長風呂

今日は気持ちのいい青空の快晴で、こんな日曜日はめったにないので外へ行きたいけど、昨夜お風呂に入っていない長女次女をお風呂に入れたら二人がキャッキャ遊びはじめてなかなか出てこない。

湯舟につかりながら、ペットボトルのキャップをそれぞれもって、背中や胸にポンポンあてて「お医者さんで〜す」とお互いにお医者さんごっこをしている。次女は長女の背中をやりながら、最後にお尻にペタっとやって「おしりでーす」とやったら長女が「おしりはいらね〜」とツッコんで二人とも大声で笑っている。次女はお尻にやることがおふざけになるというのは分かっていて、やる前からイタズラ顔の半笑い。確信犯。

クラスの友だちから求婚されたそうで、だれが自分と結婚したいか教えてくれて、自分は誰と結婚したいかを教えてくれる。

「背中を洗ってくれる人?」と募集をかけると二人とも「はーい」と元気に手を上げてせっせと洗ってくれる。ときどき脇の下にちょっかいを出してきて「やめて」というとそれが面白いらしく何度もやってきてきりがない。

ご機嫌は続き、長女が次女の怒って泣いているときの真似をする。「みかん、たべたーい」といったあとに口をとんがらせて「ブー」っと唾をはく。確かに似ている。その一連を長女が真似をしていると、同じ真似を次女本人が笑いながらやる。いわゆるセルフカバー。

二人の身体を洗って先にぼくが上がって、ひとしきり遊び終わるまで待っていると、「パッパッパしたから拭いて」という呼声。「パッパッパ」というのは、身体を吹く前に水しぶきを払う所作のこと。その声はリズミカルで音程があって何度も繰り返す。それに合わせて身体をクネクネさせて長女が踊り、それを見よう見まねで次女も真似る。

彼女たちとお風呂に入ると心までポカポカになる。

身体をバスタオルで包んで拭き、ドライヤーで髪を乾かす。パジャマを着せる。歯を磨く。この一連の行為を日々繰り返しているけど、着実に大きくなっているし、長女はもうパジャマは自分で着るし、次女もパジャマのボタンは「自分でやる」という。少しずつだけど、やってあげることは減ってきている。

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名前が出てこない

昨夜のこと。息子が布団に入ってきて、「何してるの?」と訊く。「映画のこと、ちょっと調べてて」とiPhoneを見ている。映画、という言葉え思い出したのか、「コナンの映画のDVDを買っておくれ、こないだ登山で登頂したらご褒美くれるっていったでしょ」とおねだりされる。やがて寝付く。

ぼくはふと、昔みた映画のタイトルと助演の俳優の名前を思い出せなくなり、「あ〜あの俳優の名前なんだっけ」と顔は思い出せるのにすごく気になるという状況に陥っていた。名前がないと検索もできない。「名脇役 中年」とか画像検索をしてもなかなか出てこない。滝藤賢一とか荒川良々とかムロツヨシ遠藤憲一、佐藤なんとかばっかり出てくる。なんで真夜中にオッサンの画像をひたすらみなきゃいけないんだ。やめたくなる。でも気になって寝れない。いざ「俳優・タレント名鑑男性一覧」にいっても、いない。500人くらい見た。三國連太郎から染谷将太までカバーしているのに、いない。実にくだらない。人生の時間の浪費。しかしなぜいない。そこまでマイナーではないはずなのに。こういうときgoogleだって無力なんだな。共演者の名前もこういうときはど忘れしてしまい万事休す。

あきらめる。記憶を司る脳の緊張を弛緩させる。そしたら不思議なもので、自然と湧いてくるように女優の名前を先に思い出す。咲世子。そうしたら、あんなに苦労していたターゲットの名前もふわっと引き摺られるように出てきた。そう、平田満。映画「ソウル・フラワー・トレイン」。また見たいけど、DVDは出ていないようだ。

