読書めも〜『思い出るまま』

<思い出るまま/徳田秋聲/2020/徳田秋聲記念館文庫>


・一体にこの国の人は積極性に乏しく、隠忍性に富んでいる。これは地理と気候と前田藩の制作と、宗教に訓練されたためで、大きな政治家も実業家も芸術家も出なかった理由である。その代わり辛抱強く仕事をして来た人は相当にある。頭脳が冷静で忍耐力があるから、こつこつ物を研究する科学者とか工芸家などには適当らしい。

芭蕉に大衆性があるということも、一応考えてみなければならない。芭蕉の時代と今日とは違うし、文学の形式や本質ということも考えて見なければならないであろうが、大衆性ということも、元来外にあるのでは無くて、文学のうちにあるものを指して言うのだろうから、大衆が言おうとして言い得ない一歩上のものが、却って大衆性というようなものではないであろうか。大衆の生活を扱わないものに大衆性のあろう筈がない。芭蕉は市井のあいだにあって、大衆と与(とも)に自然の風物を楽しもうとしたから、大衆性があるといえるので、源氏物語がいくら優れた物語であっても、大衆の生活を扱わない限り大衆性があるとは言えないのではないだろうか。

あわただしい土曜日

ぼくが予定を詰め込んだ一日なのもあり、朝学校に送ってから、息子と今日は一度もあっていない。バスケから帰ったらもう寝ていた。中学生になるとどんどんこういうことになるんだろうか。

次女も泊まらせてもらった友だちの家から帰ってきてそのまま妻とじぶにを作る料理イベントに行き、これまたバスケから帰ってきてたら寝てたからほとんど話してない。お泊まりは楽しかったらしい。

長女は夜起きてたから少し話せた。暗号文を作ったから解読せよとのこと。クリスマスプレゼントは黒板とカラーチョークにしたそうだ。学校の先生みたいにカンカン書きたいんでしょというと「そうそう」と目を輝かせていた。ホワイトボードではだめらしい。黒板でないと。

長女と次女はぼくの企画、司会したオンラインイベント「おしごとずかん」も参加してくれて、妻と一緒に面白がってくれた。カッシーナの家具をおぼえた。長女はぼくの広告の話が印象に残ったそうだ。

大学の後輩が声をかけてくれてドライブに連れ出す。育児と建築の話。育児が1で建築が99。聞き上手でずっと話しちゃった。ほぼ香山先生と池原先生の話。ぼくがいま仕事で経験しているのは希有なことばかりだから論文を書いたらいいですと鼓舞される。

志村さん

昨日の朝のこと。「この手紙を読む声、志村さんいなくて困っただろうね。じゃあこの声はだれの声?」でひと盛り上がり。
学校まで息子と長女を送迎する車内でときどき朝ドラを観る。最終回に志村けんさんが出てて盛り上がる。志村さん演ずる役が亡くなって、主人公に彼からの手紙が後から届くというシーン。はて志村さんがいない中で、手紙を誰が読むのだろう。てなわけで上の質問を息子に投げかけてみた。

何のことはない。視点を反転させて手紙を受け取った側、主人公の声にするのがベストで実際そうなっていた。
「ええ〜、わからん」と息子うなる。一応放送委員長なんだから何か答えは出してほしい。

校門に着く手前まで考えて、出てきた答えは「加藤茶。」であった。
「気持ちはわかるけど、正解ではない。」
「ええ〜。」と不満そうに車を降りていった。

家に帰って妻にも同じ質問をしたら「え?上島竜兵!?」と返ってきて面食らう。
上には上がいるものだ。次女も元気に「加藤茶!」とすぐ答えていた。

 

夜。息子にもう一度考えてもらう。「志村さんから離れて考えな」とヒントをあたえる。場面の登場人物から選択肢を絞って答えにたどり着いていた。

妻はドラマも1回もみていないし「質問の意味がわかってなかった」とのことで、彼女としては「読む側の声」にするのは別に普通とのこと。書いた人から読む人にグラデーショナルにだんだん変っていくシーンもよく見ると。長女も「そうそう。あるある」とうなずいている。そうなのか。

