10歳

長女の誕生日。学校から帰ってきたら妻と長女で庭に飾り付けがしてあって、”HAPPY BIRTDAY”の文字がぶら下がり、テーブルが出されている。近所の子どもたち、同級生に祝われてお菓子やプレゼントをもらう。

ぼくが家に帰ると「はじめまして」と長女。朝行くときは厳密にはまだ9歳だったから。ご機嫌で、もらった一つがエコバックで、塗り絵ができるというもので、せっせと色を塗って可愛く仕上げていた。くちばしのながい鳥の絵。ぼくら親からのプレゼントはタロット占いで、説明書を読みながらカードを引いて、過去、現在、未来と占ってくれる。妻は仕事、次女は結婚相手、ぼくはお金のこと。

夕食は彼女が食べたいといったコストコの焼き鳥。音楽は彼女が聴きたい『幻の命』と『群青』。そのあとイチゴのタルトケーキにろうそくを立てて、ハッピバースデーを歌って吹き消して、食べる。息子が今日は長女が王様だからな、と優先権を与えている。次女も切ったケーキでどれがいいか選ばせていた。

次女が手紙を渡す。手紙は長文で、目一杯1ページにひらがなでびっしり書かれている。裏は姉の似顔絵とシャボン玉。色つけもこだわって丁寧に書いたことがわかる。文面は、日頃わがままをいって疲れさせていることを謝り、トランポリンの大会に出たことをねぎらい、憧れの存在だと褒めて、最後に大好きだと感謝を伝えている。思っていることを言葉にして、ちゃんと伝えようとしている素晴らしい内容で感激した。日頃わがままをいっても、ちゃんと優しくしてもらっているのは感じているのだな。長女の妹でよかった、と書いてあり、胸が熱くなる。

 

お風呂で二人になったとき、次女を褒めながら「ずっと仲良しでいてね」とお願いする。

長女は一番はやく寝床にいき、すぐに寝た。お風呂で「今日は楽しかったかい?」と訪ねたら「うん」とうなずいていた。ケーキのとき、プレゼントのとき、彼女の大きな口をあけてうれしそうな顔をするのを何回も見れてこちらも幸せな気持ちになった。終始テンションが高かった。いい日だった。

新車

息子の来月の誕生日プレゼントは新しい自転車。もう小学校のときのやつは小さくなったため。先に食って、新学期から通学でも乗り始めている。一年で一番気持ちいい季節である。毎日のように「チャリ行ってくる」とサイクリングに出かけている。

お手紙

次女が長女にお誕生日おめでとうのお手紙をせっせと長女に書いている。いつも妻とぼくに書いてくれているから、それを長女にも。ご近所さんの子にも書いている。中身はまだ見ていない。今夜渡すのだという。いつもケンカしたり、いいたいこといってかみついているが、さてどんな内容なのか。

大会

「わたしが、これまで一番かわいかったのは、いつ?」(長女)

娘の誕生日の前日、昨日はトランポリンの大会だった。くるくる回る種目ではじめて大きな台で飛ぶ。オリンピックでも同じ大きさらしい。緊張したらマルのことを思い出すこと、いつもどおりやればいいとアドバイス

本番は緊張しなかったそうだ。「失敗せずにできたよ」という報告。コーチからも「きれいだった」と褒められてうれしかったそうだ。小学生の部で28位。20位台が目標だったので、それは達成。本番でちゃんと失敗できなかったらから十分で、順位はついでだが、いつか一位をとってみたくなったそうだ。

「満足?自分がよかったとおもっているなら、よかっったじゃん」と息子。

今日、彼女は10歳になる。二桁。まだLINEにぼくの帰りが遅いと「何時?会いたいよ」と送ってきてくれる。焼きまんじゅう屋で話ししたおばちゃんには「似てる」といわれたが、メガネのせいだろう。中身はぼくの感受性をたくさん受け継いでる気がする。桜のきれいなころに生まれた子。

上の質問には、次女が生まれて妻とまだ入院しているとき、息子と長女を連れてホテルに泊まった時、プールで知らない間に水泳ようのオムツがぶよぶよになり、ウンコを漏らしていたときを挙げる。あのときは焦った。ウンコをトイレで処理している間に息子はイルカの浮き輪がひっくり返って投げ出され、溺れかけて自力で壁までいって事なきを得ていた危機一髪だったとき。いまでも語り草。

これからも、そのまま元気で。

焼きまんじゅう

「あたしは、あのお墓に入るの?」(次女)

