唄から

世界の終わりに「幻の命」という曲があって、なぜか子どもたちの食いつきがよい。車中で繰り返し再生するように命ぜられいつしか3人とも歌えるようになってしまった。病院で赤ちゃんが死ぬという決して楽しい曲ではないのだけど。

「僕もいつの日か星になる 自由が僕を見て笑う」という下りがあって、長女が「『自由』って何?」と訊いてくる。自由って何か。ボブ・マーレーが歌ってたぞ。5歳にどう説明すればいいものか思案する。というか、ぼくもよくわかっていない。

「自分がやりたいことを、やることだよ」

運転しながら、ひとまずそう応えてお茶を濁す

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20年前

今日はセンター試験らしい。ほろ苦い記憶が蘇る。20年前もこんな天気で曇天に雪がひたすら降っていた。行きは母の車で行って、帰りはバスだったかな。会場の入り口を入る光景をぼんやり覚えている。試験会場の教室の記憶とかあまりない。あのとき、学年で成績は後ろから数えたほうが早くてずっと劣等生で、全国どこの公立大学も入れませんと担任に言われて教育ママだった母親はショックで倒れそうになりながら帰ってきてた。同じバスケ部の友人たちはみんな成績がよかったら、テストの出来を話し合う輪に入れなかった。「おまえは友だちやけど、こと受験勉強になると別枠」という空気があって、そのテーマになると自然と居場所を変えた。夏に部活が終わってから、どんどん居場所がなくなっていった。成績も覚えていない。散々だったはず。英語か国語かで、試験時間がおわる寸前にマークシートの番号の並びを勘違いしていたことに気づいて、焦って消して書き直そうとするのだけど、やがてそれもアホくさくなり「こんな点数にしがみつくくらいなら、大学行くなってことだろう」と開き直った記憶だけある。

ひねくれてたし、とにかく異常なまでの反抗期で、価値を決めつけられることがいやで、あまり気にしていなかった。なんで受験をしたかというと、家をとくかく出たい一心だった。激しい夫婦喧嘩が毎日のようにあって、母の生きる希望であったぼくは人生を押し付けられているようで苦しかった。どこかに自分としっくりくる居場所があると都会に夢をみた。でも今思うとあの反抗のしかたも、所詮田舎者のごく普通の、ステレオタイプなものなのだけど。

奇しくもいまその大学の近くに居を構えるようになった。雪の山道を車で走ると、いやでも記憶が蘇ってくる。すぐそこの会場に行って、20年前のぼくと出会ったとしら、何と声をかけるだろう。そもそも、将来自分がこういう人になっていると知ったら、さぞがっかりするだろうしな、何をいっても聞く耳をもってくれない気がする。「おれはお前とは違う」とかいわれそうだ。それでも伝えたいことは二つ。

一つは「都会は楽しいぞ」ということ。おまえの直感はあっているから希望を持て。高校のときの孤独を恐れなかった頑固さがあったからこそ、その後も息の合う楽しい仲間とたくさん出会える。浪人して家を出て、求めていた自由を得るし、そこで心を入れ替えて自分の意志で楽しく勉強できるようになるし、もともと友だちは大事にするおまえだから、ここは心配しなくてよい。

そしてもう一つ。言っても無駄だとおもうけど、母は大事にしろということ。それをやりきらなかったから、おまえの気に食わない人生を、今のぼくは自ら進んで選んでおる。親からもらった恩を子どもに返すことを優先するという人生だ。もっとも、それでよかったと思っている。気づいていないか、そういうふりをしているとおもうけど、どこかでおまえは子どもがピリピリ緊張しないですむ、普通の両親に育てられる家庭というものに憧れている。そういうものの存在を信じたいはずで、それは全うしているつもり。そして、両親とも自営業で子どもを育てるという大変さ。特に家事も全部こなし、我が子の世話をし、ひとりで塾も切り盛りし、布団までいく力もなくリビングで倒れたように寝る。しかも睡眠時間は毎日数時間だけ。そんな母親の偉大さは、お前も親になればわかる。親の背中は20年たってもまだまだ遠いんだ。勉強はしなくていいから、自分のことは自分でやって、家事の一つでも手伝ってあげてくれ。

それでも、「うるせーよ」というだろうな、あいつは。先輩面しても、あの頃からぼくは、それほど変わってはいない。

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選んだ言葉

息子に寝る前に妹二人が可愛いか尋ねたら素直に「うん」と答える。んじゃ、それぞれ何が可愛いか教えてとお願いしたら、長女は「にぎやか」、次女は「おもしろい」のだそうだ。なるほど、そのとおりだな。二人のキャラを捉えて、的確に言葉を選んでいる。大きくなってもそのキャラは変わってないような気がする。いつまでも仲良しトリオでやってほしい。

