この国で

春から同級の友人が二人、アメリカの西海岸に留学する。そのなかで出てきた話で「アメリカはこの10年で給料が1.5倍になっている。日本は変わっていないから、向こうの物価についていけない」という。二人とも医師で、日本では最も裕福な層に属する。海外からの観光客に頼るというのも、彼らの多くは日本の寿司しかり「安く美味しく食べられる」というコスパに満足している。現実は日本の文化の素晴らしさ云々だけでは、ない。

日本はもう先進国ではない。政治の劣化、昭和から代わり映えしない公教育、ぼくが働く自治体の遅い意思決定をみても、新しい時代にむけて迅速に変化を許容して対応する兆しはない。横並びを好み抜け駆けをさけ、階層に従順でまじめで礼儀正しい。良くも悪くももともと競争には向いていない。生産性と効率化、先駆者利益を追求する最適化された海外の組織には勝てるわけがない。それが現実として、すでに目の前にあるのだな。"Japan  As No.1"の時代は、機械のように遮二無二働く日本人の勤勉さと、人口が増えて若い労働力が豊富に供給されたことと、伸び盛りの製造業がマッチしたからだ。ビジネスの主戦場はもはやそこではない。でもまだ、その成長神話から抜け出せず、その脅迫観念が足かせとなっている。

子どもたちは、発展途上、いや退進国あるいは衰退国と表現したほうが適切な時代を生きることになる。ベンチャー企業を立ち上げる一握りの天才はもちろんこれからも登場するだろう。でも全体としては、このままでは経済成長できない。どの組織が個人の力を潜在能力を含めて存分に発揮できるくらい、生き生き伸び伸びしたものにならない限り、これはもう避けられない。人口は減り、老いるわけだ。スポーツのいいチームのように、組織の不自由さで一人ひとりのパワー殺されることなく、みんなが全力を出せる環境に変わるか。それができなければ成長をしないことを所与としてどうすべきか考えなくてはいけない。成長だけがすべてではない。成長を素直に求めるなら、多くの裕福な家の子どもがそうしているように、海外にとっとと出るべきだ。

まず、自分がどうやって生きていくと幸せか、それをちゃんと理解すること。世界を知ることと同じくらい、自分を理解することは難しい。でもそれから逃げず、自分を掴んだものはぶれずに強い。大きな波に飲まれることなく、立っていける。もう一つは、同じくらいの人口、経済規模だった頃の日本を参考にすること。明治・大正時代の人々がつくったもので、素晴らしいものはたくさんある。息の長い小説、建築、技術、娯楽、哲学など、当時の人が享受し、幸せに思っていたものはきっと手に入れることができる。そしてそれらは海を渡る。いいものを生むことは、想像力とアイデアと自己研鑽の努力次第でだれにでもできるチャンスが与えられている。そして幸いにして、それを世界に自分から発信して流通させられる術をこの時代は用意されている。この機会を活かせばいい。だけど、明日になったら忘れさられるような、インパクトだけですぐ人々の心から消尽するようなものは求めるな。

海外旅行にはもう行きづらいかもしれない。でも、衰退しても、幸せになる術は必ずある。家族を大事にし、地元に愛着と誇りを持って生きること。消費するのではなく、自分から何かを生むこと。立ちどまり、自分の呼吸のペースでひたすら問いつづけ、深く深く考える。それは慌ただしい成長国にはできない。その環境を自分にしっかり整えて、生む力を養った人ば強い。経済成長しなくても希望は必ずある。顔を上げ、目を開き視界は広く持ったほうがいい。その上で、がむしゃらに、夢中になって自分の追い求めたい深き世界をいくんだ。その先に世界は開ける。

上場企業の創業者が稼いだお金を、自分のSNSをフォローした人に配る試みがある。みんなができることじゃないし、それで救われる人も多々いる。一方で、それに違和感が拭えないのはなぜか分からなかった。あれは、アジアに旅行にいったとき、日本人だというだけでひっきりなしに無心される光景が思い浮かぶからだと気づいた。あれほどの切実さはない人も、クジ引きのように応募している。お金はできるだけ自分で仕事して稼ぐものであるべきという古臭い考えがぼくの中にあるようだ。どこかにひっかかる。何か大切な美徳を失っているような。

いやちがう。むしろ、生まれた場所の違いだけで生まれる富の偏り、億万長者が人々を簡単に翻弄することができる魔力。そんなお金がもつ努力や尊厳とは無関係の残酷さに脅威を覚えるからなのだろう。

渡米を控えた友人はいった。子どもたちの準備としては、日本のことをよく学ばせると。てっきり英語の勉強かなと思った自分が恥ずかしくなり、素晴らしいと思った。母国も自分の一部。それを理解して、はじめて実りある交流ができる。忘れてはならない日本の誇るべき良さもある。安全で、清潔で、健康で長寿で、秩序がある。そんな国は他にない。海外に出るのもいい。でもきっと、日本の良さを見つけることにもなる。どちらか、ではない。