おどろかしたい

次女がドラえもんの塗り絵をやっている。はみださないように、丁寧に塗るところに彼女の性格が出ている。パジャマもきれいにたたもうとする几帳面なところがある。

最後に目を塗るところで、横から茶々を入れていた長女がトイレにいく。トイレから「できたらみせてね」と叫んでいる。そこで、次女はこれまで実際の色に忠実に塗っていたにもかかわらず、目を赤色に塗りはじめた。こらえきれず笑い声を出しながら、「これをみたらお姉ちゃんびっくりするぞ〜」と楽しそうだ。自分がうまく描くことより、他人を喜ばせることに舵を切ることもできるんだな。

真っ赤な目をしたドラえもんをトイレに持っていって、目論見どおりお姉ちゃんがびっくりして、二人で大きな声をあげていた。

呼吸税

息子が、このまま二酸化炭素の排出と温暖化の関係を知って、「そのうち、二酸化炭素を出すのにお金かかったりするようになるんじゃね」というから、排出権の話をして既にそうなっていると説明したら、「人間も呼吸するのにお金かかるようになるんじゃね」と帰ってきた。

「んなアホな」とおもったけど、いや、ものすごくリアリティあるんじゃないかと思い直す。昭和の時代の人に「飲み水はミネラルウォーターがコンビニで売られるようになる」と言っても、誰が信じただろう。スマホの通信量だって最近は量に応じて課金されているし。エネルギーを使う人ほど、課金されてもよい。ということで、生きるなら、課金されても仕方ない、そういわれる時代が来てもおかしくない気がしてくる。

鼻と口に小さなセンサーが埋め込まれて、各人の呼吸量が管理され、その重量に応じて税金が課される。『20世紀少年』に人間がみなガスマスクをつけている場面が思い浮かぶ。

いや、わざわざそこまでしなくても、体重と体脂肪率で「あなたはいくら」と決めればそれでいいのかもしれない。自動車税と同様。ますますハードルが低いように思えてくる。

そのとき政府はいうだろう「いま、地球はかつてない危機に瀕しており、人類の生存が脅かされております。この国難を、生きるみんなで公平に分かち合い、乗り切ろうではありませんか」。

そのとき野党は反対の声をあげましょうと煽るだろう。「地球の温暖化は人間のせいではなく、太陽の活動の変化によるもので、温室効果ガスの影響は微々たるものだ。じゃあ地球が氷河期に入ったら、国は金をくれるのか。」

結婚相手も、収入の多寡より排出量の少なさ、で選ばれるようになったり。

どれだけ深呼吸をしてもよい、ど田舎に「呼吸特区」ができて、それが過疎化を止める手段になったり。老後苦労しないようにと、小さなときから排出量を積み立てるメニューを保険会社がつくったり。

その人のエコ人間度を格付けする公益社団法人が生まれたり。

何かに制限をかければ、必ず一儲けできる利権がうまれるわけだし、結構経済界からも賛同を得られるかもしれない。

どんどん世の中は生きづらく、つまらなくなる。でも儲かるから仕方ない。そうでもしないと国の経済がもたない。どんどんそういう傾向が高まっていく気がして、恐ろしい。

男気

長女が夕食時、「ファンカーゴちゃん、どこかな」とまたボソっとつぶやいて、またもや、「もうファンカーゴに乗れない」と悲しくなってシクシク泣きはじめる。変なスイッチが心にできたみたいで、ふとした拍子にそのボタンが押されると、ファンカーゴを思い出し、そして感極まるようになってしまった。

わざわざ思い出さなくてもいいのに、と思うものの、「ファンカーゴ、喜んでるよ」と妻が慰めている。まるでもう天に召された人の扱いで、「お空から見ています」のいうノリだ。その慰め方でいいのかよくわからないが、他に何がいいのかもわからない。

息子が「じゃ、オレがまた買ってやる」と言い出した。妻が「あなたの持ち金じゃ足りないでしょ」といきなり現実路線のツッコミをいれる。

息子、「オレが将来お金持ちになったら」と反論。

そのお金でファンカーゴを買い戻して妹にあげるらしい。

「優しいお兄ちゃんで、よかったね」と妻。

息子は普段長女にはあまり優しい態度をとらないのだが、たまにはいいことをいうじゃないかと感心した。

お金持ちにならなくたっていい。万が一、お金持ちになったらファンカーゴではない車を両親にプレゼントしてほしい。お金はさておき、その妹思いの心意気は大事にしてほしい。

バトン

今日は娘二人は妻とプールへ行き、ぼくは息子と過ごした。

朝はぼくが洗濯やら掃除やら家事をやっている間に彼は宿題をして、そのあと一緒に近くの大学図書館にいった。そこにはワンピースがあって、1巻から読み始める。ゲラゲラ笑いながら読み、笑ったところを「ねえ父ちゃん」といっていちいち席を立って、その場面を読み上げる。それを幾度となく繰り返す。

