快挙

今週は月曜日から金曜日まで全部夕食をつくった。子どもたちのお風呂、歯磨き、寝かしつけ、洗濯、掃除、布団干しもした。芝刈りはできなかったな。豚のしょうが焼き、鯛の煮付け、豚肉と大根の煮物、ポトフ、ズッキーニのチーズ焼き、ブリカマの塩焼き、などなど。トマトやトウモロコシにも助けられた。

この生活をはじめるまで、はずかしながら家事は妻に任せっきりだった。やったとしても、どこかで「やってあげる」という意識があった。だから自分から進んでしようともしなかった。やっても、妙に疲れた。

人間変わるものだ。いまはやらないと自分の気がすまない。自分ごとになった。疲れることは疲れるけど、やらないほうが精神衛生上よくない。何より、気持ちがいいからやるのである。

家事は手を動かせば動かすほど、みるみる目に見えて成果が出るから面白い。努力は報われる世界。心もスッキリになる。もっと早く気付けばよかった。

手を動かしているときは頭も動く。これも大きい。ひとりでゆっくり物思いにふけるから、頭もスッキリする。

でもあっという間に時間が経ってしまう。一日が早い。この時の流れがもっとゆっくりになれば、もっと最高なのにな。

家事は空っぽに向かっている。シンクにしたって洗濯カゴにしても冷蔵庫、ゴミ箱にしても、空っぽにするために動いている。生きていると、空っぽの穴にそれぞれまた自然と溜まってゆく。それをまた、空っぽにひたすらする。その繰り返し。

空っぽにすると、その分入ってくる。頭も詰め込むのが目的ではなく、空っぽにすることを目的にしたら、逆に外からいろいろ入って来ていいかんじなんじゃないかな。家事をやっているときに頭はそんな感じだ。そういえばミスチルの櫻井さんもいい歌詞や音楽が「降ってくる」のは炊事洗濯をしているときだと言ってたな。いわば、家事をやって億万長者になっているわけだ。ぼくの場合は音楽はもちろん、金目のものは何も降ってこない。ただそれだけの違い。空っぽにしてるのは同じなのである、きっと。

色即是空は好きな言葉だ。