半分過ぎてる

ぼくはもう43歳で、ふつうに考えたら、寿命はもう半分をとっくにすぎてるから、あとは帰り道。いままで会った人に挨拶しながら、最後は母の元へ帰る。新しい出会いは、仕事を通じたら、偶然に素敵なものも、まだあるかもしれないけど、それ以上は増やそうと思わない。むかしは会いたいとおもったら会うように努力したけど、あれは往路での話。復路は後始末をつけていくほうがよかろう。

うれしいことがあった。高校の母校バスケ部の顧問、5年くらい前から知り合っていた数学の先生が、母が自営してた小さな塾の教え子だった。母のことを、ちゃんと覚えてくれていた。母のことを一緒に語られる人はもう限られている。貴重な存在だ。塾の小さな建物、ちゃぶ台が並んだ教室の部屋のことも。

父に伝えたら、母も知ったらきっと喜んだろうとのこと。

母はむしろ、わかっていて、こうして導いてくれたのだろう。

その先生の教え子が、地方の人口減少をテーマに探求しているという。それに対してアドバイスするということで、ぼくが呼ばれた。せっかくなので、場所は図書館にした。たまたまその日、母の名と、読みは違えども同じ漢字の友人も、東京からきていた。彼女に会うほうが、その生徒にも刺激になるだろうとお願いして、合流してもらった。やはり彼女はぼく以上に、示唆に富むアドバイスを、世界の最先端を知っている立場から、たくさんしてくれた。

母からのプレゼントのような、胸が温かくなった感動の一日だった。寿命はいつまでかわからないけど、未来はもう見なくてもよかろう。少しずつ、母の足跡をたどりながら、お導きに逆らわず、元へ、戻ろうと思う。そして今度は、素直に感謝を伝えて、親孝行するんだ。