お腹が空いたというので、近くのデパートに行ってパンを買く。今朝友だちの家で仕入れた情報で、そのデパートのゲームセンターに行けばドラゴンボールのカードがもらえるというので寄ると本当にそうで、うれしそうだ。車でパンを食べながら、友だちと試合をすると約束をした時間にサッカーコートへ連れていく。友だちはいるが、全員はそろわず試合はおあずけ。しばらく友だちと遊んで、その後また図書館へ行って、ワンピースの続きを読む。図書館は17時に閉館。一度家に戻って、その後サッカースクールへ。

サッカーの試合は先週もあった。先週は友だちが数人、「試合の前に、練習しようぜ」と家に呼びにきてくれた。試合は10−5で負けたそうだが、自分はハットトリックを決めたと満足そうだった。

今日は図書館に行くから、友だちが先週のように事前に家に来てしまうと彼らは無駄足になる。朝そのことに気づいた息子は、「どうしようか」と悩み、「その友だちの家にいって、そのことを伝えてきたら?」とぼくがいうと「わかった」と宿題を終えたらとの友だちの家にブレードボードに乗りながら向かった。

帰ってきて、どうだったか訊くと、「いなかった」そうだ。お母さんはいたらしい。「じゃ、『家に来てもいないから、サッカーコートで待ち合わせね』とか、お母さんに伝えた?」

「いや、いってない。」

「いえばよかったやん。友だち、家に来ちゃうかもよ」

「そやね。」

「もう一回、行ったら?」

「うん。」

といって、またブレードボードでいそいそとその友だちの家に再び向かう。携帯電話がある時代、この伝書鳩的な伝え方、しかも2回もというのは大人だと面倒に感じるけど、彼の表情を見ていたら「面倒だ」という感じはまったくない。親に「電話で伝えてや」ともいわない。そのあたり、この息子はアナログに生きていて、今しかできない贅沢なスタイルに思えて実にうらやましい。帰ってきて、ちゃんと伝えたそうで満足げである。

出かけるときも、梅ジュースを自分で作って水筒に入れる。冷蔵庫の氷が切れていて、ぬるいのが気に食わなかったみたいで、やっぱり氷を入れたいから一度家に寄ってくれといったり。

パン屋でも何を食べたいか自分で選んだり。

サッカースクールではシュートの力がコーチの手が痛いくらい強くなったそうでコーチがびっくりしていた。

どんどんお兄ちゃんになる。何気ない、他愛のないことだけど、自分の意志で行動するようになって、父が「いろいろやってあげる」出番は少なくなっている。もはやアッシー君でしかない。

音楽を聴くために車につないだ昔のiPhoneの壁紙は、彼が3歳くらいのときのもので、信号待ちのときにたまに視界に入ってくる。もうこの小さくて、か弱くて、愛くるしい彼はいない。たくましくなった、小学4年のお兄ちゃんである。

今のぼくの生活は子育てを最優先にして、彼らと毎日触れ合っている身でありながら、それでも、子どもの成長が早くてびっくりするものだ。娘たちの寝顔をみていても思うけど、昨日と今日の顔が、違う。同じである時がない。

「今日の我が子よ、さようなら。」という気分になるときがある。明日はまた「新しい我が子よ、こんにちは」という気分だ。だから、この日々に飽きることがないし、1日1日が過ぎていくのが、惜しい。もう今の瞬間の子どもには、会えないのだから。回転寿司が、もしも1回きりしか回ってこないとなると、急に貴重なものに思えて吟味しだすだろう。それと同じことで、この日々はかけがえいのないものだと、つくづくに思う。

そして、実は自分も1日として同じ日はない。忘れているだけで、死に近づいて歩いている。命はバトンなのである。ぼくの1日が、彼らの各1日、のべ3日になって、命がつながっている。そう思うと、親になったことに感謝し、嬉しくて、そして、老いることが怖くなくなる。ぼくの成長が止まったとしても、彼らがその分、伸びてくれればよいのだから。

朝のスーパー

朝のスーパーに初めていって驚いた。スーパーは朝が一番混むのか。駐車場も200mくらい入り口から離れた隅っこまで車がびっしりでこれまでで一番遠いところにしか停められない。

晩の売れ残りそうなものに割引のタグが貼られる時間にいって、その割引で買わないと損をした気分になる。なんとなくみんなそうだろうと思い込み、職場の帰りに立ち寄る晩が一番混むであろうことを疑ってこなかった。

