坊主と全体

バレー部は坊主が半強制だといまさらわかり、先輩方が次々坊主になっているそうだ。なぜ先に堂々と説明しないのだろう。「強制ではなく自主的なもの」うんぬんなのだろう。オフの日は月に1日あればいいらしい。顧問もよく子どもたちのために働いてくださるものだ。 

 

息子は3年生の時、ぼくが風呂場で坊主にした。いやな思い出らしく、その後髪は伸ばしている。今回どうするか、態度はまだ明確にしていない。日本に残る全体主義のかけら。どうなるかな。「坊主はとにかく便利だぞ」と経験者として教えてあげる。

それにしても、なぜ坊主は全員に押し付けられるのを認められるのだろう。バリカンでだれでも簡単にできるからか。モヒカンを押し付けてはなぜだめなんだ。坊主になる半分手前で止めればよい。

 

夜の宿題のとき、「公務員の仕事の面白いところ、つらいところ、なんでなったか、どうやったらなれるか、なりたいひとへ一言」をインタビューされる。なんかの宿題らしい。本音で語る。事務屋の給与に見合わない生産性の低さや風通し悪く外に水が出て行かない沼のような組織における年功序列の弊害など、辛口というか愚痴を笑いながら聴いている。全員坊主どころじゃない全体主義のど真ん中のような組織の話。

 

「安定を求めて公務員になりたいという人はなってほしくない。ぜったい公務員なんかになりたくない、と思っている人になってほしい」と伝える。根っこで公務員なんざ、と思ってなきゃだめだ。身を捧げる奉仕者なんだから。

安定を求める者の多くは、中で適応しやすく、自分なりの価値観もないから出世に価値をおく。ゲーム的だ。自ずと中ではヘコヘコして、外に対してはえらそうに振る舞うようになる。本来は逆であるべきなんだ。そして、定年退職を懲役のように心待ちにするのではなく、奉仕することを仕事として認められた限られた期間として、一日一日を大事にするべきなんだ。

そこまで言っておけば、万が一将来公務員に息子が興味を持ったとしても勘違いはしないだろう。