お弁当

学童のお弁当をつくった朝。卵焼き、アスパラときのことベーコンの炒め、豚肉味噌焼き、おむすび、オレンジとバナナ、サラダなどなど。長女もこの三月で学童はおわり。1日いたいそうだ。弁当をつくると、息子と次女の朝食もワンプレートみたいにバランスよくなり実に良い。

終業の日

息子と長女が3学期を無事に終えた。いつものことだが、通知表の一番裏の欠席日数をぼくは重んじておる。ふたりとも、すべての欄に0がずらり。圧巻である。1年間、しっかり元気に学校にいってくれた。それ以上を望んだらバチが当たる。たくさん褒めた。

長女は担任の先生に最後、ひとりで近寄って「1年間ありがとうございました」といったらしい。先生はそのまま産休に入る。「元気な赤ちゃん生んでね」も言おうとしたそうだが、言えずに泣いてしまったらしい。先生が「泣かなくていい」と頭をなでてくれたそうだ。そのあと、その姿をみていた女子が次々先生の元にきて挨拶をしていったらしい。

息子も教室を出るとき、担任の先生に「ありがとうございました」と挨拶したが「さようなら」とあっさり。いかにもオトコ教師と男児っぽい。対象的だ。

怪我

「ねえなんで、首がぐぎってなると、死ぬの?」(長女)

「血って、身体のぜんぶに流れているんでしょ。血がでるってことは、血が流れるところがこわれるってこと?ぜんぶこわれたら、どうなる?」(次女)

「骨って、折れたらつながるの?」(次女)

寝床で寝かしつけのとき。怪我しないように、気をつけて大事にしてね、って話と一緒に。

次女が先週、長女のサッカー教室のとき、となりで遊んでいたら、大きな石を持ち上げて、それを落として中指の先が怪我をした。爪の下が内出血してぜんぶ黒くなってしまった。痛かっただろう。以来皮膚科にいって、ずっとガーゼを巻いている。お風呂もビニールで保護するので片手が使えない。少しずつ良くなっているみたいだ。怪我をしたことでいろいろ関心を持ったみたい。膝も擦りむいてかさぶたができていたり。

運命

「ウンメイって、何?」次女が、息子に。

「父ちゃ〜ん、運命ってどう説明したらいい?」と階下から次女に尋ねられた息子に聞かれる。

「説明してみ」と突き放す。

やがて次女が階段を昇ってくる。

「運命、なんでいってた?」

「『かえられないもの』っていってた」

「そうだね。たとえば、パパとママの子どもに生まれてきたこと、これ運命。3人目として生まれてきたこと、これも運命。自分で選んでなくて、そうなってることかな」

わかったようなわかってないような返事をしていた。無理もない。

 

全力育児

今日は、晴れて温かいものの、風は強い一日だった。子どもより先にバテた。

長女と次女のトランポリンに、息子を連れて行く。ぼくの到着をまって、妻が体育館を出て仕事にいく。長女は「腹・腹」と呼ばれる技を初めて成功した。次女は一回転の練習をするも、半回転でとまる。逆向きの回転だとすんなり一回転したことがあって先生から不思議そうに「右利きですか?」と聞かれて「そうです」と応える。ひょっとしたら、ぼくの左利きの血がまざっているのかもしれないと思うと、少しうれしい。息子は体育館に入らず、最後まで外でサッカーボールを蹴って遊んでいた。

その後、息子のテニス教室に送るが、車中で「お腹すいた?」と尋ねるとみんなそうだというので、スーパーに寄ってサンドイッチを買ってやる。みんなご所望のフルーツサンドは1つしかないので、みんな二切れずつ分け合う。