違うのか。割引なくても、新鮮でいいものを買いたい層がかくもいるのか。そのひとたちからすれば、晩にあるものなど「残りもの」で質がよくないもの、なのだろう。

客層はだいたいおじいちゃんかおばあちゃんである。

気づいたことがある。その客層はじっくり、野菜を選んで手に取る。ぼくからしたら、とうもろこしもトマトも、だいたい同じに見える。後ろからすれば、「とっとと選んでよ」と少しじれったい。でも、この人たちは知っている。野菜だって魚だって、一つ一つ違うということを。

工業製品に囲まれた時代に育ったぼくは、生鮮品だって「だいたい同じものが並んでいる」と思い込んでしまっているのである。たしかに豚肉や牛肉はだいたい同じ加工がされていて、ほぼ違いはない。これは養殖されて工場で加工されているから工業製品に近い。

でも畑に行ってみると、同じ畑、同じ土にできるものだって、一つ一つの野菜が違うほうが当たり前なのである。きっとこのおじいちゃん、おばあちゃんたちはそれを肌身でわかっている。のだから、朝来て、一番いいものを選びたいのだろう。値段が同じなら、そうしないほうが損という感覚なのだろう。

保育園でも金曜日は野菜を売っている。いつもはお迎えのときに買っていたのだけど、朝の送りのときに買っている保護者の方がいた。なるほど、と思った。

工業製品の一物一価に慣れてしまうと、いつのまにか生物にまでその考え方を敷衍しようとしている自分に気づいて、怖くなった。

昨日は近所の友だちの実家の畑の農作業に、我が子たち3人と妻が便乗させてもらっていた。ジャガイモ、ネギ、スイカまで、帰ってきたらたくさんいろいろおすそ分けしてもらっていた。次女も土から大きなジャガイモを抜いて喜んでいたそうだ。軽トラの荷台にも乗ったのが楽しかったそうだ。収穫の現場を体験する。実にありがたい。この子たちには、スーパーが畑、みたいな感覚にはなってほしくない。ちゃんと育てて作る人がいて、できる季節があって、土から、海から川から生命が出てきて、それぞれ違いがある。その当たり前を、まずは知ってほしい。自戒を込めて。

我が家のものだけど、もう一つ遠慮していることがあって、妻が仕込んだ梅ジュースのための梅シロップの瓶である。妻は飲み物で世界で一番うまいのは梅ジュースと豪語して、一昨年から梅シロップ仕込みに精を出した。今年は長女と次女も長いつまようじでホジホジを手伝っていた。毎日瓶をひっくりかえすこと数ヶ月、熟成を経てそれがついにできて、いま爆発的な人気を家族の間で誇っている。

飲んでみるとたしかにグビグビのめる。甘すぎないし、それでいて梅の爽やかさと酸っぱさがちょうどよい。

瓶は4つまでしかない。これがなくなると来年までまた我慢である。なるべく長持ちさせたいだろう。妻が職場にもっていったり、子どもたちが家に帰ってきたとき、ご飯をたべるときにいつも「梅ジュース」と叫ぶのをみているとぼくは我慢するべきなのだろうと控えておる。自分から作ろうとおもったら作れるが、歯止めが効かなくなるから作らない。パック麦茶で我慢している。

梅干しも仕込んでいるそうだ。梅は偉大なり。ただ、キッチンの作業台上にはその大きな梅シロップの瓶が2つ鎮座していて、料理がしにくいのは難点だけど。

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ピアノの練習と習い事の思い出

長女のピアノの発表会が近づいてきていて、練習に熱が入っている。ピアノになると妻のほうが厳しくなる。ときどき、出来なくてつらくなって泣いている。ぼくは失敗しようが、練習を怠って前できていたものができなくなろうが、全く気にならない。徹底的にアメになれる。この音楽音痴からしたら、楽譜が読めるだけ、続けるだけでもすごいと素直に思える。

小さい頃、ピアノを習わさせられた。母はピアノができる息子になってほしかったのだろう。しかし、これもまったく好きになれなかった。最初は家の近くのヤマハ音楽教室。練習をしていかないから、うまくもならないし、行きたくもない。

これはマズいと先生を変えた。母の塾の教え子のきれいなお姉さんの個人レッスンであった。今思うとすごく恵まれておる。今こそ習いたい。しかし、少年にはそのありがたみがわからない。先生は優しく教えてくれた。それでも、好きになれなかったからもう打つ手はないのである。

小さい頃、そろばんを習わさせられた。母もやっていて、すごく暗算が得意であった。息子にもそうなってほしかったのだろう。しかし、これもまったく好きになれなかった。教室は古いスーパーの2階であった。おばちゃんの先生が一番まえにこっち向きに鎮座しており、低い横長の台のような机がスクール形式で並んでいる。一つの机に3人くらいが並び、地べたで座る。その教室は違う小学校校下だから、誰も知り合いはいない。おばちゃん先生は集中しないぼくを怖い顔で見てる。窓が少なくてくらい。そんな環境で「願いましては」といわれても計算している場合ではないと思ってしまうのである。

