小人

カラフルなゴムの小人。両手両足の先にマグネットがついている。お互いをくっつけあう。久しぶりにそれで次女が遊び、「このくらいになれたらいいのに。もっと小さくてもいい」と小人になりたい願望。前も聞いたな。スイカの中に入って、お腹いっぱい食べられるから、と。

12歳

長女12歳の誕生日。桜の綺麗なときに生まれた。彼女も家族もあわただしく、写真がとれなかった。初めてのことだ。ケーキも、彼女が食べたいディナーもお預け。

無理やり仕事を早く切り上げて、トランポリンに送る。前日の朝、「明日、トランポリンに行ける?」と尋ねた彼女。妻が用事あって「送れない」と伝えたら、むくれながら家を出ていた。誕生日にそれはかわいそうがから、ぼくが願いを叶えることにした。

トランポリンの間に、甘いものを買ってあげようとたい焼きをかった。次女の分。もめるのがいやだから、あんこを2つにして、カマンベールチーズのやつは選択しなかった。

トランポリンが終わってたい焼きを渡すと「何味?」と聞いてくる。あんこ味を伝えたら「いらない。チーズがよい」と断られた。一つを次女に渡して、もう一つをぼくが食べる。空振り。

そのまま英語教室に送る。「シュークリームでも買う?」と聞けば「うん」と前向き。道中。気分が変わって「ファミチキが食べたい」と要望を変更。はじめてのことだ。どこで覚えたのか。ちょうどファミマが通り道にあるので寄る。ファミチキは1つにする。200円ちょっと。長女に渡すとすかさず次女が「一口ちょうだい」とねだる。渋々長女は渡す。

長女が食べているとき、次女が「私も、唐揚げ食べたい。ファミチキみたいなの」とリクエスト。

「英語まで時間あるから、ゆっくり向かって」と長女。

「お腹すいたから、早くいって」と次女。

英語教室につく。結局数分前到着のオンタイム。長女をおろしたあと、近くの唐揚げ屋によって90円の小さな唐揚げを買ってやり、次女の欲を満たしてやる。一口サイズだが、満足していたようだ。

学校から帰宅した息子を塾に送り、その足で英語を迎えに行く。家について、妻のつくったカレーを食べたあと、旅人算の算数の宿題のプリント。合っているか見てほしいとみて、間違った問題を指摘すると「わからない」と機嫌が悪くなる。さすがに疲れているのだろう。ブーブーいいながら妻に優しく誘導されながら正解にたどりついたようだ。ぼくはイライラを助長しないように何も言わず、構わないでおく。

セカオワが出た歌番組をみていたら、機嫌が回復してくる。彼女が関心を示していた、ぼくが最も好きなホラー映画「シャイニング」のトレーラーも見せる。「今度観る」と前向き。

22時半過ぎ。眠くなり、「足もんで」と寝床へ。次女もついてくる。左手で長女の足、右手で次女の足をそれぞれもみながら、寝かしつけ。いつものように、しばらくしたらビクっと身体が動いて、寝付く。

今朝の、出勤のとき。車で聴いた音楽は、たまたまシャッフルで出てきた関取花ちゃんの『むすめ』だった。これはぼくと彼女にとって、特別な曲だ。彼女が2歳か3歳のとき、みなかみのNew Accoustic Campに行った。まだメジャー・デビューする前の花ちゃんが来ていて、彼女を肩車しながら聴いた。いつか、歌詞にあるような日がくるのだろうか。あのときはまったく想像がつかなかった。だけど、娘を持つ父になったからこそ、感じ入るものがあって、大好きになった。その後、この街であったライブハウスでの単独ライブにも、彼女と二人で行った。子どもは彼女だけだった。帰りしな、花ちゃんにCDのサインをしてもらうとき、みなかみのときのことを伝えたり。

誕生日に合わせてドンピシャでシャッフルしてくるとは、オーディオプレーヤーも粋なことをする。

肩車や抱っこをしていたときの思い出が蘇る。二人で早朝のバードウォッチングのイベントにいって、鳴き声だけきいて、みつけられなかったやつとか。そういうえば、最近彼女が泣いたところを見ていない。むかしは「アブブ」とぼくらが呼んでいた、思いどおりいかないとき、泣きじゃくる時間がしばしばあったのにな。

いま、妻とほとんど変わらないくらいの身長になった。歌詞がひたひたと現実味を帯びてきた。

「今度、何食べたい?オムライス?」

「うん」

これはまだ空振りはしなかった。

プレゼントもまた改めて。ちゃんとしたiPodをご所望。

消尽

視力を無くすまで、人生の時間のあるかぎり、ぼくの両目はこのスクリーンにばかり向けて、後悔しないだろうか。いやする。何かの罠にかかっているような。牢屋に閉じ込められているような。

無駄にできる時間があるというのは恵まれている。でも、夢中になれることがないのは豊かではない。

青空。桜が満開になった。今年も。街は賑わっていた。どこか、遠くの世界に見えた。こちらは気の重いことばかり、気分は晴れない。今年ばかりは。

帰るところ。なくなるとつらいから、離れられない。街がなくなるとは、帰れなくなるということ。どこに住むか、人生における大きな問いの一つ。

考えても、話をしても答えは出ない。無に帰するべし。寝てたい。