9年

もうすぐ、東京からこっちに引越してきて9年になる。帰ってくる判断が正しかったのか、考えなくてもいいことをつい。いいことも、みじめなこともそれぞれたくさん。主は子育ての環境を求めてだった。子どもたちが小さい頃は、いい選択だと確信できた。大きくなるにつれ、疑問も湧いてくる。小さな頃、丁寧にいろんな絵の具を持ちこんで、子どもと描いたキャンバスは、その上を全く別の絵の具によって跡形もなく塗りつぶされる宿命なのである。良かれと思った親心なぞ、それがあからさまであればあるほど、純然たる邪魔者、余計なお世話に変わるのである。どろっとした絵の具で、上書きしなければ気が済まない。

 

大きくなってからを、東京の頃のぼくは見据えることはできなかった。そのそう想像力があったら、あの判断をくだしていたか、あやしい。

ぼくが記憶がある頃の、地方。あのときはぼくは子どもで、今はあのときの父である。父は、家計を支えながら、静かに耐え続けて生活していた。読書の世界だけが救いだったろう。家計を支えてはいないが、読書しかないのはぼくも同じだ。

東京にいって、友人と旧交を温めることができた。みんな優しかった。歳をとるにつれ、かつて切磋琢磨し、一緒につくる時間を過ごした仲間のありがたみがどんどん増している。世界は知らないが、日本だけでも世の中広いと可能性を感じた。エネルギーに溢れ、ひたむきに努力できる学生時代の青春を、都会で過ごせて幸せだった。経済的に支えて、育ててくれた親に感謝である。

しかし結局ぼくは、18歳のときもしかり、憧れつつも、長い目で物事は判断できず、短絡的で想像力がなく、その場の気分で決めて翻弄されている。そういう気質の者は、目の前だけを静かに淡々と処理しながら生きるのが世のため自分のためだと思われる。求めてはいけない。求めるものは間違っている。ひたすら受け身。定年まであと23回、これを繰り返す。こっちに帰ってきて最もうれしかったこと、香山先生とお出会いできたこと。川上さんとじっくりお仕事ができたこと。この二つだけで、この9年間はよかったといえる。これからも、お二人に恥ずかしくないもの、できるだけ、うすっぺらいもの、そこの浅いものをつくらないようにだけは心がけていきたい。プリミティブで、静けさを備えた、心地いいもの。

この先の子育てに固執するのは親のエゴ。子どもは勝手に育つステージ。親は背景でさえない。よくて下地。子どもの人生。子どもの心は親はもう変えられない。健康で道をそれなければ十分と思い、親の方が変わるしかない。

甲斐性

ぼくは、情けないことに家族を経済的に十分やしなう稼ぎを得られてない。この歳にもなって、つくづく無力さに嫌になるが、副業もできずほかで生計を立つこともできない。かつて、育児や家事もできた期間を与えられたことは人生において喜ばしい宝物になったが、はていざ働けども、生計は真っ赤っかの赤字である。かといって、仕事をダラダラするのは国賊だとおもうし、そもそも性に合わない。ダラダラと仕事の遅い者、質の低い仕事をする者のほうが、稼ぎが多い。この制度、ほとほと理解に苦しむが、屈したくもない。だれからもそこまで求めてないことをかってにやろうとして、たいへんになって、もがくことを繰り返している。かといって、水準をさげてことなかれ、で済ませばそれこそ存在意義はない。外部から入った身だからできることを見つけて、なるべく役にたたないと税金をもらう資格はない。

長く勤めるほど、公務員の給与体系は退職金を考えても有利らしい。若い頃のがんばりは、ダラダラ過ごす老年期に返ってくるというものだ。そんな人質のようなシステムに甘んじて残りの人生を売るのはごめんだ。そのシステムが、居座る怠惰な年長者の溜まり場をつくり、天下りのシステムを存続させる。そう批判しておいて、自分がその道をゆくのはだれよりも恥ずかしい。

もう貯金もない。この春の人事がどうなるかで、背に腹は変えられぬ、家族を養えるように、そろそろ路線を変えることも視野にいれなくてはならないのかもしれない。「役に立ったし、少しは税金もらってもいいかな」と自分が納得できる今のうちに去るべきな気がする。

だだぼくは、この9年間の仕事を通して、全体の奉仕者である公務員に与えられたミッションは素晴らしいと思うし、眠っているだけで、可能性はまだまだある。生業としてやることは誇りでやりがいもある。やっていることは日々地味ではあるが。気に食わないのは人事制度や、それに甘んじて、思考せずダラダラしている一部の組織、なんでも事勿れで済ませようとする可能性を潰す風土なのだ。

