読書メモ〜『金沢』

<『金沢』/吉田健一河出書房新社/1973>

・併しそこにその街の金沢ならば金沢の歴史があり、それを知ることで歴史が生きたものになる。内山が偶然に金沢というものを発見してこれに魅せられたのはそれならばその歴史によってだったと言える。

・金沢は京都以上に排他的な気分が支配している所である。

・それで時間がただたって行ったが、これがその間にどういうことも起こらないことを意味するものでないことはすでに書いたことで明らかである筈である。更に厳密に言って時間がただたって行くのではなくて人間に何が出来るのか。やはり既に書いたことで解る通り、これは或る所で何もしないでいた一人の人間にそこで起こった色々なことの話である。

・その前の晩にあったことは既に頭になくて人間がする大概の経験は時間が運び去ってくれる。それが前の晩からたった時間に過ぎなくても余程何かひどいことでなければ翌朝まで重荷になるということはまずなくて記憶にその時間が残ることは凡て先ず重荷であると見ていい。或る瞬間に生きることが喜びというものではないだろうか。それが我々が生きている時間に加えられてその時間が又ただ流れ始める。

・「何もないからですよ。」と答えた。「ここがこうなっていなければと思う所がどこにもないでしょう。この辺に川が流れていればということになる前にもうそこに川が流れていて築地の塀の上から植木が覗いているのがそこがそうなっている方がいいことを逆に教えてくれる。これが東京だったらどんなだとお思いになります。」
「併しそこに住んでいる人間がどうすればいいのか解らなければそうなる他ないでしょう、」と住職が言った。「そして勝手なことを考えるから少し変ったことをしようと思えばそれが変ったことでしかなくなる。そのうちに百階建ての役所が建つかも知れない。」

・そのように自分が住む場所に就てさえも住むことを他所にただ言葉に引っ張り廻されているのならばそこを出てやることが仕事でも遊びでもそれが仕事にも遊びにもならなくてその種類の人間が集る町もそのことを反映して荒れた。それでも人が生きているのだからその生命力は恐るべきものに違いなくてお伽噺にも怪物が出て来た。
 併しそこは金沢だった。

・そこの庭の向うに、その遠く下に犀川が流れるのを見ていると少なくともこの町にいる人間が時間がたたせるのでなくてたつものであることを知っていてその時間が二つの川とともに前からこの町に流れているという気がした。何故そうなのか考える必要はない。それが人間の生活の本来あるべき姿であるならば町でもそうだった。その度合いで一つの町が町であるかないかが決まり、これに合格しなければそれは単に人間と人間が作ったものが地表を汚しているに過ぎない。

 

・「そうですね、昔は広告なんていうものはなかった。昔はなかったものにどの程度に影響されずにいられるかで人間の生活の中身が決まるのかもしれません。金沢にいますとね、そういう意味では衣食住に不自由しないんですよ。」
・「もっと手っ取り早く言えば人間が変らずにいられる為に世界を変えるんです。」

・誰かが山に入って暫くたったと思うと木を切りに持って来た斧の柄がもう腐っていたというのがどこで聞いた話なのか、それが伝説であってもこうして犀川沿いの崖の途中にいると逆に東京を離れて金沢で過す一日が十年にも一生にも思えた。尤も東京にいればそれが又逆になる。併しそれは時を過すのに手間を掛けてであって人間が何代にも瓦って手間を掛けた犀川のような自然には時の過ごし方でなくて時が正確に過ぎて行くことを教えてくれるものがあった。

・そこに人が住んでいない家というのはその管理が行き届いていても、或いはそれがそうであればある程ひどく空ろな感じがするものでそこに會ては誰かが住んでいたのだと強いてそういうことを思うのでなければそこにいるうちにただ滅入って来る。内山が入って見た成巽閣も同じで折角その建物があるのだから博物館にしたのは解っても博物館はそこの陳列品に興味があるものの為にある。内山はそこに何を見に来たのか忘れていた。

・「昔の人間が自分と自然を比べたりしましたかね、」と主人が言った。そういう応対の仕方にも内山は金沢に家を持って以来馴れていた。「それよりも辺りを見廻してこれでよしと思ったんじゃないでしょうか、」と主人が続けて言った。

・そこに住む人間も、或は要するに人間というものも自然に穴を開けちゃいけないんですよ。それを知らせる為に血管は脈を打っていて月の影響を受けるのは海だけじゃない。月旅行というのはね、人間がそこの自然の一部になれないから下らないことなんです。」
「そう、月は見るものでしょうね、」と内山は言って夜になってもしここに月が出たならばと思った。

・そういう具合に降っている時に東京が一段と風格がある町になるかどうかは確かではなかったが金沢は明らかに一層この金沢という町になって或る朝内山が金沢の家で目を覚すと丁度その雨垂れの音が聞こえていた。

・「雨だと金沢が一層見映えがするように思いますけど」

・それならば今ここに二種類の時間がたって行っているのだろうかと内山は思った。

・大概そういう名所旧跡は全くつまらないものでなくても人が見に行くことになっていることだけで人を失望されるものがある。