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起き方

我が家で体内時計が一番ちゃんとしているのは長女で、21時には眠たくなり、6時半には自然と目覚めている。一番早起きなので、ひとりの時間がある。我慢できなくなると、寝坊している妻やぼくを起こす。

こないだの週末の朝は珍しく次女と妻とぼくが先に起きた。そしたら寝床で起きた長女から声が聞こえる。ロフトのようになっている寝床から、まだ彼女は降りられないから「降ろしに来い」というリクエスト。繰り返されている声、何といっているか聞き取れないので耳をそばたてると「コケコッコー」といっていた。

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めでたい

保育園でかるた大会があったらしい。長女も次女もそれぞれクラスで一番とったそうで、クビに手作りの折り紙でつくられた金メダルを引っさげて帰ってきた。びっくり。正月、長女は百人一首を長男としてたから何となくわかるけど、次女までとは意外だった。二人とも達成感があるらしく、嬉々と話すので何度も「おめでとう」といってあげる。自分よりも、子どもたちが成し遂げてくれるほうがうれしいのものなのだね。

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冬将軍

昨日から雪がとまらない。積雪が1mに届きそうだ。昨日の朝はまだ大したことなかったので、傘も持たず、スニーカーで登校した息子は下校が遅く、近くまで車を走らせたら発見。手袋も靴もびしょびしょ、冷たすぎて痛いらしく、泣きながら歩いていた模様。急いで家に帰って、ストーブの前で温めながら着替えさせて、水泳のバスまで送る。水泳から帰ってきたらすっかり元気になっている。今日からバタフライを習い始めたそうだ。

今朝は息子は妻に送ってもらっていった。妻の車のタイヤはほとんど新雪に埋まりながら、道なき道をモソモソ進んでいく。タイヤの跡をみると積雪50センチほどか。

長女は今日自然体験教室ということで雪山に行くことになっている。サンドイッチを作って、水筒を持たせる。こんな視界も10メートルもないような猛吹雪だけど、決行するのだろうか。不安になるけど、きっとやるのだろう。長女は昨日からとても楽しそうで、「今日やるのかな」と不思議がっても「やるでしょ、雪山いくんだから雪降ってても」と実にポジティブだ。家族の場合だと腰が引けて中止にするような気候けど、先生たちは果敢に連れていってくれる。吹雪に吹き飛ばされそうになるのも新しい経験だ。ありがたい。

娘たちを保育園に送ってから家のガレージと玄関を雪透かしする。

新聞屋と郵便屋さんの深い足跡がある。ポストまで積もる雪をかき分けながら歩かせてしまった。

玄関から道路まで人の幅くらいで雪を除けて道をつくっていると、「すみません」と知らない女性から話かけられる。近くにお住まいの方ではない。

「スコップ、貸してもらえませんか。」

なるほど、女性の背後をみると完全にタイヤが雪の上で停まった車がある。

まだ除雪車が入っていない道に迷いこんで、そこでスタックしたらしい。

「このあたり、いつもこんなに雪、すごいんですか」

「まぁ、そうですね」

女性を車に乗せて、ぼくがそのタイヤの回りの雪を削るようにとる。

だいたい取り除けたので、動かしてみてもらうと、そんな甘くはないようで前輪は二つとも同じところをシュルシュル回転するだけで全く進まない。助走のスペースも必要そうだ。タイヤの前後もスペースでできるようにスコップを入れて雪を出す。

「すみません、家の除雪もあるのに」

「いえいえ」

それにしてもこの平日の昼間、まわりの家はほとんど空だ。たまたまぼくが除雪していたからいいけど、ぼくがいなかったら、彼女はどうなっていたのだろう。

そう思うとこの女性からしたらぼくはいま救世主だ。助けないわけにはいかない。

ひととおり除雪して、再度動かしてもらう。スコップを置いて、ぼくも車を押す。今度は1メートルほど動いた。安心したのもつかの間、その先のまた新しい雪にタイヤがはまり、またシュルシュル地獄に陥ってしまった。4WDでないから、前輪だけが頼りなのだけど、その前輪がすぐにハマる。

ここでゲンナリした表情をしたら彼女にまた気をつかわせてしまうので、淡々とまたタイヤの回りの雪を掻き出す。

脇を除雪車が通ってゆく。あと10分早かったら。

顔をあげたら、車の後方にトラックが止まっている。しまった道を塞いでいたかと気づいて、「先に通ってくれ」と合図する。ぼくがどけばトラックは通れる。しかし、待てどもトラックが来ない。運転席に目をやると、手でタイヤのほうを指して、ムリムリと合図している。