あーすっきり。単語って、頭の中に芋づる式に収納されているらしい。そして実にシャイである。ずるずるっと土の中から引き出したかんじ。

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駆ける背中

長男は朝学校に家をでると、前かがみになって一目散に走りだす。振る両手は伸びている。ランドセルと、さらにその上に学童のためのリュックを背負っている。

ぼくはその姿をみるのが好きで、歯を磨きながらキッチンの窓から見えなくなるまでその背中を見ている。あっという間に視界から消える。小学校に入学したときから、同じことをしている。あの頃はまだアパート住まいで、ランドセルを背負っているというより、ランドセルが彼を押しているようで、小さな足取りで、ゆっくり歩いては時々こちらを振り返って手を振っていた。今はもう振り返ることはない。

学校を楽しんでいることは何よりだ。学校は勉強とかを習うのも大事だけど、一番大事なのは社会との接続の仕方を覚えることだと思う。親ではなかなか教えられない。友達をつくる術、何をしたら喜んで、何をしたら嫌がるかをたくさん経験してほしい。

昨日妻から聞いた話。

外は雨雪が降って遊べない季節になった。走り回れない小学生の男たちは散歩に行けない犬みたいなものだ。ストレス発散のための妙薬なのだろう、学童では卓球ができるようになった。

喜んで息子たちが同級生と卓球を楽しんでいたところ、一つ上の学年から「おい俺たちに変われ」と言われた。「いやだ」と抵抗したけど「おまえら、最初からずっと遊んでいたのだから変われ」と要求される。ごもっともである。

それでも粘って「じゃ、勝負して決めようぜ」となって、それぞれ一人代表者を決めて試合をしたらしい。息子の友人で一番運動神経がいい奴が代表になり、そして負ける。

悔しいけど約束だから譲ることにしたら、上級生たちから「やっぱり一緒に遊ぼうぜ」となって結局二学年一緒に遊んだらしい。

いい話だ。ケンカにならず、上級生たちも優しい。息子たちも上級生になったらできるようになってくれ。その一連に口を挟まない学童の先生もやるな。ただ放っておいているだけな気もするけど。

ちなみに学校の昼休みはサッカーの代わりに将棋をしはじめた。駒の一つ一つに名前を書いて息子が持ち込んだ。他にUNOをしたり、トランプをしている子もいるとのこと。ぼくの頃に比べて自由になったもんだ。「麻雀は?」と聞くと「あるわけないわ!」。まぁ一局が長いしな。

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唐揚げバナナ戦争

長女と次女との朝食時。息子はすでに学校へ行き、妻も出勤した。次女が目の前にある昨晩の唐揚げを2個みつけて「食べたい」というので、「どうぞ」というと猿のように手で掴んで食べ始めた。長女はお腹が空いていなかったのか「ピアノ弾いていい?」といい、これまた「どうぞ」というと弾き始める。

長女が弾き終わったあと、「私も唐揚げ食べたい」とリクエスト。しかしもう2個とも次女のお腹の中。さすがに「最初に『食べたい』っていわないと、さすがにもうないよ」と諦めてもらおうとすると、それが気に食わなかったのかうつむいてめずらしくいじけている。普段なら物分りがいいはずなのに。かといって次女がわるいわけでもない。「次女優先」に感じると彼女は厳しい。

仕方がないから残りの1本のバナナを長女に差し出してバランスをとる。

すると次女が今度はすかさず「バナナ食べたい」といい、「1本しかないから、これはお姉ちゃんにあげようね」と説得するものの、懐柔されるわけもなく「バナナ食べたい」と泣き始める。困ったことになった。

唐揚げ戦争がバナナ戦争にまで発展してしまい困って、長女に「バナナ、一口だけあげてもいい?」とお願い。

長女は観念したらしい。バナナをまるごと次女に差し出す。すかさず次女は遠慮なくこれまた猿のようにバナナをひったくる。なっちゃんの唄には小さい子は半分しか食べられないとあったが、あれは嘘だ。

「全部、あげていいの?」と長女に確認したらうなずく。

いたたまれなくなり、長女を褒めながら抱きしめてあげて、

「それじゃ、今日はパパのお腹の上で寝ていいよ」と長女にお腹の上で寝てもいい権利をあげることにした。毎晩、次女がそこを占有していて、これまた長女ががまんしているので、今夜は変わってもらおう。

