現場での判断

ラストワンマイルの判断を現場で、対面で行う。結局そこで下した判断が一番正確だ。だいたいそれは、些細で細かいことだ。どっちでもいい、と思えたり、自分がしなくてもいい、と感じたりすることもあるだろう。でも、全体の質というのは、その些細な細かい判断の集積が決める。細かいことを蔑ろにしていないか。適当に判断して、あとあと無残な結果になったら、必ず悔いは残る。すべてが成功するとは思えなくとも、すくなくともその時点で、自分はベストな判断を、現場で、みんなで下した。そう思えることは、仕事の責任を果たしたと自分が胸を張るためにも、大事だ。もちろん、適当にしたほうが疲れないし、家に早く帰れる。でも、得るものは少ない。お金ではない。信頼である。仕事においても、信頼が最も重要だ。お金は信頼があってはじめてついてくる。

ラストワンマイルの判断は、どんな時代であれ、人間の仕事だ。大局的な判断を人間が行い、細かい作業はなくなると見据えた未来予測は欺瞞だ。人間は、具体的なこと、現場があることから逃れることはできない。責任と信頼は、そこに芽生える。大局的なことが大事ではないとは言わない。長期的な視座は不可欠だ。でもそれは、未来だけでは不十分だ。過去にも敷衍したほうがいい。過去は無数の具体の判断の集積だから。そして、過去の判断も参照しつつ、ラストワンマイルと必ずセットにするべきだ。未来思考だけでは抽象的になり、信頼されず、説得力を持たない。もっともらしいが当たり障りのない、抽象的な空疎な言葉だけを並べる役人やコンサルタントやコメンテーターが信頼されないのは、そういうこと。その領域こそ、機械に取って代わられる最有力だとぼくは思う。

ぼくが出会った一流だと感じた尊敬する方々は、例外なく、細かいところまで徹底的にこだわるし、現場をないがしろにはしない。