ちなみにその昔、ディズニー・チャンネルの番組「ザ・休み時間」で、ひょんなことから女子高校生役でエクストラ出演させてもらったな。当時新人だった中村蒼さんと見つめ合うというシーンがあった。透き通った瞳で吸い込まれるかと思った。ご活躍に目を細める。この話を息子にして「観たい?」と聞くと「いいわ」といやそう。長女は興味深々であった。

進級テスト

月末は娘たちのスイミングのテストである。妻とぼくで観覧にいく。長女は背泳ぎ、次女は背面で手をオールのように使って進む泳ぎ方。結果は長女合格して8級になり、次女は不合格で10級のまま。はじめてのテストのときは次女は悔しくてなきじゃくっていたが、今回涙はなかった。がんばることが大事で結果は大事じゃないことをさんざん言っていることもあるし、単純に「そんなものか」と慣れてきたこともあるだろう。帰り際はテストの日だけ容認する自動販売機のアイスを買ってやる。約束どおりである。友だちと一緒に食べる。

その後はファミレスに行く。長女の同級生ですでに1級の子がいること、1級になったらやめる・やめないなど。次女は続けたくて、長女はやめるそうだ。長女は習字もやりたい。次女の前の順番の子がいろいろ次女にちょっかいを出すけど謝らないという話もあった。気性のあらいイライラしている子もいるようだ。「世の中いろんな子がいるよ」と伝える。外でストレスがあったとしても、家に帰ってきて落ち着いて安らいでスッキリすればいいのである。家がそうなればよい。家はそんな存在であらねばならないし、子どもに「この家に生まれてよかった」と思えるように家をつくることが親としての努めである。

ひとつひとつ挑戦して、成功と失敗を繰り返しながら確実に階段をのぼるこのシステムは子どもを飽きさせず楽しみながらがんばらせる上で鉄板なのだろう。スイミングは最も楽しい習い事だそうだ。

ロースカツ弁当

息子を塾に迎える。遅い時間なので彼はファミレスにいけなかった。いつものハンバーグを食べたかったそうだ。ならばせめてハンバーグ弁当を食べさせてあげようとお弁当屋に立ち寄る。車にそのままいるかとおもったら「おれもおりる」といって一緒に店内に。案の定、メニュー表の前で何がベストかじっくり長考する。ぼくなんかはいつも唐揚げとチキン南蛮弁当の一択で他の選択肢を考えないのでその姿勢に共感はできないが理解はしてあげたいので隣の待合の椅子に座ってじっくり待つ。後から店内に入ってきた人に次々抜かされる。仕事帰りなのか、夜分遅くでも買いに来る人が沢山いるのだな。カップルやオジサン、オバサン様々である。

息子は考えたあげく「ロースカツ弁当」にした。ハンバーグではなかった。ひと席開けて座り、一緒に待つ。間にカウンターの上にロースカツ弁当の写真の看板がデカデカとあって、それが随分色あせていて全体が黄色がかっていて判然としない。それをぼくの肩を叩いて指摘してくる。会話はそのくらいである。

家に帰ってロースカツ弁当を平らげたものの「まだ食べられたな」と食パンを食べていた。

メニューをじっくり選ぶ姿勢を理解しようとするのには理由がある。ぼくの尊敬する建築家、香山先生も千葉先生もご飯をご一緒させていただいたときそうなさる印象があるからだ。飲み物も食べ物も。決められた中でその時のベストを選択する姿勢。そういうところにも「建築家」が現れているように勝手ながら惚れ惚れしている。ぼくのように安易な即断をしない。ちなみに建築家になった同級生の杉下くんもまた、学生の頃からそうだった。ファミレスにおいても手を抜かなかった。ハンバーグがホワイトソースか目玉焼きかもじっくり検討していた。もうひとりの友人は「杉下が選ぶものが間違いないからそれと一緒にする」といっていた。息子は建築に興味はなかろうが、歓迎すべき姿勢なのだ。最後は決めるから優柔不断ではないのだろう。いちいち時間はかかるけど。

diner

学校に迎えにいったとき、車内のドラマで「diner」というやつをやっていた。長女が息子より先にきて「あ、これ好きなやつ」としげしげと観ている。高級イタリアンレストランの話で、厨房やホールにいろんな役者さんが出ている。それぞれに女優さんがいる。

「この中で、どの役やりたい?」と尋ねたら少し考えて「うーん、食べる役」と答えていた。ドラマのストーリーではなく、料理に興味あったみたい。