そのときぼくは悟った。この車の次は、あのトラックだと。

女性の車はタイヤの前後の雪をかき分け、押すことを繰り返し、無事に帰還できるようになった。

わざわざ運転席から降りてきてお礼をいわれる。「気おつけて」と見送る。「もう二度とこのエリアには立ち入らまい」と思っているかもしれないな。

そして、トラックの方に目をやる。ここで見捨てて家に戻ることはできない。

待ってましたといわんばかり、運ちゃんが降りてきて、「すみません、スコップ貸してください」。ついさっきも聞いたよ、この台詞。

業者のようなテンションになり、ぼくはスコップとともに後輪の前にスタンバイする。運ちゃんは運転席は乗せる。もう慣れたものだ。後輪の前後の雪を掻き取る。

さすがトラックのタイヤに踏まれた雪はかたくてなかなか崩せない。プラスチックのスコップが壊れそうだ。一度、家に戻って金属のスコップをとってくる。再度挑戦。雪というか堅い氷だ。トラックの後輪タイヤは2個ずつだから、計4個分のスペースをやる必要がある。エッサホイサ。

雪を除けて、運ちゃんがアクセルを踏んでを何度もやる。面白いくらいにタイヤは動かない。諦めずに10分くらい奮闘していると、ようやく動いてくれた。ニコニコの笑顔の運ちゃんをみるとこちらも嬉しくなってくる。JAFの仕事って、やりがいあるのだろうな。

「ここで、チェーンを巻いていきますので」と運ちゃんは後輪の後ろにぶら下がっているチェーンを外す。まさかこんな住宅地でチェーンが必要になるとは思わなかったのだろう。ぼくは「また何かあれば」といいながら家に戻る。「お名前は?」ときたら「名乗るほどのものではない」と答えるつもりだったが、訊かれなかった。

家に戻り、洗濯物を畳んでいても、どこか近くでまただれかスタックしているのではないかと気が気でなくなる。

これまで、友人知人に住んでいるところをいうとよく「雪、大変でしょ」と二言目に返ってきていた。今日の二人が食らっている洗礼をみて、その意味がなんとなくわかった気がした。

家にいても、ぼくだけが家のときは節約のためにつけないようにしている。いつになくアイロンが温かい。Yシャツ3枚のアイロンがおわると、また寒くなった。ダウンコートを着る。外は見渡す限り真っ白。おかげで室内はいろんな反射光のおかげで実に明るい。

朝空かしたところにまた雪が同じくらい積もっている。どこまで降るのかしら。週末は今年3回目のカマクラづくりをするのだろう。

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この年末年始

年末年始はずっと我が家で過ごした。家ができて2年目、去年は妻の実家だったから、はじめて我が家で年越し。というか、里帰りをずっとし続けてきたわけだから、結婚して12年目で初めて。

年末の3日間もさしたる外出はせず、温泉に行ったくらいで、いつになく年賀状も早く投函し、その後妻と子どもたちとずっと掃除をし続けた。気になるところはほぼやりきった。すこぶる気持ちがよい。高窓にはしごをかけて窓枠もきれいにできた。風呂のブラインドも1枚1枚きれいにした。玄関まわりのガラスも吹いた。表札もピカピカにした。スダレが風で傷つけた玄関の木枠も塗り直した。もういらないだろうという一人暮らしのときから使っていた棚も解体して階段裏も少しスッキリした。さらに大晦日に妻が長女と次女を連れて妻の実家にいっている2時間ほどの間にいまがチャンスを髪にバリカンを入れた。

この家はぼくにとって終の住処になるだろうという覚悟ができて以来、掃除にも身が入るようになった。家もずっと元気で清々しくあってほしい。設計してくれた建築家や建ててくれた棟梁も年の瀬に来てくれた。家を点検しつつ、大きな窓からの景色を眺めながら「いい仕事した」と満足げだったのでこちらも嬉しくなった。

こうしてスッキリした我が家で迎えた大晦日。ここまでやると、「さぁいつでもこい新年」という気持ちになるもんだ。

大晦日は家で映画を見たあと、体内時計がしっかりしている長女は年越しそばを食べるまえに22時頃に限界がきて先に寝た。食い意地の強い次女はしっかり年越しそばも「全部食べれる」といって完食。それまでけっこういろいろ食べてたのにな。彼女吐くまで食べる勢いだ。食欲が満たされた後は眠たくなって23時ころにおやすみ。

