花が咲いたら

登山での出会い。泊まる山荘で、高山植物の観察会とレクチャーがあった。これまで、花に興味をもったことはなかった。子どもを連れてこない単独登山は視野を広げる。足元に咲いている百花繚乱の小さな花たち。たしかに一つ一つを見ると、美しい。登山道を彩る花々が、フルマラソンの応援に見えてきて、道中、元気をもらう。

レクチャーではひとつひとつの花の話が実に興味深い。種子を残すための寄生や虫を惹きつける処世術。人間は臭いと感じるが、受粉の立役者のハエを呼ぶ匂いを放つ花。フェロモンを出すためにわざわざ毒素をもつ花を食べるアサギマダラのオス。熊も冬眠から目覚めたら毒のある花を食べてお腹を壊し、冬眠中に溜まったお腹の毒素を吐き出すデトックスをする話など、人間の人生訓にもなりそうな小話の数々で示唆に富む。

「花が咲いて、種を残したらその植物はすぐ枯れます。種子を残したら、お役御免なのです」

説明員の方はボランティアで普段は会社員をされているそう。高山植物に興味をもったのは50歳を過ぎてから。息子さんが中学になり相手をしてくれなくなったのを機に取り組んだそう。わざわざ2千メートルの高地まで定期的にきて、泊まりこみでボランティア。頭が下がる。子離れした親、かくあるべし。

花々、青い空、太陽と熊の動き、滝の音、山の緑。自然を美しいと思える感覚が、自分に残っていることを確認して、心安らぐ。「美しい」という感覚は、ぼくと自然の生態系を繋ぎ止める唯一の命綱だ。自分の存在なぞ、なんと小さいことか。ハエはえらい。ちゃんと花を育てることに貢献している。ぼくはこな地球で、何の役に立っているのだろう。遮るものののない、丸い空に包まれた山頂で、ぼくたちは、空と大地のごくごく薄い表面で暮らしていることを実感する。見えていないところがほとんど。大地は、深くて大きくて、固い。