雪の週末

大雪。雪の日は脳が生き生きする。この3連休は家族で家に籠る。車が出せず、バスケもテニスもトランポリンも図書館もキャンセルになった。

今日は6時間ほど外にいた。スコップを持って雪かき。かけどもかけども、また積もる。アホらしいが、雪は軽いうちにどかさないと後から大変だ。黙々と、一かき一かきひたすらやる。ガレージ、そして屋根、そしてかまくら、そしてまたガレージ。

でも、無心でもくもくとやるといろいろ頭がスッキリしてくる。我が家は庭だけは広いから雪捨て場あって便利だとか、年功序列といっても役所は年齢序列で功は関係ないよなとか、政治家とかえらいオッサンって何でも言い切れば下がそれ以上何も言わず黙るからその手法を多用して思考停止しちゃってるなとか、10年後とか妻と二人になっているとき雪かきをこうやってできるんだろうかとか、子どもって楽しいことばかり覚えるからつまらない勉強は効率わるいなとか、雪がつもるとお隣さんとの境界がなくなっていいなとか、除雪車がくる前の道路は車ではなく子どものための遊び場になっていいなとか、普段机にむかっていたら思わない考えがいろいろ出てくる。妻は庭に屋根付きポーチがほしいそうだ。そりゃぼくもほしい。雪は心を研ぎ澄ましてくれる。

長女と息子はこたつに並んで入りながら本を読んでいる。後ろが中庭に面した窓で、雪あかりで読書、光が優しくていいかんじである。

ぼくが屋根雪を中庭に降ろしていると、おいそれと我が子たちがスキーウェアに着替えて乗り込んできた。キャッキャキャッキャとスコップで雪を中庭に落とし、そして「飛び降りたい」とリクエスト。2年前に大雪で息子がダイブしていたのを、ついに自分たちもできるとテンションが高い。

80センチはあったであろう積雪をだいたい落としきったところで、息子、長女、次女の順番でダイブしていく。「膝は伸ばしっぱなしはだめだよ。逆にまがっちゃうと大変だから」とそれだけアドバイス

最初の息子は下半身が全部埋まった。長女は場所を変えて、躊躇なく飛び降り、埋まらずに成功。次女は際に立つものの、数分躊躇していたけど、「行くよ」といってからがんばって飛び降りた。長女と同じところ。無事にみんな怪我なく成功。でも次女は怖かったのだろう、その後は家で妻と過ごした。

息子と長女はまた来て、今度は朝庭にダイブするという。朝庭には屋根の立ち上がりが30センチばかしあって、その上の笠木は金属なので滑って危険だ。そこから踏み切ることはできないから、その立ち上がりの手前に雪を同じくらいの高さの雪を積み上げて、そこからダイブする。経験者の息子は身体も大きくなり飛び込むが、長女はなかなかその立ち上がりを超えるのが難儀で飛び込めない。でも意を決してヨイショと飛び込むが、力が入らなかったのだろう、踏み込む片足を結局笠木に乗せて、力を込めてしまった。案の定、足が滑り、空中で態勢が崩れたまま落下。

「あ」と声が出た。そのまま顔と手から先に落ちてしまった。幸い、雪がまだ新雪でやわらかくふかふかで無傷。でも下半身は雪かきした固いところに後から着地していた。あわや大怪我だったが、何事もなく安堵する。

「大丈夫か」と声を駆けたのは息子。

『大丈夫」と元気な声が返ってくるが、「パニクった」と動揺しているようす。ぼくも「怪我なくてよかったね」というが、「だからそこに足のせちゃだめといったでしょ」と後の祭りの小言をいってしまう。下で放心状態の表情。ちゃんと踏み切れるよう、手をつないでやるべきだった。

その後、ぼくもせっかくなので飛び込もうと思うが、笠木を乗り越えて飛び込むのは勇気がいる。怖くなって、長女がなんでそうなったかよくわかった。あとで優しい言葉をかけてやろう。

「父ちゃんはやく」と息子が下で催促する。なんでできないのだと強気である。

結局ぼくも中庭に腰掛けながら落ちるという無難な方法を妻の助言により選び、それでも足はスボっと腰まで埋まり、手をついた肘はまっすぐで逆に折れそうになり、顔が埋まる。メガネに雪がついた様が面白かったのだろう、息子に写真を撮られる。ゲラゲラ笑っている。

かれこれ2時間以上雪と戯れたので、少しコタツで横になる。子どもたちもスキーウェアを脱いでぜんざいを食べている。こういうとき、土間が広いのは実にいい。抜きっぱなしで雪がそこたらじゅうに散らばっても問題ない。

