昨日は次女が自然体験教室で山登りにいくというのでお弁当をつくった。卵焼きにひじきを混ぜた。キッチンにきて、ぼくの横に立つ。逐一料理するところを横からしげしげとみる。卵焼き、ハンバーグ、キュウリと生ハム、リンゴ、バナナ、おむすび。そしてお茶を入れた水筒。キャラ弁のような華やかさはない。親父のつくった弁当というかんじである。他の子にくらべて愛想がなかったりしないかな。
帰ってきてお弁当のことを聞くと、全部食べて美味しかったとのこと。「おいしい」という言葉をきくとうれしく、報われた気持ちになる。子どものために料理をするというのは、生命に直結しているし、愛情を注ぐことそのものだな。授乳と変わらない。
山登りでは一番てっぺんにいっても雪がなかったこと、途中で小さなモグラが死んでいるのをみつけたことを生き生きと話してくれる。
「わたしもモグラ、みたことがある。どのくらいの大きさだった?」とそれを聞いていたOGの長女。
「こんぐらい」と次女が親指と人差指で細長い丸をつくる。
「え、ちっちゃい!」と長女。長女は両手で丸をつくる。
「このくらいだったよ」
赤ちゃんモグラなのかな。毛は焦げ茶色で、柔らかかったみたい。
「目がなかったよ。爪は長かった。歯も出てた。目はないけど、まわりのこと匂いでわかるんだって」と次女。
長女のときはお墓をつくって埋めたらしい。今回は園長先生が「草むらにおいておきな、イノシシが食べるから」とそのまま。「かわいそう」と次女。
空っぽになった弁当を片付けていると、5センチくらいの長さの細い木片がある。ゴミかなとおもって捨てようとしたけど一応次女にきいたら「あっ」と目を輝かせて手にとる。「これ、いい匂いがする木」なのだそうだ。切断したら、そこからいい匂いがするから、箸置きにすればいいと園長先生が切ってくれたらしい。
「そうそう。あれね。私も持ってる」と長女。
「もう私のは匂いはしないけどね」
次女がぼくのところまでその木片をもってきてくれて、端っこに鼻をあてて嗅いでみたらたしかに、澄んだ木のいい匂いがした。
ボグラが死んでいるところをみたこともないし、この木も、ぼくは知らない。アクティブな保育園のおがげで、長女と次女は面白い体験を積んでいる。