かった。

ひさしぶりに六角節にふれたくなって、本棚から『藝大素述』をひっぱりだして、朝日が入る寝床で読んでいると、隣に起きたての長女がきて、しげしげを見ている。

いろいろ写真もあって、藝大の制作や先生とのやりとりの雰囲気が伝わってくる。

「これ、何を作ってるの?」「石って、どうやって削るの?」

質問したり、作品の写真に「すごーい」と感嘆したり。

本を彼女にあずけ、彼女のペースに読むのを合わせることにした。ぼくは彼女が読んでいる間に横の文章の部分を拾い読み。

「ページ、めくっていい?」

ぼくが読んでいることに気がついた彼女は、ちゃんとそのことわりをいれた。

そんな気配りができるようになったんだな。目頭があつくなるよ。ダメ、なんていえるわけがない。

ページをめくっていくうちに、ぼくが学生時代にちらっとだけ習ったことのある先生、北川原さんの写真があって、寝床の隅っこにあの建築の模型は北川原先生のゼミのときに作ったやつなんだと説明する。学生時代の作品で、一番気に入っているもので、これだけはそのままとってある。

非常勤で教えにきていた北川原さんの語り口や醸し出す雰囲気も素敵であった。こんな紳士でありながら、渋谷RISEを設計するようなアーティストなんだ。そのギャップに衝撃をうけて、これまたファンになった。

ゼミのとき、「どこで売っているんですかそれ」と思わず訊きたくなるような、見たことないオシャレな緑色のミネラルウォーターのペットボトルを持ってきていた。日本の「〇〇天然水」とかは、飲まないんだな。白いジャケットに映えていた。気になったけど、あの緑色のペットボトルをぼくが着こなす自信がなく、訊くのをやめた。

CASIOの薄いデジカメを持っていて、そのデザインを褒めていた。それは真似して買った。今読んでいる本はスチュワート・カウフマンだといっていた。気になって読んだ。むずかしかった。デュシャンの大ガラスはそうはいわず、ちゃんと正式名称で呼んでいたのがかっこよくて、ちゃんと覚えた。彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも。

飲み会の席では「結婚して何年たっても、妻は魅力的だ」とおっしゃっていた。紳士でアーティストで、愛妻家。最高じゃないか。

若かりしぼくは、北川原さんが放つ言葉ひとつひとつにいろいろ触発されて、やたら手が動いた。徹夜しながら一人で黙々と模型をつくり、図面を書いた。なぜか説明書きを全部英語で書いた。パワーだけはあった。評価は覚えていないけど、「構造もちゃんと考えろ」と言われた。フランスからドミニク・ペローがやってくるからと藝大に一日だけ運んで並ぶのに選んでもらったから、少しは印象に残ったのだと思い込むことにする。

そのとき訪れたキャンパスの、森の中でアーティストたちが創作に没頭している何とも言えないいいかんじの雰囲気が、いまでも忘れられない。

先日東京に日帰りしたときも、その北川原さんがついに退任されて展覧会をやっている時期で、時間はなかったけど上野公園を走って閉館前に駆け込んできたところだ。最小限の表現だけど、内にはエネルギーがほとばしっている、鬼気迫る展示でズシンときた。特に作品に添えられたキャプションにやられた。キャンパスも当時と変わらず、静かな森の中に、自らと格闘する人間の緊張感が漂っていた。

「わたし、お絵かきするの、好き」

最後までページをめくって、長女がつぶやいた。

知ってる。

「こうやって、絵を描いたりする大学もあるんだよ」

「行きたい」

こないだまで、「赤ちゃんをお腹から出す仕事をしたい」といったり、パティシエをしたいといったり。次はアートに興味が向いたらしい。

いつもぼくがいうことは「んじゃ、応援するよ」で変わらない。

でもいつになく、うれしかったな。どれも似合うけど、これから芸術や美術を一緒に楽しめるかと思うとワクワクする。

そして『藝大素述』は教官たちの愛校心と矜持にあふれている文言の数々で、これまた素晴らしい。これをまとめた六角さんって藝大でほんとに大きな存在で、いい先生だったんだな。youtubeで見たROCKETプロジェクトの子どもたちにむけた「建築家とは」という動画も、大好きなレクチャーの一つだ。ご冥福をお祈りしたい。