「パパ、ほしいものなに?」(次女)
和室で漢字かきとりの宿題しながら。
「うーん」
「時間?」
「お金かな」
「ママもそういってた」
「ママは、パパがお金もってくるの少ないから悲しいんだよね」
「ちがうよ。パパがんばってるから、ママもがんばらなきゃといってたよ。お金以外でほしいものは?」
「お金で買えないものかぁ。なにかな」
「わたしとかは?」
「それはもうこうやって得てるでしょ」
「そうだね」
「子どもたちが生まれて、元気に育ってる。それはもちろん、一番うれしいよ。お金で買えなくて、これから得たいものねぇ。生きがい、かな」
「生きがい、ないの?」
「うーん」
いつしか、欲することを、しないようにしてることに気づく。諦念と無心。空っぽにする。求めず、流され、目の前のことをひたすら処理するのみ。子どもが元気ならそれでいい。たいていのことは、宇宙の大きさや時間に比べたら、何もかも物理現象で、とるにたらない誤差だとおもうことにしている。
「青い鳥は、いません」
これは父が最近くれた言葉。
しいていうなら、ほしいのは、「運」なのかもしれない。