息子をテニスに落として、長女次女を公園につれていく。近くの公園にしようと思ったが「遊具があるところがいい」と指定されて、少し距離はあるがそこまで連れていく。

二人の遊具で遊ぶ姿をみながら、Uターンしたてのころの息子の姿を思い出す。もう息子はサイズオーバーだ。

遊具にあきたら、池にいって、石の上を歩いてわたったり、寝転がったり。

サッカーボールを持ってくると、長女がくいついて、ボールを取り合ったり、ドリブルのボールさばきのテクニックを披露してくれたり、パスをしあったり。2年間サッカー教室に通った成果を感じる。リフティングは最高記録7回だそうだ。次女はその横で知らない兄妹と遊びはじめた。時間になったので、息子を迎えにいく。テニスをやるところはあまりみれなかったが、長女から「ねぇ私もテニスしたい」とおねだりされる。

その後、図書館につれていく。それぞれ、じっくり読んでいる。次女も静かに本をめくれるようになった。最後に「紙芝居を読んで」とお願いされるので、2つ読む。

時刻は3時40分。長女のサッカー教室もあるので、図書館を後にすると息子が「腹減った」というので、また別のスーパー、といっても系列は同じところに立ち寄る。今度はフルーツサンドが複数あるので2つかう。サンドイッチも買う。車中でバクバク3人とも食べる。

家に向かう道中で、ぼくが疲れて休みたくなってきた。長女と次女もさすがに疲れて車で寝るだろうとおもったが、まったくその気配はない。家に着く前に「あと30分したら、サッカー今日は一人でいってね」と長女につたえる。家について倒れるようにぼくがこたつにはいる。長女や次女はまだ遊ぶ気満々である。次女が長女を「手を洗って、うがいして、そこから一緒に遊ぼ」と誘うが、長女は「サッカー行かなきゃ」ということで断っている。「まだサッカーの時間まで少しあるよ」とぼくが言っても「もうやってるよ」と、水筒に水を補充して、さっさと一人サッカーに向かってしまった。

次女はアマゾンビデオでドラえもんを見始めて、息子は静かにこたつで借りてきた本を早速読んでいる。ぼくは起き上がれない。こたつでそのまま、バスケに出かけるまでの1時間ばかしうたた寝。妻が帰ってきてサッカーが最後だから行くといっているが、それでもぼくは立ち上がれなかった。もちろん最後のサッカーをみたい気持ちがあるが、身体がいうことをきかない。先々週、ちらっとみたので、それで良しとしようと自分に言い聞かせる。今日公園でサッカーを一緒にしたのも救いである。

長女の習い事に一つ、区切りがついた。やめたのは初めてだ。コーチの指導も常に前向きですばらしく、とても充実していたが、ほどよいタイミングだったと思いたい。長く続けたら未練が大きくなることを息子のときによく分かった。

次女はバレエよりスイミングをやりたいらしい。

子どもより、体力がないことを知った日。

死への感覚

昨日はイワシを刺し身で食べたくて、初めて3枚におろした。5匹のイワシをさばきはじめると、血がでたり内臓がでたりして、長女と次女がまな板を覗き込んで、しげしげとみている。

「生きてる?」

もう死んでるよというと、まだ手つかずの4匹を2匹ずつ、むんずとそれぞれつかみ、踊ったり、人形遊びのように弄びはじめた。悪気はない。

その様子をみていた息子が「やめな」と静止する。「かわいそうでしょ」

「なんで?もう死んでるよ」と次女。

「死んでても、だめだ」

「なんで?もうしゃべらないよ」

ぼくも息子の感覚は正しいと肯定した。やはり解せない次女。

息子は自分の身になって考えさせるように諭していた。

「そうだったら、いやでしょ」

「うん」と次女。伝わったようだ。

残りのイワシはまな板の上に戻ってきた。同じようにさばいているのを、長女は最後まで見ていた。次女は少し興味を失ったのか、見に来たりこなかったりした。

息子が死んだ生き物に対して慮る気持ちがあるとわかり、ほっとした。わからないが、あの強烈だった鳥を締めた経験が、活きているのかもしれない。