それをまた目ざとく聞いていた次女は自分が上がいい「パパの横、だいっきらいだもん」とこれまた大声で泣く。

いい加減にしろ、さすがにムカついて「唐揚げもバナナも奪われて、お姉ちゃんかわいそうでしょ」と諭すとさらに大きな声で泣く。でもこれは譲れない。

その一言が長女には大事なのだ。結果がどうであれ、全てが次女に優先権が与えられると長女は拗ねる。パパは長女を優先したいけど、次女はまだ小さいから残念ながら次女に渡ってしまう。これなら長女はまだ救われる。

そんなこんなでバタついた朝は次女はぼくの足に捕まって、なかなか保育園の教室に入らない。先生が引き剥がしてうまくあやしながらバイバイをする。長女もなかなか別れようとしない。

 

家に帰り、バナナの皮を捨てたり、食べ残しを処理したり、買い物しているとあっという間に保育園のお迎えの時間になる。

二人を車に乗せて家に帰る途中、「朝、唐揚げ食べられなかったでしょ、だから買っておいたよ」というと長女が喜ぶ。そして次女は「唐揚げ食べてごめんなさい。」と自ら謝罪の言葉を口にする。成長したもんだ。

夜寝るとき。二人を寝床に連れていくと、「今日は私がパパの上ね」と朝の約束のとおり、長女が乗ってくる。次女も受け入れる。その代わり、長女の上に次女が乗って三階建てになる。不安定になるので、次女も長女もぼくの腹の上から落ちる。それが面白いらしく、キャッキャといつまでも寝ない。ぼくのほうが眠たくなったので横になると、また横になった上に二人が乗っかって、また落ちて喜んでいる。布団も柔らかいから、飛び込むのが楽しいのだろう。

見かねた妻がやってきて、「ママの横で寝る人」と誘うとすぐさまママの横に二人ならんで急にぼくはお役御免になって暇になる。そして二人はすぐに寝つく。笑い声が急になくなったので少し物足りなさを感じながら、気がついたら夜明け前であった。

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はじめてのご挨拶

昨日保育園にお迎えにいったら、長女と同じクラスの男の子が呼びかけてきて「今日、手紙あげたんだ」といってきた。そうかありがとう。

帰りの車の中であの子は誰だと長女にきいたら、こないだ長女が「結婚したい」といっていた男の子の名前だった。異性から手紙をもらうのは初めてじゃないかな。

考えようによっては、パパも異性からご挨拶されたのは初めてでもある。きちんと挨拶してくるんなんてできた子だな。手紙には「結婚させてください」とはなかったけど。「またおままごとしようね」というなんとも素朴な言葉。

最近、長女は友達とお手紙による交信が増えている。違う保育園に転園した子の家のポストにこないだ手紙を入れたら、昨日返事が玄関に届いていた。長女が「何の動物が好きですか」と聞いたら、それを答えてくれている。

その場にいないときも、だれかのことが頭の中にあって、その場にいなくても、何か伝えたかったりする。スマホに顕著なように、だれと一緒にいるかと、だれとお話しているか、はそれぞれ違う世界で同時に存在しているのだね。彼女のコミュニケーションの世界が広がっておる。

先日の夕食のとき、ママの膝の上にいる長女に、「パパ、結婚したいな〜」といったら、少しこまった顔で間があってから、「パパ、もう結婚してるでしょ」と返事がきた。「そうでした」ととぼけると、その手紙をくれた男の子の名前をあげてその子と「結婚するの」という。いきなり「ヤダ」じゃなくてほっとしつつ、一連のそのやんわりとした断り方や表情が大人っぽくて驚く。

父として結婚相手に求めることは一つ。パパは結婚してあげられないから、パパ以上に長女を大事にする男の子であること。なかなかハードルは高いぞ。でもパパより長生きして、長女のそばにいてあげられるというのはデカイ。

