保育園親子キャンプ

従兄が帰ってから、そのまま保育園のイベント「親子キャンプ」になだれ込んだ。家族全員で参加で一泊二日。園庭におのおのの家族がテントを張る。天気に恵まれて最高のキャンプ日和である。

ぼくは息子と長女と裏山に行って山菜をとりにくワークショップに参加。園長先生が裏山で採れる山菜の種類を教えてくれる。バカのひとつ覚え、今日はミツバを覚えようと決めてミツバだけを探すと一帯にミツバだらけの場所をみつける。長女も興味を示して「これ、ミツバかな」と一つを採ると、「先生にきいてくるね」と先生のもとへいって「ミツバだって」と帰ってくる。「匂いがミツバだって」というので、匂いを嗅いでみる。ハーブらしいスーッと爽やかな匂いがする。30個くらい採ったかな。

一区切りついたので、みんなが裏山のテッペンを目指して登っていったから最後尾で長女と一緒に登ってゆく。息子は友だちと先に行ってどこで何をしているか分からない。長女は普段から登っているし、体力も体幹も鍛えられているのだろう、ぼくが追いつけないスピードで決して緩やかではない獣道をシャンシャンと登ってゆく。先日の参観日で同じコースを次女といったときは次女はたどたどしかったし、最後は転んだり泣きながら降りてきた。たった2年の差なのにここまで違うとは。

裏山のテッペンに行くとみんな朴葉の葉という大きな葉っぱを狙い撃ちで採っていた。この葉に肉を包んでやくととても美味しいのは去年の親子バーベキューでぼくも教わった。朴葉の樹は5メートル位あって、大人たちがその幹をグイッと倒して上のほうの葉っぱを子どもたちが倒れている間にキャッキャいいながら採っている。長女も遅れて参加したけど分けてもらったり自分で採ったり沢山手にしている。山のテッペンにはいろんな高木があって、見上げたら沢山の新緑の葉っぱが空を隠している。木陰なので涼しくて、木漏れ日が気持ちいい。ここを庭のように普段から遊べるこの園児たちはむちゃくちゃ贅沢だ。スイバにドクニンジン、長女はぼくより既に沢山の種類の草を知っている。

山からの帰り道もスタスタ駆け下りていく。その頼もしい背中をみながら先生と会話。「子どもは本当に飲み込みが早くて、ぼくもみんなにもう置いていかれますよ。できるだけ連れてきてあげたいとおもっています」とのこと。担任は男性の先生。世界を広げてくれる。ありがたい。

山から降りたら今度はその山菜を洗ったり小さくしたりの内職を先生とおしゃべりしながらやる長女。大人と子どもの隔たりを超えて女子の輪ができている。

それにしても、長男は友だちと遊んでばっかりで父のことなどそっちのけである。園児だったころの同級生たち。この園のOBなので、裏山も懐かしいのだろう。動き回っている。

次女と妻はたけのこ処理班として作業をしていた。夕食のメニューは山菜の天ぷらと筍ごはんと筍煮。そしてバーベキュー。ご飯は羽釜で炊かれる。大人たちはテントを張って、電灯などを設置して、火を起こす。園庭から海がきれいに見える。

ぼくはご飯を炊く羽釜の火の番を園長先生から命じられる。息子が園児だった頃から教えられてきたことだし、大好きな作業。喜んでずっと火の前で薪を黙々とくべ続ける。

保育園のキャンプが、普段のキャンプ場でのキャンプと決定的に違うのは、子どもたちで遊ぶから子どもがそばにいないということだ。園庭だから安心して遊ばせてられる。世話をしなくていいことはもちろん、大人同士の会話がメインになる。日がゆっくり沈むにつれて赤い火が目立つようになり、火の回りに大人たちが座って宴会が始まる。

ぼくも火の番に一区切りつけて、ママ友やパパ友、先生とワイワイ盃を交わす。子どものことを気にせずに飲めるこの時間は普段なかなかなからすごく貴重だし、共通の話題も沢山あるから実に楽しい。担任の先生がいかにこの職場が恵まれていて、働くことが楽しいかを話してくれる。最初に赴任した幼稚園では相当苦労をしたそうだ。なのでなおさらそれをかみしめることができるそうだ。

この親子キャンプも、一般の保育園では行われない類のもの。休日返上して先生は泊まり込むし、準備も片付けもしてくれる。それでも企画して実行してくれて「楽しいですから」とおっしゃる。頭がさがる。子どもたちは親では与えられない世界、自然の面白さを身をもってを体験させてもらっている。

初めてお話したママ友、パパ友にはインドネシアからの留学生一家や東京からの移住組のご家族もいたり、バラエティに富んだ新しい出会いがあった。この環境のすばらしさに気づいて都会から引っ越してくる流れは少しずつでき始めているのかもしれない。

子どもが寝た後、園長先生がギターを弾き語り、それにあわせて主任先生がアコーディオンを、担任の先生がパーカッションをあわせて即興バンドをやり始める。栄光の架け橋やハナミズキ。息の合ったセッションをみて、三者三様でありながら互いに支え合ってチームとしてバランスの取れたかんじ、よく揃ったものだと感じ入る。このお三方には息子の在園児からお世話になりっぱなしだけど、いつも生き生きしていて、自分たちが楽しまなきゃ楽しい保育はできませぬ、という能動的なとこが好きだ。事なかれ主義では生まれないし実行し得ない企画を次々やってくれて、プロ保育って何かをみせつけてくれている。我が子たちは幸せだと思う。テントをみるとチャックの入り口の一番下に息子の顔が出ている。辛うじてこの唄を聴いていたようだ。その後力尽きて寝た。時間は0時を回っているから、限界まで遊んで起きた一日だったようだ。

それにしても彼とはこの数日ほとんど話をしていない。今月で10歳になる。ついに周回軌道を離れ、自分の軌道に飛んでいった感がある。これまで悔いのないように一緒に時間を過ごしていっぱい愛情を注いだから、燃料は沢山入っているだろう。エンジン全開で飛んで行け。親は寂しいが、これは仕方がない過程なのだ。これからは海外や遠くに連れていってあげるくらいかな、父親だからできることって。

ママ友の一人が「中学校になると部活があるから家族で遠出ができない。それまでの時間って本当に大事」という。そうなのか。だとしたら、我が家は泣いても笑っても3年弱だ。

朝起きると、息子は友だちたちとヤギにエサをあげ続けていた。大人たちは昨夜の宴の片付けをしたりテントを撤収したり。さすがに身体に疲れがある。手作りのピザ窯でピザを焼く朝食。園長先生がピザ窯の前で百枚くらい焼き続けてくれていた。デッキでみんなが食べ終わった頃、主任先生がちゃっちゃと掃除や片付けをして食べ残しやらゴミが目の前から消えている。ピザのトッピングのための玉ねぎやら切ったりを朝早く起きてやってくれたそうだ。夜遅くまで一緒に飲んでいたのに。

人見知りのぼくではあるが、このキャンプは楽しい。たいていの飲み会は最近行く直前になると憂鬱になるのだけど、保育園関係はならない。同じ環境で一緒に子どもたちを育てているというのはすごく大きい気がする。また秋が楽しみだ。

キャンプが終わっても、遊び足りない子どもたちは友だちと公園に遊びに行った。ぼくは力尽きて妻に任せる。よくもまぁそんなに遊べるねというくらい子どもたちは底なしの体力で遊んでいたが、次女は翌日高熱がでた。兄と姉についていこうとがんばって、オーバーヒートしていたのだろう。

家に帰ってきて、ありきたりな「家が一番落ち着くわ」をつくづく思う。疲れたけど、心地よい。