父と母は小さな自営業で、二人だけでがむしゃらなら働き、生計をたて、ぼくを育ててくれた。つくづく、親の偉大さを痛感する。悔しいが、なにもかも足元にも及ばない。

アメリカに留学した医師の古い友人二人は、日本では稼ぎがもちろんいい方だけど、あちらでは生活保護の対象の年収になるという。同じ仕事をしてるアメリカの医師の年収は5倍。経済成長しつづけている国と、停滞した国の違い。日本の大学で最先端の研究をする医師たちがこうだ。さすがに、職業をつく国を間違えたと、嘆いていた。かといって、開業医になることは選ばない。

それにしても、彼らとは高校や浪人までは同じ環境にいたわけなのだが、彼らがなげく年収の、さらにぼくは半分くらいの年収である。事務屋の給与なんざ、そんなもので当たり前、いやむしろまだもらいすぎてありがたがらねばならない。医師は命を救う。尊さがちがう。妻の仕事だって、よっぽど尊い。誤ったとすれば道の選択だ。この差をなげくなら、はなから道を間違えたことが原因だ。たいして努力をできないにもかかわらず、変に夢を見てしまった代償だ。だったら道を変えるか、どうか。両親はどう思っているのか。勝手にお前が決めたんだろ、という話だろうけど、ちゃんと育てたにもかかわらず、家族を養えない大人になってしまい、親不孝してるなという罪悪感がある。そして若い頃のぼくと今のぼくが会ったら、税金でかのようにブーブーいいつつ耐えながら生きていることをだれよりも軽蔑するだろう。自分が、だれよりも自分を許せないのである。

 

これから尊敬してやまない先生と会う。先生とはこの人生を選択したからこそ出会えた。会うたびに希望を与えられる。お金で得られないものも、得た。再会するにあたり、座右の書というべき先生の本を2冊再読し、心を整える。

上の友人たちはそれでも、帰国したら日本の最先端で踏ん張り続けつもりだという。立派だ。

この道を歩んできて、気の置けない仲になった友人は、みな頑張る、努力を惜しまない人たちであることに気づく。だれひとり、ダラダラしていない。頑張ることの美しさ、生きることの充足はそれを通して得られることを思い出させてくれる。かけがえのない存在だ。その分一番ダラダラしているぼくが、恥ずかしくなる。友人たちも、ハガユイようだ。

人生においてはお金で買えないものほど、大事なのだと子どもたちに言い聞かせているのは、ぼくだ。しかし、かといって彼らにひもじい思いをさせていいものか。沈むことがわかっている国で、どう頑張っていけばいいものか。子どもたちが、自分自身を納得させられる「道」を見つけるようにするにはどうしたものか。苦悶の春。

足跡

人生は折り返しをもうとっくに過ぎてる。たとえば半分だとしよう。いままでの記憶を辿る距離と同じくらいで、幕を下ろす。短い気がする。年々時間の感覚は早まるみたいだから、もうちょっとしか残ってないのかもしれない。一方、定年まであと20年以上あるかとおもうと、気が沈む。フルマラソンだとすれば、ハーフからが本番だし、そこからとてつもなく長くかんじる。どちらなのだろう。

ゴールが自分でもどうしようない位置に決まっていて、動かなくい。それまで我慢する。忍耐は長い。自由が効いて、自分の意思でただ夢中になっている。集中は短い。

それはそうとして、時の流れに逆行して人生を振り返るとき、その感覚は逆転する。歯を食いしばって、努力したこと、楽しくて夢中になったのとしか思い出せない。ダラダラ過ごしている間は寝ているのと同じだから、記憶に残らない。長かったかどうかは、努力をしたかどうか次第。つまり、過去の場合は、その瞬間は短く感じていた時間の集まりが、時間の感覚を長くする。集中した時間は星なのだ。それしか見えない。怠惰な時間は暗黒物質。星の動きに影響は与えている。

仕事以外の残された時間で、家族と時間を過ごすのはもちろんだけど、音楽を聴きながらなるべく本を読んで、音楽を聴く。たまに昔からの友だちと話す。旅はお金がないから読書と空想で諦める。生まれ変わったらヨーロッパに行って、やはり建築をたくさんみたい。

そして、子どもたちに、ぼくがいままで感動したこととか、読んでおもしろかった本の話とか、なるべくここで語っていこう。

これは自分の人生を整理しはじめるということでもある。一日一日、死に近づいている、しかもいつ終わりが来るかもわからない。だから少しずつ、言葉をここに置いていく。いつか読んでくれて、つまんないと思うのも彼らの自由だ。