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焚き火とテレビ

1年間玄関のところに立てかけていた大きなヨシズがクタクタになったので、中庭で焚き火をして燃やすことにした。息子がヨシズを切って、ぼくが火をおこす。ときどき長女と次女が遊びにきてヨシズを火にいれる。息子がくたびれてきた頃に、ぼくがヨシズを切り刻む係、彼が火を維持する係。薪とちがって、ヨシズは燃えて灰になるまでが実に早いので、次々入れていかなくてはすぐに消える。寒くて風も強いが、火の近くだとコートを脱ぎたくなるくらい暖かい。ちょうどさつまいもがあったので、ホイル焼きにしたり、豚肉のスペアリブを焼いたり。

息子は友達も連れてきたいというので近所の友人宅に駆けていった。ひとり確保して一緒に帰ってくる。男の子は火にくいつく。長女と次女はしばらくして家の中に帰っていって、妻の手伝いで食材を運んだり食べたりすることのほうが楽しいようだ。

連れてきた息子の友人が火を見ながら最近テレビで見たニュースの話をする。ぼくと息子はそれを知らなくてへぇ〜とキョトンとしていると、その子は「そうか、お前の家、テレビなかったもんな」とサラッという。あまり蔑んだニュアンスはない。息子は「そうなんだよね」と少し残念そうに、決まりがわるそうにしながら「でもアマゾンビデオでドラえもんは見てるけどさ」とフォローしたように付け加える。自然と話題は別のテーマに移る。

我が家にテレビ回線が繋がっていないことは友だちの間でも周知の事実なんだな。ドラゴンボールを見に往復1時間かけて日曜日に別の友だちの家に通ってることも知られているのかな。特殊な家、と思われているのか心配になったけど、親が特にそう思うだけで、友人の間では仲間はずれという感じもなさそうだ。ほっとする。ぼくが子どもの頃ほど、クラスでテレビが話題の中心ということはもはやないのうだろう。どちらかというと「あれみてみたい、◯◯が言っていた」というのはyoutubeのコンテンツが多いし。テレビ番組も、ゴールデンで子ども向けはもはやないみたいだし。
ぼくのバスケについてくる彼は、帰りの車のなかで「世界ふしぎ発見」をみるのが好きで楽しみにしているし、もちろん日常ではお目にかかれないものに触れるいい番組だってある。ただ、継ぎ目なく関心を仰いで、なるべくダラダラ長くみせるように作られいるから、ほんとうに自分が関心があって、視たい番組かどうかがわからなくなる。「△△ベスト10」のように情報番組も単純化されて分かりやすいあまり、その背景だったり周辺のコンテクストだったりを緻密に多角的に、深く考えなくても大丈夫、という思考の習慣がついてしまう。画で見せられるから、それ以上想像をふくらませる必要がない。一方、言葉の海に浸ると想像を働かせなくてはいけなくて、自ずと世界が広がる。

祖父母との時間が長かったこともあって、ぼくは典型的なテレビっ子になった反動。子育てにおいて育てる側にとってもテレビは実に楽なツールでもあるのだ。なるべくそれには頼らないでおきたい。限りある時間を有意義に過ごし、能動的で想像力がある子に育ってほしいから。

パチパチなる燃えているヨシズの破片をイジイジしながら、そんなことを考える。雨も降ってきて息子もまた友だちとどっかに行き、結局ぼくだけになった。冷めた残りの焼き芋を食べる。

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おてつだい

夕食の鍋の用意をしていると、下の階で次女がドラえもんをみていた長女がひとりキッチンにきて、「おてつだいしたい」とのこと。もう具材をすべて切ってしまったタイミングなので、グツグツ煮はじめたダシに鶏肉を放り込んでとお願い。

物足りなかったらしく「切るのやりたい」というので、予定なかったサラダをつくるかということでワサビ菜とアボカドを切ってもらうことにする。サクサク切る彼女の脇でシンクに鍋のアクをスプーンでチビチビ捨てていると、「なんでお玉ですくって一気にパーンって捨てないの?」といかにも大胆な彼女らしい質問がくる。「ダシは捨てたくなくて、アクだけとりたいから」と説明。「アクってなぁに?」アクって、なんだろう。

みんなで食べるときに、彼女のおかげで一品増えたことを褒めるとうれしそうで「また明日もお手伝いする」というが、翌日はドラえもんをずっと見ていた。そんなもんだ。

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