続・死について

むかし読んだ三木成夫さんの本によれば、「死とは二種類」あるそうだ。一つは、一般的に思い浮かぶ個体の死。もう一つは、子孫もいなくなり、その遺伝子が受け継がれなくなったことの種としての死。

後者は、個体が死んでも、後世の子孫のなかで、その人の生命は生き続けるという話。命のバトンは受け継がれていると。

脈々と、遺伝子は親から子へ受け継がれている限り、死んでいない。おじいちゃんもおばあちゃんも、ぼくの中で生きている。そう考えたらずいぶん気が楽になるし、寂しくもなくなるし、そこまで死をおそれる必要もなさそうだ。

その話を子どもたちにした。「記憶からすべて消えたとき、第二の死が来る」と『リメンバーミー』の一節にあったと長女。

お風呂で、次女が「だったら、パパのママも、そのママもうちの体の中にいるんだね。そのずーっと前の前も」という。そういうことになる。

次女にもし子どもが生まれたら、さらにその子どもは、もっとたくさんの命を受け継ぐことになる。「どうしよう、入りきるかな」と心配していた。