これまで会った人たちと、楽しかった思い出話をして、「会えてよかったよ、ありがとう」といって回って幕を閉じれたら幸せだろうな。その気持ちでこれから会う人には接したい。過去に感謝しながら、人生をたたむ。会いたい人は、極楽にもいる。死を遠ざける気はあまりない。

あまり未来にはもう興味はなくて、どうこうしようとは思わない。夢とか未来とか、新しいことばかりを追求する人とは距離を置くようになった。昔に比べて、諦めることはだいぶ得意になった。大事なのは現在だ。この瞬間にベストを尽くす。迷ったら、参照するのは過去、歴史、小説。無責任な啓蒙書やわかりやすいメソッド本は捨ててしまえ。

力を尽くして、できなかったらそれまでよ。他人とは比べなくていい。努力は大事、だけど最後は運だ。運は縁ともいう。精一杯頑張って、縁に身を預ける。それなら、どう転んでも悔いはない。気楽にとらえればいい。「今じゃなかったんだ」と思えばいい。時は流れる。

人間ドックの結果は太り気味、あと10キロ痩せるべしなのと、軽度の肝硬変の疑い。友人に聞けば肝硬変はこの年齢になるとみんなそんなものらしいから過度に心配は無用とのこと。

大腸の精密検査は今年は言われなかった。視力がだいぶ落ちた。こないだ、バスケでエアーボールを2回した。詳しく情けないが、コンタクトの度数が合わなくなり、遠近感をつかめなくなってるからなのかもしれない。まだしばらくは元気でいられそうだ。父よりは、長く生きてあげたい。

世の中は複雑で多様になって、進歩してるというが、だいたい、ぼくの尊敬する達観した方々は、みな同じようなことをいっている気がする。ゆたかに生きる原理とは、シンプルて、そう変わらないはずなのだ。びくともしない、大きなもの。少しでもそれをたぐりよせて、子どもたちに残してあげたいのである。

巨大な星は、最後はブラックホールになるという。放ちつづけると、最後は吸い込むようになる。力を入れて、踏ん張りつづけて、最後ふっと抜いて、引き寄せる。得ることとは、そんな力学なのだろう。たいてい、なにかを得たひとは「自分がもらえるとは思ってなかった」といっている。

心筋梗塞

「人間なかなか死ねません」

同年代の同僚。心筋梗塞から元気に復活してお話。ストレスと睡眠不足は心臓や血液にてきめんに悪影響が出るそうだ。ストレスは血液をどろどろにすると。足に血栓ができて、それが心臓まで流れて心臓を詰まらせるらしい。だから歩くことは大事なのだと。上のような会話ができたのことは、その方の幸運が重なったからもある。心臓にメンソールを一気に流し込まれたような感覚で、血の気が引くらしい。大事にならず、よかった。同じような仕事を日々している同年代の言葉は刺さる。ぼくと相当ストレスを溜めているからと、心配してくれた。

キツネの目

「キツネの目は、なんで細いの?」(次女)

食卓で。朝食のとき。マルは朝日が当たるところでまどろむのが好きだ。今日は青空で、朝日がさんさんと書院に注いでいて、畳の上で顎をつけている。普段クリクリの目が細くなっていて、見慣れない顔つきになっている。

そのことを話していたら。

ひまご

「パパ、ひ孫にあってね」(次女)

彼女の宿題。0歳から8歳までの彼女の様子と、そのときの親の気持ちをインタビューして作文するというもの。0歳のときのアルバムを久しぶりに見返してスタート。みんな小さくてカワイイ、まさに黄金期であった。この時期を家になるべくいて過ごした決断はぼくが人生で下したなかで最良のひとつだという思いを強くする。

しかもこのブログでコツコツチマチマ、つぶさにあったことを書きとめきたから、次女に「このころ、どんな様子だった?」に、ふりかえりながら答えることができた。その記事も、ささいな、忘れている瞬間ばかり。息子が次女に誕生日に優しくした瞬間とか。でもそういう記憶たちこそ、かけがえのないものなのだ。

宿題が終わった次女が、上の言葉。自分も「ひ孫をぜったいみる」と決意していた。

モードチェンジ

長女がぼくの携帯で、LINEの背景やフォントを変えてくれる。さらに壁紙も次女の写真やマルの写真を選んで変更。ぼくにはないセンスの選定で、楽しく、お陰で気分も心機一転。自分では変えら気になかなかならないし、ありがたい。