イルカ

「ねえ、なんで、メダカは死んだら、水に浮くの?」(長女)

お風呂で。メダカがいまは3匹いて、エサをマメにやるのは長女だ。名前もつけていた。でもそれまでにたくさん死んだのもいて、埋めた。

プールを習っているから、動いていると水に潜れるでしょ、という話をしたらスッと分かったようだ。

プールは昨日9月のテストだった。先月と入れ替わって、長女が不合格、次女が合格。次女は飛び上がるように喜んでいるが、長女の前で「おめでとう」を連発すると長女の機嫌がどんどんわるくなるので気をつかう。次女はイルカになった。すねた10級の長女から「10級になったらもっときびしいんだからね」と悪態つかれていた。

お風呂で二人に合格することが目的じゃなくて、きれいに泳げるようになることが目的だと説く。息子も何回も落ちてたという話も。その末に1級までいったという話をしたら息子に対してやや尊敬の念をいだいていたかんじ。

プールの中からテストの前、練習の並んでいるときに何度も次女は見上げてこっちを見て手を振っていた。緊張していて不安だったのだろう。手を振り返すとニコニコになる。長女はその10分の1くらいの頻度だった。子どもは成長するにつれ、親の眼差しを必要としなくなる。

 

好きな歌

次女はあいみょんが好きだ。カラオケでマリーゴールドのPVを見たのがきっかけ。もう口ずさめる。つられて長女も一緒に歌う。

保育園で覚えてきた『裸の心』。誰の歌か分からないまま、家でも「流して」というのでかけたら、それがあいみょんの歌だと知ってさらに大喜び。

長女は『香水』を覚えてきて、これまた「かけて」とお願いされる。ぼくが20年前につかっていたのがドルガバの香水で、まだ少し残っているのでそれを妻が教えてあげる。すごい宣伝効果だなしかし。

子どもが好きになる曲、共通しているのは、ちゃんと歌詞をはっきり覚えられて、一緒に歌えることみたい。

 

計算

長女を学校の前まで送る朝。

楽しい授業は体育で、休み時間は先生のお手伝いをしているらしい。みんなやっていて、付箋をペタペタはる作業が人気で、付箋が取り合いになるのだという。

昨日は下校時、いつもは玄関にいくと誰かしら友だちがいるのだけどいなかったから「まあいいや」と思って一人で歩いて帰ったらしい。悲しかったか聞くと「ぜんぜん」とのこと。途中で友だちがいて、一緒になったそうだ。

3桁の繰り下がりのある引き算がむずかしいと。繰り下がりのとき、上に「10」を書かなくてもできるのに、書かないと「書きましょう」と言われるとボヤく。今の時代、変わらず計算を正確にやらせることって、どうなのかなとしばし考える。基本といえば基本だけど、単純計算は面白みがなく、それで算数が嫌いになる子も随分多いんじゃないかしら。

話題

「ねえ、大人って飲み会でじゃべるやろ。話すことなくなったりせんの?」(息子)

昨日家のダイニングで大人4人がワイワイ酔っ払いながら話すのを横で聞いていたからか、ぼくが帰宅するなり質問してきた。

彼が下校時とかに友だちと帰るときに、話すことがなくなることがしばしばらしい。

ぼくらシリーズ、読んだ?」

「うん」

で終わったりするそうだ。実に少年っぽい。

「たまにあるけど、あまりない。父ちゃん話すの得意だから。質問すればいいんだよ。話そうとするんじゃなくて。」

とはいえ、息子も質問はしている。話題を広げる技術をまだ持たないのか。

沈黙はそれなりに気まずさを感じる年頃らしく、なにか話をしたいけど、思いつかないらしい。

「ゲームの話になってしまったら、おれはダメだから」

ゲームもない、テレビもない。友だちがその話題になると、彼は黙っているらしい。

「おれはもうなれた」

悲壮感や寂しさはなくカラッとしている。彼が家でyoutubeとかみるのは、そんな輪に入る手がかりを見つけるためなのかもしれない。

「おれ、だいたい聞いてるよ」

自分からは話すより、聞いてることのほうが多いようだ。輪に入りきらず、横でだまって歩いている息子を想像してみる。すこし申し訳ない気持ちになる。拗ねることもグレることもなく、「そんなもん」として受け入れてあっけらかんとしているのに救われる。

