リハビリ

息子の整形外科受診、リハビリに付き合う。

新しい習い事のようなもの。

背骨が欠けた。分離症というらしい。内出血もあるそうだ。部活の反復練習で腕を上げ、背中をそる動きを繰り返したら、身体が固くしなやかでない分、荷重が一つの骨にかかり、割れたそうだ。

「君の背骨の健康を考えたら、いますぐドクターストップ」と医師。即、安静にしてコルセットをつけなくてはいけないくらいの症状だそうだ。

とはいえ、中学校最後の大会があることを理解してくれて、勝負がひと段落するまではこのまま続行することを認めてくれる。

「15歳だから、そこらへんも理解して判断してるのでしょうし」

そう。彼には今しかない。大事なのは今。

 

骨はおそらく、もうつかない。一生付き合わなくてはいけない。部活の顧問は、病院にいくこと禁止、医師から止められるから、懇意の接骨院でのみ受診という理解に苦しむ方針だった。ぼくは理解に苦しむと医師の受診を勧めたが、ぼくのいうことなど馬耳東風。息子も妻も耳を貸さなかった。「大丈夫といっている」と勘と経験だけの接骨院のアドバイスで湿布のみの対応だった。痛みが出て、プレーができなくなって、やっと医師のお世話になることになった。

もっと早く診てもらっていたらと悔やまれるが、そうしていたら試合の第一線には立ってないかもしれない。ないものねだりである。

もはや、父の言葉なんぞそんなものだ。彼の判断、彼の人生。こうなった以上仕方ない。この経験で何を彼が学ぶか、それも彼の器量次第。スポーツ選手にも珍しくなく、分離症、即引退ではないそうだし。

筋肉がなくなったり、身体が固くなれば痛みを伴う。彼の老後が心配ではある。とはいえ、もはやぼくの力が及ぶところでもない。あとは彼が自分でなんとかするしかない。

 

リハビリでは、あらゆる姿勢で股関節をほぐしたり、腹筋を鍛えたり。日々鍛えられているだけあり、さすがに、小さい頃の面影が想像できないくらいガタイはよい。

ひたむきな青春は人生の花。ぼくが経験していない大舞台を彼は経験しているのだから、喜ばしいこと。犠牲はつきものなのだ。あとはこの離れた背骨も自分の一部として、向き合っていくしかない。

「高校いっても、バレーやるんだろ?」と医師も療法師も聞く。「うーん」と息子。「続ける」と力強く返ってくるとおもったのだろう、肩透かしの表情。やはり、今しかないのである。

 

息子はもう、父を卒業したのだ。そう思うことにする。中学生が小学校の担任にアドバイスをもはや求めないように、彼の世界で、父の言葉はもう必要ない。

さいころの素直な息子はもういない。あのときの濃密な関係、太い信頼に引きずられ、あれやこれやいうのはお節介というものだし、むしろ反発を生み、逆効果。飛び出した彗星は太陽を振り返らない。父が大事だと思うことほど、口にしてはいけない。父は、無言であることにつきる。今読んでいる『あとより恋を責めくれば』。大田南畝の小説。南畝の父も無言だったという。そう、彼のように。

待合ではぼくの携帯を借りて、先日の試合の動画をずっと見ていた。