ぼくが好きでないのはわかっていても、母は仕事の前にぼくを送迎してくれた。1階のスーパーの駐車場でぼくを降ろす。ぼくはその脇の細い階段を上る。これも窓がなくて暗い陰湿な雰囲気だった。なるべくそろばん教室に行きたくないから、30秒数えて1段のぼるといったルールを決めて、なるべく上がらないようにした。

階段の途中に正方形の小さな窓がある。ずいぶん時間がたった後で、もう流石に駐車場に母はいないだろうと思って駐車場を見下ろすと、まだなんといるではないか。運転席の窓から心配そうに見る母と目が合ってしまう。必ず、ぼくの姿が通るはずの窓にまだ我が子が通らないから辛抱強く待っていたのだろう。せっかく間に合う時間に送っているのに、これである。車から降りて、「早く行きなさい」ということもできただろう。今のぼくならそうする。

でも、母は我慢して待っていた。あの目は心配だったのではなく、悲しかったのかもしれない。「こういうふうに育ってほしい」と願ってあれこれ習い事をさせて、お金を出すけど、どれも馴染まない。どれほど歯がゆかったことか。

そろばんも、やがて辞めた。覚えたのはそろばん技術ではなく、そろばんから逃げたくて、教室の壁に目をやりキョロキョロしていたら目についた「一、十、百、千、万、億、兆、京、ガイ、ジョ、ジョウ」といった10の乗数の呼称であった。今でも言える。寺の息子だからお経の念仏のように覚えられた。

でも、どこかで勘違いして覚えたようで、途中から小さい方、つまり10のマイナス乗の呼称が混ざってしまって、「コウ、カン、セイ、サイ、ギョク、バク、ビョウ、アイ、ジン、シャ、セン、ビ、コツ」と記憶の中では続くのである。ほんとうは一番大きい単位は恒河沙とか無量大数らしいのだが、そこにはたどりつけないまま覚えてしまった。

 

自分からやりたいといったのは野球で、ユニフォームにグローブに全部かってもらって喜んでいったけど、それも1回行ってもう行かなくなった。球拾いのときに遊んでいたらボールをプールに落としてしまい、それを取ろうとプールに長い竿を入れていろいろしていたらびしょびしょになるは練習に参加しないわで上級生に無茶苦茶怒られたからである。その中に近所の井上くんがいて、その井上くんはカバってくれると思っていたけど井上くんからもメチャメチャ怒られて、寄って立つ岸がなくなって足が遠のいた。繊細な少年だった。

絵と書道は近所の美術教室を営むハシバ先生にならっていて、これはちょっと続いた。絵は同級生の才女がむちゃくちゃうまくて、こりゃ向いてないはと思って途中でやめたことと、水彩絵具の片付ける洗面所が暗くて、洗面器が絵の具で汚れていてむちゃくちゃ汚かったことが原因であった。

でも書道は好きになれた。先生のアトリエが新しくなって、洗面所がきれいになった。これも大きいが、ほかにもある。あるとき、書いてもっていったら先生から「疲れてるね、もう帰るか?」と言われたことがある。心の中まで見抜かれて、書いた字をみて、そんなことまでわかるのか、とびっくりした。字は心を伝えるのかと興味が湧いた。

きれいな字を書く人、というより自分らしいフォントを持っている人に憧れるようになった。小学校のそれぞれの先生の黒板や学級だよりに書くフォントをやたら研究したりした。例えば、「た」の書き方でも先生によって全然違う。その興味は漢字や熟語のプロポーションに発展して、そのプロポーションへの興味はやがて建築の造形への傾倒につながっていくから、その後の人生にも大きく影響した。

スイミングも最初もこれまた校下外でものすごくイヤだったけど、スクールバスで通うようになり、そこで仲良い友だちができて、楽しくなった。ソフトボールはもともと仲のいい友だちが誘ってくれたから続いた。塾もこれまた田舎からバスで1時間、都会に通うはめになり、都会の小学生ばかりに囲まれ、最初は誰も知り合いがいなくて、授業や宿題は難しくて、いやで仕方なかった。

 

こう振り返ると、小さな頃のわがままで繊細で人見知りのぼくに比べたら、我が子たちはずいぶん習い事を満喫してくれている。自然と友だちもできてるし。「自分から習いたいかどうか」を大事にしている、からかもしれない。ぼくの小さな頃の、あまりなじまなかった経験からの反省があるから。親がこうなってほしいと与えても、ダメなものはダメなのだ。親の思うように育つ、そんなことはないと観念しなきゃいけない。何が我が子の人生に影響を与えるキッカケになるかも読めない。かといって、何も与えないのではなく、どうなるかはわからないけど、その子が興味を持って、生き生きできる世界と接続できるよう、いろんなチャンスを与えてあげたい。

母がしてくれたことは、いま孫で生きている。