長男は意地でも年を越したかったようで0時をまわるまでぼくら夫婦の間で本を読みつつ目をこすりながら時間を過ごす。ぼくら夫婦はワインを飲みながらグダグダしている。

どこにも行かず綺麗な我が家で年を越すというのが、ぜんぜん退屈でなく、こんなに気が楽で、落ち着くなんてはじめて知った。これに気づくまでいままで随分回り道をしたもんだ。

年が明けても過ごし方は実に地味だった。長男の宿題の書き初めをしたり、お雑煮食べたり、すき焼きをしたり。外出といえば妻の実家に行って、一緒にカラオケいったり、ぼくの叔母さんの家にいって従姉妹と遊んだり。アウトレットに行って靴を買ったり、本を買ってあげたり珍しく大盤振る舞いをしたり。あっという間に過ぎて、初詣と墓参りは行きそびれてしまった。

普段から子どもたちとは十分遊んでいるけど、それでもなお一緒にいて楽しい。いまのぼくにとって、これ以上の幸せな時間をぼくは知らない。

ダイジェストでいくとこんなかんじ。

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【長男】

ズッコケ三人組ドラゴンボールを適宜はしごしながら、『罪と罰』を読破してドフトエフスキーに興味を持つ。

ドラゴンボールのUNOをだれかしら捕まえてやろうとする。

・大掃除ではグリーンネットにからみついた朝顔の蔦をとったり、虫かごの片付けをしたり自分の勉強机をすっきりさせたり。

【長女】

・将棋とオセロを覚える。

・「次何をすればいい?」大掃除でママの手伝いを甲斐甲斐しくやる。ガラス拭きなど。

・「明日はカラオケにいくからね、わかった?覚えといて」といって寝た翌日、約束どおりいけたカラオケで『小さな頃から』を必死で歌おうとして祖母祖父から感心される。

・「温泉に行きたい」といって温泉に向かう車中で寝るから家族で引き返す。翌日くやしかったらしく朝一番で「今日温泉にいくからね、わかった?」といいながらみんなを起こす。

・家でいつも一番に起きる。

【次女】

・お餅、バナナ、すき焼きの肉、チーズナンなどなど目の前にあるものはすぐ「食べたい」と手を伸ばす。

とんがりコーンをぼくの口に入れてきて「おいしいから食べてみな」ができるようになる。

・黄色い台座を使えば、洗面所の歯ブラシに手がとどくようになり、一人でできるようになった。(水道の蛇口だけは届かないので水は止められない)

・何かしてほしいことがあれば「だれか〜◯◯やって」と「だれか」にヘルプを求めるようになる(妻の真似か)。

【長男と長女】

百人一首で真剣勝負をしている。

・一匹水面に浮かんで苦しそうで弱っているメダカを心配して、エサをすりつぶして食べさせようとする。

【長女と次女】

・カラオケでドラえもんの唄を一生懸命歌う。

・雪が降った庭を走り回る長女と次女。

【長男と次女】

・親に怒られて次女が泣いたら長男が「大丈夫だよ」と真っ先に慰める。

・これまで自己中でわがまままな次女を「社長さん」と呼んでいた。長男が「社長さん」と今日呼ぶと「『社長さん』と呼ばんといて」と次女。社長を辞する。

【三人】

・土間の壁にプロジェクターで投影して観る『ホームアローン』をゲラゲラ笑いながら肩を並べてみる。

・長男がもっていた3つの貯金箱を長女、次女にそれぞれあげて、各自お年玉を入れる。

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とまあこんな調子である。妻が言っていたけど、次女も自分で感情を表現でき、トイレも自分でできるし、3人目も手がかからなくなってきた。妻とぼくがいなくても、「3人だけの社会」が成り立つようになっている。そのキャッキャやっている姿を、できるだけ目に焼き付けておきたい。

それに、小さなうちの子どもたちの「お願い」って実にシンプルだ。「抱っこして」やら、「ねぇパパ見て」とか、「これ読んで」とか「一緒に寝よ」とか「喉乾いた」とか。「ハワイに行きたい」とか「高級バッグを買って」とかではない。その気になればすぐにその願いは簡単に叶えてあげることができるものばかり。しかも親ならでは、のお願いばかりだ。どんなに疲れていても、今のうち、できるだけ応えてあげたいのだ。大きくなってからのお願い、特に金銭面は「ごめんムリっ」ってなっちゃうだろうし。

何の変哲もない日々。ではあるけど、子どもたちの成長をみているのが何よりも刺激的で、フレッシュな目からの世界の見方をぼくが教えてもらっているから、世界が広がっている気がして飽きない。今年も目一杯遊ぼう、いや、遊んでもらおう。この子たちに親にしてもらった以上、悔いを残したくはない。やりきるんだ、父親を。

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