タイムマシン

「この世はタイムマシンがあるとしたら、それは音楽だ」と藤井フミヤはいった。たしかに音楽は過去に連れていってくれる。

司馬遼太郎さんの小説も、幸せなタイムマシンだとおもう。映画になったものではいけない。自分が想像を働かせる幅が狭くなる。たいてい、教科書には出てこない、市井の人物がキラキラと輝いている。会話し、喜び、怒り、悲しみ、耐え、努力し続けながら、人間は生きている。時代はかわれど、原理はそう大きくは変わってない。『菜の花の沖』にでてくる商売人たち、特に繁栄を誇る兵庫の北風家は、いまのGAFAがやってることと同じだ。

平等

「人間って、ほんとに平等なのかな?」(次女)

夕食のとき。身体の大きさとか、得意なことの違いとか、生まれる家庭の経済力とか、そういうのは平等じゃないのではないかと。平等にしようというのは、機会の与え方のことだと伝える。

アメリカに留学している友人たちと話をする。「日本はみんなが一緒だという前提だから、違いに敏感になるし、空気を読もうとする。抜きん出ようとすれば上が目をつんだり、周りが足をひっぱろうとする。アメリカにくると、みんなが違うという前提から始まるから、空気を読むということがない。だから自分を貫ける。」

どちらか一方がいいということではないが、日本以外の環境を知ることも、これからますます生き残る上で大事になるだろう。アメリカでは、日本人は貧乏国だと感じるという。向こうのマクドナルドのバイトの時給は3,000円。友人たちはいわゆるエリートの医師でありながらも、家賃含めてアメリカでの生活は苦労しているそうだ。危機感を切に感じる。

IT企業のトップはインド出身者が多いのは、カースト制を乗り越えるために誰よりも遮二無二に努力して、その結果選ばれし者になっている。もともと優秀な上に、努力を重ねる背景が全くことなるし、馬力が違う。

フェアで努力が実る競争環境をつくり、努力をした人にはチャンスと報酬を与え、世界中から優秀な人材を呼び込み、国を導くリーダーを育てる。そのリーダーは巨万の富を築き、財団を作って大学など、次世代の育成のため寄付をする。経営者になる者は努力した証だし、その者をやっかむことはない。お金を稼ぐことと、高潔さを保つことは矛盾しない。

一方で、研究では誰々の紹介か、というコネがものをいうこともあるそうだ。100パーセントピュアな世界など、現実にはない。したたかさも備えていなくては、やられる。そのあたりのフェアネスとコネを使い分ける塩梅もまた、アメリカは絶妙なのだろう。だから、アメリカの医学もまた、世界のトップでありつづける。

 

日本の医師で高収入を得るのは開業医で、最先端の研究や高度な技術で難しい手術や治療に対応する大学の医師ではない。お金ではなく、使命感で、自らは「奴隷」と認識していても、大学に残り、ハードな臨床も研究も、やりつづけている。開業したり、医局を外れ、都会の高収入の病院に所属するという誘惑に負けずに。

医学の世界は、多くの難しい症例に立ち合い、上司や仲間と切磋琢磨しながら、いろんな視点でものを見続けるかが勝負だそうだ。地域医療も、医局の人事が支えている。抜ければ、立ち行かなくなる。人の命を救う医師を目指す以上、プロとしては医局が最もいい環境だし、社会の役にも立つという。仕事人として、尊い立派な姿勢だと感銘を受けた。

アメリカは逆で、後者ならプールつきの豪邸を建て、50歳になればお金が十分あり、リタイアするという。努力し、選ばれし者には、それに見合う報酬がある。夢がある。しかし、貧富の差は日本より激しい。

アメリカは皆保険ではないので、経済力がなければ、病気になっても医療は受けられず、救われない。コロナ禍であれだけの死者が出ても割り切り、マスクもだれももうしていない。

アメリカも特殊だが、日本も特殊なのがよくわかった。アメリカが大きな夢をみることができる。一方で、はいあがれないほど貧富の差も厳然としてある。日本はそれに比べれば大きな夢はみれなくとも、絶望も、まだ少ないのかもしれない。

