テニス教室

息子のテニス教室、クラスがようやく上がることになった。きいたら2018年6月から、いまのクラスだったらしい。1年半以上とどまっていたことになる。

近所の友達は息子よりあとから始めたにもかかわらず、そそくさと息子の今のクラスも卒業して上のクラスで長くやっている。にもかかわらず、悔しいとか、もういやだということもなく、なんで上がれないともいうこともなく、ただ淡々と毎回「楽しい」といって続けていた。負けん気の強かったぼくの小さい頃なら考えられないが、息子はそういうかんじである。

時間もながくなり、月額2,500円も上がる。血圧があがった。率直に「高くなるやんけ」と口にする。

「もうちょっと今のクラスのままでもよかったのにな」

「いいやん」

「まあな」

父も嬉しいのである。

ただ、妻にLINEでそのことを伝えると、「サッカーとテニス、そろそろ絞れ」と指示がきた。確かに、お金が足りない。

「申し訳ないけど、サッカー、やめてもらわんなんわ。お金なくて」

その後連れて行った図書館で本を選んでいる彼にそうを伝えると、顔が机にうつ伏せになって、悲しい顔でものすごく落ち込んだ。せっかく嬉しいことがあった矢先なのに、不憫なことをしたと気づく。これまでお金で彼がやりたい機会を奪ったことはない。だからなおさら彼が当惑していることが伝わってくる。

「お金ないのはおれのせいじゃない」と息子はいいかけた。だけど、途中でためらったのだろう、全部ははっきり言わなかった。お金より時間を子どもたちのために優先しているということ、彼もよく理解してくれている。

一連の悲しい表情を見て、やめさせるのはやめさせた。サッカーが冬季の狭い体育館になる10月までは続けていいことにした。お金はなんとかするしかない。

「ただ、サッカー、体育館になってからは、ものすごく狭いし、7000円は高いなあとおもっとる。10月になれば、何部に入るか決めて、もう中学校の準備を初めていいころだし、サッカーはそれまでにしよう」

そうぼくが本音をいうと、しばらく考えて納得してくれたようだ。「冬季の体育館でも上手くはなっているよ」と反論していた。手応えはあるのか。

にしても、中学校には硬式テニス部がないから、何部に入ることになるのだろう。最近の課題。みんな何かしら小学校からやっているスポーツをやるから、中学からはじめていては、試合には出られないようだ。

とにもかくにも、毎週送っている身としては、うれしい日であった。家に帰ると妻もまっさきに「おめでとう」といっていた。今度、妻もテニスしているところ、久しぶりにみたらいいのかもしれない。ぼくが娘たちをトランポリンに連れていって、役割を入れ替わればよい。