人間のごうまん

お留守番をしているメルは帰宅時の車の音がしたら、玄関が開く前から「ピーピー」と大きな声で鳴くようになった。

「すごいねぇ」と思わず感心している。

知っている息子は「そうだよ」とうなずきつつ、しばらくしてから笑いながらこういった。

「人間って、傲慢だよね。『すごいねぇ』って、人間はできるけど鳥はできないと思ってるから出る言葉。動物を上から見てる。」

そのとおりだなと気づいて反省した。その目線は大事にしてほしい。

インフラ人材

インフラストラクチャーとは社会基盤、具体的には水道やガス、電気、道路、インターネットなど生活の基盤になくてはならないものを指すのが一般的な定義とされる。

でもそれを「人の生活に必要不可欠だけど、ありがたみに普段は感謝しないもの。いいかえれば、それがなくなったときに価値に気づくもの」と捉えたらどうだろうか。そうなると、親だってインフラである。逆に言うと、普段はありがたがられない程度の存在感がいい塩梅なのだろう。事務作業や家事という仕事もそれに近い。停滞させず、流れていれば気づかない。潤滑油だってそうだ。歯車を回すにはなくてはならないが、グリースに感謝することは稀だ。

無は実に強い。目に見えないもの、普段は気づかないものだって、ちゃんと価値があるわけだ。目立とうとしたり、存在感を示すこと、そうなることがすべてではない。グリースのような人材が社会を成り立たせる上では目立つ人と同じように、いやそれ以上に大事な役割を果たしている。歯車になることだけが社会人になるすべてではない。インフラ人材はまだ社会や教育は注目してないが、これからは脚光を浴びていくだろう。歯車は機械である。潤滑油は生物だ。敬い、頭を下げることを知っている。ぼくもこれからはよりそういう親にも社会人になるように心がけていきたい。

他方で、インフラの顔をしているが、実はなくても困らないものだってたくさんある。リニアモーターカーや新幹線。だれが必要だといっているのだろう。必要性より利権が先にきているように思えてならない。

きょうだい

「パパ、きょうだいほしかった?」(長女)

妻の同僚の家は女子4姉妹だという話題から。

「パパもママもそうだったよ」

「そうなん。パパは、きょうだいいないよね?」

「うん」

という流れでこの質問。

「そうおもったこともあるかもしれないけど、おぼえてないな」

横で聞いていた次女が「スイカひとりじめできるもんね」とニコニコしながらうらやましがる。きょうだいがいたら、きっと心強いし、この子たちにもいとこがもっといたんだけどな。こればかりは仕方ない。あの夫婦関係からしたら、ぼくがいるだけでも、奇跡みたいなもんだ。

 

膝の上

続いて、次女がお風呂上がる頃、勉強を終えた長女が入ってきた。学校の帰り道のことを詳しくきく。だれかしら友だちと一緒に帰っているそうだ。ぼくが知らない新しい友だちの名前が出る。「テレビ見てたら、イノシシが、お店に突撃してガラス割ったんだって」と物騒な報告を受ける。

洗面器の中のメルを撫でながら、髪と身体を洗ってやる。いろいろメルに話しかけている。風呂上がりの次女から「メルがのぼせないようにね」と洗面所から警告される。

湯船の彼女に歯を磨くようにいうと、「パパの膝の上がいい」というのでぼくも湯船につかって、膝の上に乗せて磨いてやる。前歯の1本抜けている空き地に、ようやく永久歯が生えてきているようだ。すでに生えている永久歯がものすごく大きくて、邪魔をしているから心配していた。そうってもらえるうちが華である。身体を拭いて、ドライヤーして、抱っこして寝床にいって、ツボツボマッサージ。ちょうど21時であった。

生きる

「ねえ、ずっと生きてる人間って、いる?」(次女)

お風呂で。「いないよ。命はかならず、終わる」という事実をいうと、自分も「いつか死ぬ?」と返ってきた。

「いつかはね。ずっと先だけど。元気に長生きしてね。パパのお願い」

「パパは、何歳で死ぬと思う?」

「いつでもいいよ。パパはもう3人の子どもできたし。子どもが元気に長生きしてくれること、それが一番の願い。」

「ママの願いは何かな。」

「聞いてごらん。」

「そうする。」

「ねえ、はくさいと、りんごと、肉と、水で、人間って生きていける?」

「うーん、生きていけるかな」

「わかんない?」

彼女は曖昧な返事を許さない。

「ごはんが、ないな。お魚と」

「じゃ、それがあれば生きていける?」

「たぶん。でも、いろいろ食べないと元気でなかったり、病気になりやすくなっちゃうかもね」

「じゃ、食べる」

生きることに、いろんな方面から関心があるようだ。尊敬する住職だった祖父は「仏さまからのお与えの命。なんまんだぶ」と寝床でよく行っていた。生きているのではなく、生かされていると。

 

 

ストリートビュー

息子がずっとiPadとにらめっこしている。Google Mapのストリートビューをせっせとやって、昔住んでいた東京の日本橋の界隈を歩いている。住んでいたマンションはもちろん、よく遊んでいた蛎殻町公園や通っていた日本橋保育園、公文をみつけて懐かしんでいる。やはりなお、東京での記憶は覚えているし、彼にとって愛着があるようだ。

今の我が家もしっかりもう撮影されて車まで映っている。通学路も歩いてみている。身近なところと過去の懐かしいところ、それぞれ面白いようだ。アンコールワットに行ってみようとしている。神の道具に思えてくる。すごい世の中になったものだ。

時制を気にする

次女が明日友だちの家にお邪魔して遊びに行くのを楽しみにしている。今日その子からお手紙をもらったそうで、返事を書いている。ぼくは隣のテラスで蜘蛛の巣をとっている。

「なんて書いたらいいかな」と聞くので「『明日楽しみにしてるね』って書いたら?」と勧める。

「手紙渡すの明日だから、もう『今日』だとおもうんだけど。」

正確には時制を気にしていた。蜘蛛を払いながら感心した。

ちなみに、その友だちのお父さんはお風呂で45度の湯船につかること、結婚記念日が誕生日であることを次女が教えてくれる。ものすごい個人情報まで子どもたちは伝え合っている。