何を仕事にするか

子どもたちへ。パパはきみたちが将来どんな仕事につくか、楽しみにしています。

もしも迷ったら、いいアドバイスをしてくれている本に出会いましたので、よかったら読んでみてください。パパがとっても尊敬する建築家の香山壽夫先生の本『プロフェッショナルとは何か』です。建築家の視点だけど、どんな仕事にも通じる話だと思うし、パパもたくさんのいろんな仕事をしてきて、世の中にはいろんな誘惑とか価値観があるけど、見失ってはいけない、大事なものは何かをきちんと書いてくださっています。

一部を引用します。

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・いつも充実し、夢中で、あっという間に時は過ぎて行きます。今日も、明日も、その先も、楽しいに違いない。そういう風に生きているのが、「プロ」なのです。

・「プロフェッショナル」とは、収入を得る手段、という意味なのでしょうか。本来の意味は、実は全く違うのです。(中略)医者、法律家、建築家、この三つが、社会においても代表的な大きな集団をなす、プロフェッショナルとみなされていたからです。そしてまたこのプロフェッショなるは、社会からも大きな敬意を払われ、それ故にまた、強い社会的意識を持ち、厳しい自己規律をもって働く人々の集団とみなされていたものです。すなわち、お金を稼ぎ、高い収入のために働くということは、むしろ反対で、自分の利益のためにではなく、社会全体のために働く、むしろ自分の知識や技能を人々への奉仕のために用いる人々とみなされていたのです。

・「プロフェッショナル(professional)」とは、言葉本来の意味で、”profess"した人、すなわち「告白」あるいは「宣言」した人、という意味です。(中略)社会に奉仕することができる自分の専門の知識や技能が、何であるかをはっきりさせた人、すなわち専門の学者、技術者等々を指すようになりました。

・自負とは、人の前に出しゃばり、威張ってみせることではありません。むしろその反対で、人が誰も見ていないところでも、自分は自分の持っている特別な力を、正しく用いるという自覚、そしてそのことを自分を超えた存在に誓い、約束をしていることでもあるのです。

・迷い、悩みは、人間が、自分の出来る全てではなく、その一つを選ぶようになった時からです。

・どちらもやってみたいのです。いや、むしろやるべきなのです。そういう風に、人は本来つくられているのです。いろいろやれることを、やってみることを最大限やってみることが、若者の特権だと私は思います。可能性を悩むのではなく、可能性を最大限楽しむ、それが若さということです。

・いろいろなことをやり、その中で苦しみ、闘い、努力するなかから、たとえおさえつけられても、おさえつけられても、最後に伸びてくるものがあれば、それは、本当の才能と呼ぶべきものでしょう。

・私が、進学の学科を決める時、世界は、造船ブームに湧いている時で、造船学科志望者は殺到し、競争率は最高でした。しかし、卒業の時にはブームは去っており、就職にはまことに少なくなっていたのです。このような、短期的な経済事情に対応する進学傾向の推移は、その後も、学生達の判断を左右しています。愚かなことです。

・正しく選んでいる人には、一つの共通性があると思います。それは、どんなに悩み、様々な意見を聞いて迷うにしても、最終的に、自分の内で、自分に話かけている、静かな、内なる声に耳を傾けて、それによって、最後の決断をしていることです。

・才能があるかないか、と考え悩むことは、よした方がいいと、私は思います。それよりも、その仕事をやることが好きか、ひとつの仕事をやり遂げるためには、必ず何かの苦しみが伴うはずですが、その苦しみ自体も面白いと受け止められるか、そのことを自分に問いかけてみることが大切だ、と思います。

・結局、一言で言えば、始めにもどって、仕事が好きかどうか、ということに帰着します。毎日の仕事、その仕事をやること、続けること自体が楽しいかどうか、それが全てだということです。

・仕事の面白さは、その結果ではなく、その過程、毎日の営みの内にあることを、よく知って下さい。仕事の結果として、名声や地位や富が得られる人もあるでしょう。得られない人もあるでしょう。しかし、富を目的にして面白くない仕事を選んだ人の人生は、たとえ巨万の富を得ても淋しく悲しいものに違いない。その反対に、毎日が働きの内に充実している人は、たとえ無名のうちに終わったとしても、幸せに輝いていると私は思います。

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パパには、ここで紡がれている言葉の数々がズシンと胸にささります。香山先生の経験なさったものに比べたら微々たるものでしかないけど、パパも社会人になり、仕事をするようになって以来、これまで苦しんだり、迷ったことがたくさんあったけど、そのときに、ここで述べられている、仕事の「根本」に立ち返っていれば、判断を迷わなかっただろうなぁと「しみじみ」感じます。

きみたちはまだ働いたことがないから、「しみじみ」感じることはできないでしょう。「よくわからないけど、そんなものなのか」と思うだけかもしれない。それでも十分です。それとも、「当たり前じゃん」と思うかもしれない。それも結構。でも、実際に長く働いてると、その「当たり前」が分からなくなってくるものなんだ。「当たり前」のことを、変わらずにずっと持ち続けることは、実はすごい修養と努力がいることなのです。不思議でしょ。

「自分で判断」すること。そして、「苦しいことがあったって、それも含めて『面白い』と夢中になれて」、お金や地位に惑わされず「自分を社会の役に立てるよう決意すること」。それらを大事にして、何を仕事にするかを楽しみながら、悩んでくれたらうれしいです。仕事は、人生においてとてもたくさんの時間を占めるものです。パパは、きみたちに「生き生きと」働いてほしい。そう願っています。