ツール・ド・フランスのことを調べて自学のノートに書いている。サッカーは11月末まで続けるそうだ。今日はチームの半分、6点ゴールを入れたと喜んでいた。

よき日

親友家族が遊びに来てくれる。一緒に厄払いに行き、BBQをして飲む。ほんとうに楽しい日は、写真を撮らない。子どもたちの進路についても話す。地方は固定的で、選択肢が少ないからなお悩む。ぼくの場合は、スパルタの塾に共に通い、中学受験したおかげで彼のような一生の友だちと出会うことができた。目的は受験でも、いい学校にいくことでもない。無二の親友と出会える環境に自らを置けるかどうか。6年一貫というのは、そこがいいのかもしれない。中高の間でプツンと切れるよりも。

相棒

今日は気になっていた庭の伸びた草をひたすらむしった。ゴミ袋にして6袋がパンパンになるくらいの量を抜きに抜きまくった。中腰で腰にわるい。二の腕が痛い。場所によっては直射日光がジリジリ。

たいへんであったが、ぼくに逐一メルがついてくる。草を抜いたところから、虫が出てきたりミミズがでてきたりすることを知っている。コオロギやバッタなどを美味しそうに食べている。ぼくもそれがうれしくて張り合いがでて、全部やりきれた。まさにwin-winの関係である。メルがいなかったら、孤独でどこかで「今日はここまで」と踏ん切りをつけていただろう。にしても、土の中にもちゃんと生態系があるものだ。「まだまだ、知らないこと、見えてないことばかりなんですよ。」とこないだ近所のママさんが言っていたことを思い出す。そのとおりなのだ。

草をむしり、庭を見る。さっぱりして清々しい気持ちになる。手でやるからムラがある。そのムラがいい。機械で一律同じようにバッサリ切るのはカンタンだ。だけど味がないし、知恵もいらない。人間が自然を力で押さえつけ、コントロールしようというコンクリートの地面とさほど変わらない。

適度な密度というのがあるようで、それを「美しい」と思うように人間はできている。雑草の思うがままに茂りすぎると空気が淀んでくる。それをほどよく間引く。ところどころあえて残したり。土と人間と草のなんとなくの心地よい「あんばい」ができる。それが楽しい。そう感じるようになったのは香山先生の軽井沢の庭を拝見したとき。植物の構成、高低の付け方、家の中からの見え方など、その「あんばい」が絶妙に思えて、ほんとうに美しかった。先生のお描きになる温かく美しいドローイングさながらであった。草をむしりながら全体の調和の「ハーモニー」が頭におありなのだろう。ぼくはとても真似できないが、一律に雑草は一網打尽がいいというわけではなさそうだ、という気付きは大事にしたい。

午前中は普段はメルは寝ているが、今日はご馳走を追いかけまくって満足したのだろう。その後は中庭にペタッと座り込んで平和そうに寝ていた。

合鴨農法平安時代からあると言われるが、とても分かる気がした。

長女が「パパにはついてくるし、抱っこも逃げない」とヤキモチをやいている。エサもあげるし、ウンチも取るし掃除もするのはぼくだから、そのくらいの恩恵はあろう。

夕焼け時に抱っこして長女と一緒に夕焼けを見せる。特に感慨もなさそうであったが、腕の中で大人しかった。

「メルの目に、おうちが映ってる。こっちの目は、夕焼けがうつってるかな」

長女が顔の横についているメルの目を間近で覗き込む。

すっかり慣れてくれたし、放っておいてもちゃんと中庭に帰ってくる。なくてはならない家族になった。

恩師から心のこもったお手紙とワインの贈り物が届く。うれしい。いつものことだけど、簡潔でありながら一言が重く、気持ちが伝わるスマートな文に感じ入る。子どもたちにもお礼をいう。ワインは味わえないので、ジュースを買ってあげることにする。

鴨とドローン

妻がどこか行きたいというので午後は山の方にドライブに行くことにした。曇り空が青空になって風がない。何年ぶりかにドローンを持っていくことにした。メルも連れていく。山の奥の公園で人気はないと思っていたが、遊具があるせいか、ちらほら家族がいる。

横のだだっぴろい広場は草が刈られていて、メルにもドローンにもちょうどいい。息子がドローンを操作する。長女と次女も「やりたい」というが「難しいからダメ」と退けたらいじけながら隣の遊具で妻と一緒に遊ぶ。妻はこれも見越して遊具と広場がセットになったここを選んだそうだ。一理ある。

ドローンは2号機である。前も書いたか覚えていないが、この近くで初めて飛ばしたら、そのままどこかに飛んでっていまったという、開けたばかりのプレゼントの操作時間が5分だったという息子にとって忌まわしいトラウマがある。プノンペンで友人に体験させてもらったプロ用が面白くて、買ったものだった。

