「ねえ、お仕事すると、なんで疲れるの?」
「ナンって、何でできているの?」
次女。お風呂で。
「だれかを喜ばせるために、一生懸命がんばるから。だれかを喜ばせるということは、何かをあげるということ。アンパンマンもあげてるでしょ。あげたら、またジャムおじさんのところに戻るでしょ。あれ。」と説明したら伝わったようだ。
「喜ばせるから、お金もらえるの?」
家族を喜ばせてもお金はもらえない。ぜんぜんしらない他人を喜ばせるからお金をもらえる。
「ありがとう」とお金の関係も説明。ありがとうはお金とは本来は関係ない。思えばいえばいい。だけどお金をもらったら「ありがとう」をいう。お店でよく聞くのを想起したようだ。
夕食はカレーをみんなで食べにいった。ナンをつくるところを長女と次女はかじりついてみている。息子も前は見に行っていたが、今は行かずにアガサクリスティーを読んでいる。
長女が戻ってきて「ナンを初めて食べたとき、どう思った?」とぼくに尋ねる。
次女は作っているインド人が「最後手を振ってくれた」とうれしそうだ。
ナンは小麦粉と菌でつくられると説明。
「キン?」
菌を説明するのはむずかしい。「お団子がびよーんって伸びるようにするやつ。」
「インド人って、ドイツ語?」
「いやヒンディー語」
「ドイツ語がよかったな」
なんでか聞くと、いまよんでる『おばけずかん』の本でドイツ語で「すばらしい」という意味の語がでてきたらしい。教えてくれたが忘れた。
長女から「正規と非正規のちがい」を聞かれる。妻の保育士の話がきっかけ。これまた説明がむずかしい。スポーツチームの定員とか、クラスの先生の数などをたとえて話す。きっかけは医師と公務員、保育士、同じ国がきめた給与体系だけどあまりにも差が大きいという話から。もちろん医師の仕事はすごいし尊い。前も書いたが、公務員の事務屋よりは保育士の給料を倍にするべきだと心から思う。一方で医師は常に昼夜問わず助けなきゃいけないから時間もとられるんだぞという話もしておく。時間もあって金もあるのは投資家かなと息子がいうので、投資家は自分のコントロールできない波に左右されて四六時中気になってしょうがないはずと指摘。父ちゃんの知る限り、人を喜ばせて時間もあってお金もあるのは著作権にからむものだろう。でもちゃんと当てた一握りの人だけだけど、Youtubeの世界より、ちゃんと作り手を守る環境がつくられているし。
日中は我が家に長女と次女の友だち、小さな子どもたちがきて、かってにかくれんぼをはじめて、帰るときに「こんな家だといいな」とつぶやいて帰ってくれるのはとてもうれしい。息子は初めてぷよぷよをぼくに勝ったと喜んでいた。
息子は映画づくりにやはり興味があるようだ。映画の世界もみんなを相手にしてお金を稼ぐ大衆的なものを評価する世界と、一人の人がその生涯で一番好きだというような深い感動を与えるものを評価すると、作り手に影響を与える技術を評価する世界などがあることを説明。ディズニーのトーキー映画とか3Dアニメーションや、北野やゴダールのことなど。息子がわりとフンフンと聞いていたことからも、興味はやはりあるようだ。