ひさしぶりに家族みんなでドライブして、墓参りに行き、ぼくが育った山にいった。今回は息子もマルもいる。桜は満開からやや過ぎたくらい。焼きまんじゅうにもいき、祖父や母のことを店主のおじさんと話す。娘が三代目をやるらしい。創業70年。年中無休。初代は祖父と仲良く、お寺の報恩講では店を出してくれた。それをたらふく食べるのが少年の頃のぼくの楽しみだった。

「形をもっときれいにしたらという話もあるけど、ずっと昔から食べてくれている人が『変わったな』となったらだめだ。最近は『ソウル・フード』といわれてるようになった」

味も形も変えずに貫くのだという。価格も安価なまま。変えなくとも愛されて人気がつづく。規模も自分たちがコントロールできる範囲。一つの商売の理想形を見る気がする。息子も長女もとなりで店主とぼくの会話を聞いている。「半分こして食べな」と焼き上がるまでの間におまけで1つくれる。

やがて、次女もマルをつれてやってくる。「3人いたのか。ほいじゃ、ひとつ」と店主がまたくれる。思い出の風景、思い出の味を子どもたちに受け継ぐ大切さの話。この地に育っていなくても、記憶にとどめておいて、墓参りをしながら山にきて、饅頭を食べる。つらくなったときとか、それをすれば気が楽になることもあるだろう。先祖は偉大なものだ。

店主は母と同級生で、母の名前を覚えてくれていた。

「おれがこしあんが好きなのは、この饅頭のせいかな」と食べながら息子がつぶやく。

「わたし、あのおじさん大好き」と長女。元気な声で、ハキハキしゃべって、やさしい。家族で15個をたいらげる。

 

山を歩く。マルもがんばって崖を登っている。夏日の青空。遠くの山と海が綺麗にみえる。帰り道、先にいったマルと息子と長女と妻。笹の棒をおいてきたととりにいって、きぼりになった次女。桜の坂道をくだりながら、この山に昔、ぼくの祖母と祖父が住んでいて、お寺があったこと。二人はあのお墓に入っていることを説明する。

「パパも死んだらあのお墓に入るから。入れてね」

そしたら上の質問。「私も入りたい」まだまだ先のこと。

 

相撲場で息子から挑まれる。体重が違うから、まだまだ楽勝であった。長女が嬉々として行事役をする。桜が咲いていても、相変わらずこの山は人気がまばらである。多くのひとにとっては「裏山」なのだろう。それがいい。マルもときどき首輪を外して走らせることができるし、やはりここは我が家の庭のような存在だから。

草場の影から祖父母も喜んでいるだろう。

はなれ

春が来て、桜がさいた。息子が寝床を変えた。布団をはなれに持っていき、一人暮らしに戻る。家族で一番大きな一人のスペースが与えられ、邪魔も入らず快適なのだろう。暖房がないから、また次の冬は戻ってくるのかしら。中学2年生。もうとやかくは言わない。自分の行動は自分で決めて、責任はとることまではしなくていいが、少なくとも自分に対しては成功も失敗も自分が決めたこととして、納得するべし。

クラス替え

「だいたい、席は決まってくんじゃないの?」(息子)

昼ごはんのとき。野菜が食べたいらしくサンドイッチをご所望。スーパーで買ってくる。娘たちはトランポリンの友人たちと花見。

息子は明日新年度のクラス発表があるらしい。

「クラス替え、たのしみか?」

「うん」

「今のクラスはどうやった?」

今のクラスは担任の先生が2週間に1回、席替えをする。それが楽しみだったそうだ。新しい担任の下ではその頻度がふつうになる。それが懸念らしい。

「とうちゃんの役所、1年席が変わらんぞ」

「ゲー」という反応。それが自然なのだろう。一方で、学級の席が固定なのが、働く場所の硬直した座席配置のいい調教になっているのではないかと思えてくる。

「最近はフリーアドレスの職場も多い。席がどこでもいい」

その説明をしたら、ほうと関心を示しつつ、上の質問。ぼくの昔の職場はそうなったらしい。アメリカ企業は何でも早い。とりあえずやってみる。

「昨日座った席には座らないというルール決めるとかあるみたい」

「ゲー」

決めるより、決められることが楽なのだ。それをいつのまにか、学校で学んでいる。いつのまにか、決定力のないカチカチ頭に育つ。よくない。意識的ならなくてはいけない。