不良品だったのかもしれない。そもそもプロ用とこの安いおもちゃではコントローラーの届く範囲も違うから、ぼくももっと慎重に一緒に寄り添ってやるべきだった。もちろん当時息子は泣きじゃくり、自分を責めて頭を殴っていた。自分を攻めるんじゃないとぼくに怒られてまたいじけていた。帰りに散歩して、遠方まで見渡せる風景をみて、きれいなユリの花を一輪拝借して持って帰った。悲しい日でもいいことがあると教えてあげたかった。でも彼の心を慰めるにはもちろん不十分だった。ぼくにとっても思い出したくないくらいつらく、不憫な一日であった。

この顛末をメーカーにメールしたら、なんと新しい1台を届けてくれた。感謝してもしきれないくらいうれしい対応だった。でも息子は喜んだものの、怖くてあまり触ろうとしなかった。ずっと新品のまま、押入れに入れたままだった。

数年たった今日、そのトラウマも幾分かは溶けたようで、使う年齢も適齢になり、楽しんでいたようだ。遠くにいかないように慎重になりながら操作して、メルや長女と次女を撮影している。

息子は長女と次女に使わせるのはためらった。過去の顛末があるのだから仕方がない。ただ、彼女たちは我慢しきれなかった。息子がメルや遊具で遊んでいるすきに、長女に使わせてみた。「飛んでっちゃったら、大変だからね」とおどした。

驚いたことに、長女はうまく近くにホバリングさせることができた。ぼくより上手い。意外に器用なんだな。知らなかった一面をみる。

その姿を見逃さず私もやらせろと次女が駆け寄ってくる。断れないのでやらせることにする。心配そうに長女が横に寄り添う。

「こっちが上と下、こっちが前うしろ、左右ね」と説明してあとは見守る。

キュイーンと音がして、浮き上がる。やはりコントロールが効かなくなり、自由にドローンがあさっての方向に飛んでいく。トラウマがよぎる。長女がカンタンにできたこともあり、油断した。

「降ろして!降ろして!」

長女の焦った声が聞こえる。ぼくはドローンを追いかける。

ドローンが走っていく先には他の小さな子連れの家族が遊んでいる。まずい。高度を下げながらまっしぐらに向かっていく。ぼくも追いつかない。

「すみませ〜ん」と声を出しながら追っかける。小さな男の子をかするようにスピードを落とさず地面に着地。ヒヤリと肝を冷やす。

改めてドローンを拾いながら謝りながら長女と次女のもとに戻る。息子も危機感を感じ取って一緒にいる。次女は罪悪感からもう泣いている。息子は「だからいったんだ」と攻める。やはり、やらせるべきではなかった。ぼくの判断ミスだ。もしも男の子にぶつかっていたらと思うとゾッとする。ドローンを追いかけてもむだだ。一緒にコントローラーを触るべきだった。またドローンがなくなってしまうという焦りから意味のない行動に出てしまった。

久しぶりのドローンはこれでおしまい。妻が切ってきた梨を振る舞い、それで一同気持ちがまた整った。次女も気を取り直した。

「むずかしかったのに、一緒に操作しなかったパパが悪い。チャレンジしようとしたのはいいこと。」と伝えると深くうなずいていた。

ドローンから撮影した映像には息子が撮ったメルとそれを追いかける長女の姿が映っていた。

おまけに。メルが何かを加えているとおもったらそこそこの大きなミヤマクワガタだったそうな。息子が喜んで救出してあげる。今年もクワガタは一度探しにいったがみつからず、その後も結局いけなかった。彼にとっては昨年に続き、メルのおかげで自分で捕まえた2匹目の収穫である。夏の終りに、素敵なプレゼントをもたらせてくれた。

帰りの車中もミヤマクワガタを大事そうに手のひらに乗せている。日が沈み始めている。みんなで綺麗な夕焼けをみながら帰宅。

「昨日も、自転車乗りながら夕日がめちゃきれいだった」と息子が教えてくれる。

カブトムシは昨日オスもメスも死んでしまい、今日埋めたところであった。その主がいなくなった虫かごに、ミヤマクワガタが入った。昆虫ゼリーもまだある。草むらにいて、メルに捕まるくらいなので弱っているのかもしれないが、少しでも延命して息子を喜ばせてほしい。

3人それぞれの公園タイムであった。「鴨とドローン、変な家族と思われるよね」と妻が行っていた。それでいいのである。

「ドローン、楽しかったな。」とぼく。息子がうなずく。復活できてよかった。また風の弱いときに、もっと広大な公園で思いっきり飛ばしたい。

夕食はラーメンに行れていく。ぼくが一人ランチで行って好きなところ。息子はロードバイクの本を読み、娘たちはもってきた色鉛筆と画用紙にお絵かきをしてラーメンを待つ。長女は好きな家の絵、次女はラプンツェルとメルの絵を描いていた。