パシリ

なぜか、中学、高校、大学と二つも三つも同窓会のような会の世話役をさせられている。望んではいないし、誰から頼まれたわけでもない。どちらかというと、面倒くさいしやめたい。なんか今年はないのか、みたいな空気を察して、やったほうがいいか、ほかに頼む先もないし、でしぶしぶやる羽目になる。

たとえば高校の場合、結局あえばそれぞれの仕事の話になり、お金も立場もないぼくは、みなから年収きかれ、正直に答えたら絶句され、鼻で笑われてバカにされる。決まってアメリカにいって医師として成功した友人の話になり、ぼくとは年収にして15倍以上差があるという話題。高校も大学もたまたま同級生。彼は確かにだれよりも努力してたからよかった。15倍かは分からないけど。そういえば、彼が帰国するときの店の手配や招集も、ぼくがやることになる。

みなは立派なお仕事されてるわけだから仕方ないし納得もするのだが、この場を陰ながらいろいろ時間をかけて調整してセットして、感謝を口にされることもなく、集まれば冗談半分とはいえほんのりとした屈辱を味わうことになる。

そんな大学の方でも、わざわざ地方から出かけて受付と司会をするわけで、なんかいろいろやってくれる小回りのきく、面倒見のいいやつでしかない。

ビジネスの繋がりが生まれて商売につながることもないし、選挙に出るわけでもない。こんな作業で恩をうるつもりもない。何も得ず、特に同じ昔ばなしの繰り返しで、楽しい思いもしない時間のために何をしているのか、ふと疑問に思う夏。

みなは楽しいとはいっているし、また来年もよろしくと言ってくる。こちらの苦労もしらず、実に能天気なものだ。世の中の幹事を請け負う方々、ほんとによくやってらっしゃるよ。

子どもたちよ、大人になって同窓会に参加することがあれば、幹事はじめお世話してくれる人には、ちゃんとお礼を口に出して言いましょう。最低限のマナー。同窓会に限らず、人が集まる場でお世話をしてる人、受付しかり、みえないところで何かと面倒なことを、たくさんやってさしあげている。そしてもし、君が幹事をやることになったら、パパはとってもえらいとおもう。胸をはって、報われなくてもいいからがんばれ。

 

同窓会に行くのは、自分の過去を否が応でも振り返ることにもなり、後悔ばかりだし、幹事しなくて参加する側になるのも、そのご苦労しのばれて心ぐるしい。

来年は何もせず、だれにも会わず寝てたい。むりだろうけど。仕事も人生も結局は都合のいい使いパシリ。