何を仕事にするか2

子どもたちへ。

何を仕事にするか、というのを以前、香山先生の本を引用しながら書きました。そして、いま佐伯先生の本『「わかる」ということの意味』を読んで、さらに考えが深まった気がするので、それを伝えます。

「好きなことを仕事にする」という視点は大事です。それをできているオトナは100人に1人いるかないか、くらいだとおもいます。そうできただけでも大成功です。だって、その場合「休み」が「仕事を忘れるための時間」である必要がないのです。好きなことなのだから、休みの日も考えるでしょうし、それが苦じゃないのです。とはいえ、身体や頭を休めたり、いい仕事をするためにも必要ですから休みはとってね。

そして、もしも残りの99人になったからといって、ガッカリする必要もありません。どんな仕事でも、前向きな気持ちを忘れなければ、やりがいをみつけることはできると思います。その仕事を、あとから好きになることもできるのです。

では、そのときの「やりがい」とは何か。そのときはもう一つの視点、「その仕事をしている『自分』が好きか」というのが有効なんじゃないか、と気づきました。それが、佐伯先生がいう「双原因性感覚」というやつだと解釈しています。仕事をする自分がいて、社会がある。そして、社会の視点から、自分を眺めてみる。その仕事自体が好きかどうかという方向だけではなく、働いて、社会に貢献できているか。その自分が好きと思えるくらい熱中できているか。そういう双方向の視点です。

例えば、誰かから頼りにされて「ありがとう」と言われたり、自分が仕事をすることで社会が少し良くなったと思えたり。それを感じられたら、それが「やりがい」になって、もっと仕事を好きになるだろうし、自分も生き生きできるはずです。

その視点で眺めて、自分を好きになれない場合だって、時にはあるでしょう。自分の正義感に反していることを仕事だと割り切ってやっていたり、上司や同僚と肌が合わなくて会社に行くことが嫌になってしまったり。前向きになれないことも、人間ですから、そりゃあります。

そんなときは、どうすればいいか。むずかしいな。もしもきみたちがそれで悩んでいたら、どうアドバイスするかな。勝手にそれこそ親の出番だと思って考えてみる。

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・一度日々の仕事と距離をおけ:休んでじっくり考える。自分が必要とされ、または自分がその仕事を必要としているかを見極めたり。そもそも、その仕事は、いつの時代から、なぜ存在しているのか、スケールを大きくして考えてみたり。悩んでいるときは視野が狭くなるもの。想像を思いっきり広げて、普段見えてない世界を見たり、いろいろ飛び出してみましょう。

・お金のことは、考えない:仕事の内容で考えましょう。判断がにぶります。お金はあとからついてくる。目的にしない。同様に、ステータスや世間体、みたいなものも一度横におくといいね、そういうのは世の中の流れで変わるから。

・信頼できる仲間に相談する:腹をわって話せる仕事仲間や友人に打ち明ける。そういう人の意見は大切。謙虚に耳を傾ける。

・直感を大事にする:頭であれこれ考えることは限界があって、考えた末に、最後は直感でどう思っているか、を信じるというのもいいと思う。思考は相対的な比較で考えがちだけど、直感は絶対的な評価に近いんだろね。

・自分が「壊れる」と思ったら、逃げていい:まだきみたちの小さい頃しかしらないけど、きみたちは、信頼できる大人になるように、まっすぐ育っているとパパは自信を持って言えます。親として、責任を持ってそうなるように育てるつもりです。ぜひ、その「まっすぐさ」は大事にしてほしい。それが歪められる環境にいると感じたら、とっとと逃げなさい。そのまっすぐさが生きる環境は、必ず他にあります。

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そんなところかな。また思いついたら書きます。

ちなみに、上の視点って、実際に働いてみないとわからないじゃないか、と疑問に思うことでしょう。そのとおりです。いろいろやってみるしかない。

とはいえ、これからは、会社が人を選ぶのではなく、よくもわるくも、基本的にきみたちが仕事を選べる時代になります。つまり選択肢は多いし、たくさんの誘惑にもかられるでしょう。ちなみにAIが仕事を奪う、が本当だとは思えない。むしろAIのための環境を整えて、セットアップする仕事が増えて、人間は忙しくなるのではないかとパパは心配しています。ケインズが「孫たちの経済可能性」で将来は余暇が増えると予想して外れた、あの再来です。日々の時間がテクノロジーによってどんどん切断されて細切れになって、皿回しの皿はどんどん増える。その傾向が今後も拍車がかかっていくでしょう。それは精神的にはどんどん余裕がなくなり、追い詰められる環境なわけで、自分が時間とどうつきあうか、その適度な距離のとり方、その術を意識的に身に着けていかなきゃいけない。お金の使い方より大事になると思う。

暇にはならない。では仕事をしながら人生を楽しんで、豊かにするしかない。その前提で、ただ日々が目まぐるしくまわり、忙しくて疲弊する、きみたちがそんな波に飲まれないためにも、仕事を選択する上では、むしろその変化には鈍感であってほしいと思います。労働の形態や働き方は多少変わるでしょうが、人間が人間の助けを求めることは変わらないし、むしろ「人間だからできること」が純化して、気がつけば機械が誕生する前の、古代からある仕事はより輝き、残りつづけるはずです。そちらに目を向けてほしい。たとえば農家や漁師やコックのように食べることと直結するもの、シャーマンや僧侶のように祈ったり、人の悩みの拠り所になるもの、建築家や職人のように暮らしを豊かにする知恵と技術をもったもの、学者のように人間と世界の関係を深く考えるもの、ドクターのように生命と直結するもの、保安官や弁護士のように人間ならではのトラブルを解決するもの、または作家、歌手や芸人のように喜怒哀楽をもたらすもの。などなど。そんな世のため人のための、「人間くさい」仕事が、ますます新しい価値を帯びて見直されるでしょう。

時代がどんどん新しいものを追いかければかけるほど、時代を遡行するような波もその反作用としてかならず出てきます。どちらが自分の判断に落ち着きをもたらすか。それは後者に立脚することだとパパは思います。あれもこれも新たに必要だと欲望を掻き立て続ける波が前者だとしたら、何が本当に必要かを見極めていく、ダイエットのように無駄なものを削ぎ落とす波が後者だからです。時間の審判が下されている。時の流れを味方につけるというのはとても心強いのです。

いやむしろ、後者の視点を忘れては、前者の波に乗ったとしても、その質を追求できずに判断を誤りかねないから気をつけてね。その方がアドバイスとしてはリアリティがあるかな。技術進歩の波からは逃れることができないし、残念ながら不可逆なものだから。

どんな時代、どんな環境でも、人間は人間でしかないし、基本的に地球と社会がないと生きられない。そういうふうにできている。そして自分にはウソをつけない。地球と社会と人間としての自分のいい関係。そうシンプルに考えたら、きっと選択肢はそんなにはないはずです。

要はパパの大事な子どもたちなので、きみたち自身も自分の気持ち、香山先生の言葉を借りればそれが「内なる声」ということなのかな、それを大事にしてほしい。その方が人生を楽しめるし、やる仕事にも誇りが持てるはずです。何かいつもいってることと何も変わらない結論になってしまったね。そんなもんだ。