日本は、江戸時代の、徳川家の支配下における封建社会が築いた平和で、いい意味で停滞していたなごりが、村社会を中心にまだ濃く残ってるのではないか。同質の意識は階級を受け入れやすく、従うことに慣れ、個人の潜在的な可能性を見出そうとすることをしにくいし、階級を飛び出すチャンスも与えない。その分、真面目で忍耐強く、仕事は丁寧、秩序は維持されやすい。村であり、外敵に襲われにくい島だからこそなのだろう。

その後、明治で一度リセットし、戦後でもう一度リセットし、社会主義のような横並び体質も内蔵させながら、柔軟にアメリカを手本とした資本主義を加工して、アジアで先駆けてサラリーマン社会をつくり、高度成長を成し遂げた。すごい変化だ。変化を厭う国とはいえないくらい、変化してきた。ただそれは、自らの意思で内部から起こるのではなく、外圧をきっかけとして起こるだけだ。変化させられている。それを受け入れ、あらたなまとまりをつくっていく。

「世代でひとまりに見る議論は意味がない。各世代、いろんな人がいるとおもっているから。」

友人たちはアメリカにきていい刺激があり世界がみえるが、やはり日本が好きだといった。世界を知ってるぼくの知人は、たいていそういう。

菜の花の沖』に出てくる間宮林蔵や、高田嘉兵衛の話を知ると、封建制度の江戸時代でさえも農民から異能を持ったものは見出され、チャンスが与えられている。歴史を紐解けば、そのような人物の例は枚挙にいとまがないだろう。いわんや現代をや。『人生を考えるのなら遅すぎることはない』の三國清三さんの話、帝国ホテルの村上信夫料理長から見出されたくだり。

がむしゃらに努力を続けていれば、光が当たるときは必ずくる。自分が思ったタイミングではなくても。希望はこれからも、ある。どんなときも、捨てなくていい。

彼らのおかげで、久しぶりに視野が広がった。

はじめての絵の具

「人間がはじめて使った絵の具、何色?」(次女)

車の中で。『日曜美術館』で北海道の風景画家の話をみて。「緑色」と長女。

たまたま、ぼくかその日読んでいた本、山極壽一さんと鷲田清一さんの対談のなかで、出てきた。7万5千年前のブロンボス洞窟。赤の鉱石で描いたマークか文字の跡が、今のところ最古だという。育児パパが奮闘する映画、東京の友人の友人が監督したと紹介されたものの上映会に連れてく。育児休業をとった男性が受ける社会からの制裁と、家族の悩みがテーマ。バカにされ、会社で虐げられる父親を描き、まだまだ変わらぬ組織とちぐはぐな制度を世に問う内容。

数年前のパパの話が映画になったような話で、彼女たちには「ふつう」に見えたようだ。上映後、監督とご挨拶。「この子たちの男性を見る目、そうとうハードル上がってますね」といわれる。たしかに、彼女たちにとって昭和のパパ像は過去のものだろう。

そのあと、立ち寄ったお蕎麦屋さんでブロンボス洞窟のことを写真をみせながら伝えた。子どもの口からたまたま出た質問が、親がたまたま読んでいた本にあるという奇跡。

この蕎麦屋はこないだ長女と二人できたばかり。だし巻き卵が、長女は好きだという。次女も一度来たことがあり、思い出していた。以前、次女が食べた後、きちんとお皿を並べたことを再度褒めたら今回も最後までやっていた。待っている間は次女はドラゴンボール、長女はズッコケ三人組を読む。

名前の由来

次女の学校の宿題。産まれたときのことや、名前の由来を調べるというもの。名前には、たくさんの思いを込めた。音も漢字も、いろんな素敵な意図が重なっている。かみしめるように耳を傾けてくれる。次女は自分の名前が大好きらしい。嬉しいことである。

産まれたときの気持ちも書く。帝王切開で産まれた。看護師さんに取り上げられたとき、すぐ泣かなくて、背中をポンとたたかれた。そしたら「オンギャー」と泣いて、みんなほっとした。そのあと、ぼくが抱いた。とてもうれしかった。

ガラス越しに、息子が長女をおんぶして、ガラスに顔をつけて次女の顔を覗き込んでいる写真がある。

翌日おっぱいを飲みに来た次女を、息子と長女それぞれ順番に、そっと抱っこした。顔を擦り寄せたり。長女が少し、遠い目をしていた。息子が長女が生まれたとき、抱きながらしていた目である。

みなそれぞれ、大きくなったものだ。