すこしうたた寝をして、遅れて餅を食べた頃、またスキーウェアに着替えた子どもたちは外へ行く。今度は雪合戦をしはじめた。ソリや、雪玉をつくる道具を取り合ったり、雪のかけ方が気に食わないとかいちいち揉めているが止めない。本人たちはそれも込みで楽しいのであろう。

息子は中庭でぼくがカマクラを作り始めていると「おれもやる」と引き継いでいれた。ぼくはガレージに行って再びつもった雪をかく。長女も手伝うと一緒にやってくれる。だんだん日が傾いてきた。長女に庭にぼくの背の高さくら積もってきた壁を低くするようにお願いする。それ以上は持ち上げられないから。せっかくなので、ソリのコースにすればよいと斜めにしていくことを提案。

その提案が彼女のやる気スイッチを押したのか、そこから延々と土木作業員のようにコースづくりに邁進。すっかり雪国女子の頼もしさを感じるくらい、自分からこうしようとか、試しにソリを滑らせて改善点をみつけたりとか心強い。ぼくもガレージの雪を彼女の作業の足しになるならと精が出る。win-winだ。

「失敗は成功のもと。やってみて、駄目でもまた直せばいい」と前向きな言葉をつぶやきながら、長いコースをくじけずに元気に作っていく。日が沈んで夜になっても、幸いその場所は家の階段室からの電気が当たる。ナイトゲレンデになってしまう。途中、除雪車が家の前を通っていく。ぼくが手を上げていると長女が真似をする。

「手、振ってくれた」と嬉しそうだ。

すぐそこの山が今日は霞んでいる。

「いつも見る山が、今日は薄くしかみえないね」

ぼくが雪を提供し、彼女が傾斜をつけながら固める。何度も滑っては直すことを繰り返し、ぼくもガレージの雪は全部そちらに乗せて、一つのコースが出来上がる。滑って成功した長女は実に満足そうだ。

「自分でつくるコースは一番おもしろいね。できたとき、すごいうれしい」

「それは、とってもいいことを学んだね。人が作ったコースよりも、自分で作ったコースが一番。香山先生も、建築はできたときの喜びがあるから、楽しいだって」

「パパもそうなんでしょ。」

昨夜、ぼくが香山先生のedXのオンラインレクチャーを見ていたら、長女が一緒になって寝るまで見ていた。パパに気をつかっているのかもしれないが、ぼくから「もう家に入ればいいよ」といっても「いいのまだやる」と離れず、こうやって構築することを一緒に楽しむ。彼女は構想したり、構築することが好きなのかもしれない。毎日絵も描くし。昨日はぼくが提案した絵もグリグリと積極的に描いて、ぼくの想像を超えるものができていた。顔は妻に似ているが、興味はぼくの何かを受け継いでいるのかもしれない。

妻と次女にできたコースを見せる。次女も再びスキーウェアに着替えて「私もやりたい」と一緒になって滑る。次女もコースを作ることになり、長女がいろいろ技術的なアドバイスをしている。現場監督のようだ。次女も素直に聞いている。途中、崖沿いのガードレールに二人腰をかけて眼下の景色を眺めている。雪が舞い散りいつもより視界がわるいが、久しぶりの雪景色は新鮮なのだろう。

別の場所にコースを作り出すが、ぼくの方が空腹と疲労で音を上げて家にもう入ろうと促す。明日もまたやろうと約束をして。長女も限界だったのだろう、うなずいて、みんなで家に入る。妻が夕食とお風呂をすでに用意してくれていて、麻婆豆腐をみんなで平らげる。長女もよっぽどお腹が空いていたのだろう、いつになく食べていた。

息子はぼくから出した算数の問題をやっていた。スイッチでぷよぷよ対決して負けた。長女が借りてきた内田康夫の本を彼も読み始めたら面白いようだ。娘たちをお風呂にいれて、妻と子どもたち3人はアルゴをやって、リンゴとみかんを食べて歯を磨いて、そして寝る。長女が「塗って」というので皮膚科の薬を腕と顔に塗ってやる。彼女は肌が弱い。「よくなるように」と念を込めながらぬる。

お風呂上がりに除雪車が家の前で3台作業をしてくれていた。妻と娘たちはテンションがあがって、窓を開けて「ありがとう」と手を降っている。ディズニーのパレードでミッキーが来たときくらいの喜びようだ。スーパースターである。

「温かいコーヒーあげたいね」

疲れたけど、子どもたちおのおの、とても生き生きしていたいい一日だった。大雪に感謝したくなる。今日見た光景や体験したことを大人になっても覚えてくれていたらうれしい。

雪は今夜もまた降り続け、今日の雪かきは台無しになっているくらいまたつもりそうだ。明日もまた雪と子どもたちと戯れよう。