足跡

人生は折り返しをもうとっくに過ぎてる。たとえば半分だとしよう。いままでの記憶を辿る距離と同じくらいで、幕を下ろす。短い気がする。年々時間の感覚は早まるみたいだから、もうちょっとしか残ってないのかもしれない。一方、定年まであと20年以上あるかとおもうと、気が沈む。フルマラソンだとすれば、ハーフからが本番だし、そこからとてつもなく長くかんじる。どちらなのだろう。

ゴールが自分でもどうしようない位置に決まっていて、動かなくい。それまで我慢する。忍耐は長い。自由が効いて、自分の意思でただ夢中になっている。集中は短い。

それはそうとして、時の流れに逆行して人生を振り返るとき、その感覚は逆転する。歯を食いしばって、努力したこと、楽しくて夢中になったのとしか思い出せない。ダラダラ過ごしている間は寝ているのと同じだから、記憶に残らない。長かったかどうかは、努力をしたかどうか次第。つまり、過去の場合は、その瞬間は短く感じていた時間の集まりが、時間の感覚を長くする。集中した時間は星なのだ。それしか見えない。怠惰な時間は暗黒物質。星の動きに影響は与えている。

仕事以外の残された時間で、家族と時間を過ごすのはもちろんだけど、音楽を聴きながらなるべく本を読んで、音楽を聴く。たまに昔からの友だちと話す。旅はお金がないから読書と空想で諦める。生まれ変わったらヨーロッパに行って、やはり建築をたくさんみたい。

そして、子どもたちに、ぼくがいままで感動したこととか、読んでおもしろかった本の話とか、なるべくここで語っていこう。

これは自分の人生を整理しはじめるということでもある。一日一日、死に近づいている、しかもいつ終わりが来るかもわからない。だから少しずつ、言葉をここに置いていく。いつか読んでくれて、つまんないと思うのも彼らの自由だ。

これまで会った人たちと、楽しかった思い出話をして、「会えてよかったよ、ありがとう」といって回って幕を閉じれたら幸せだろうな。その気持ちでこれから会う人には接したい。過去に感謝しながら、人生をたたむ。会いたい人は、極楽にもいる。死を遠ざける気はあまりない。

あまり未来にはもう興味はなくて、どうこうしようとは思わない。夢とか未来とか、新しいことばかりを追求する人とは距離を置くようになった。昔に比べて、諦めることはだいぶ得意になった。大事なのは現在だ。この瞬間にベストを尽くす。迷ったら、参照するのは過去、歴史、小説。無責任な啓蒙書やわかりやすいメソッド本は捨ててしまえ。

力を尽くして、できなかったらそれまでよ。他人とは比べなくていい。努力は大事、だけど最後は運だ。運は縁ともいう。精一杯頑張って、縁に身を預ける。それなら、どう転んでも悔いはない。気楽にとらえればいい。「今じゃなかったんだ」と思えばいい。時は流れる。

人間ドックの結果は太り気味、あと10キロ痩せるべしなのと、軽度の肝硬変の疑い。友人に聞けば肝硬変はこの年齢になるとみんなそんなものらしいから過度に心配は無用とのこと。

大腸の精密検査は今年は言われなかった。視力がだいぶ落ちた。こないだ、バスケでエアーボールを2回した。詳しく情けないが、コンタクトの度数が合わなくなり、遠近感をつかめなくなってるからなのかもしれない。まだしばらくは元気でいられそうだ。父よりは、長く生きてあげたい。

世の中は複雑で多様になって、進歩してるというが、だいたい、ぼくの尊敬する達観した方々は、みな同じようなことをいっている気がする。ゆたかに生きる原理とは、シンプルて、そう変わらないはずなのだ。びくともしない、大きなもの。少しでもそれをたぐりよせて、子どもたちに残してあげたいのである。

巨大な星は、最後はブラックホールになるという。放ちつづけると、最後は吸い込むようになる。力を入れて、踏ん張りつづけて、最後ふっと抜いて、引き寄せる。得ることとは、そんな力学なのだろう。たいてい、なにかを得たひとは「自分がもらえるとは思ってなかった」といっている。