目を閉じて

死ぬまでに何をみたいか考えると

子どもの成長、どんな顔つきになるかを少しでも見届けたい。孫とまでは望まない

あとは本と家からみえる見慣れた景色

ほかはすべて余計なもの

我が子らの写真ももうあまり撮らなくなったし、詳細な顔つかを思い浮かべてられない

さみしい

視力のある限りしげしげと見て瞼に焼き付けておきたい

死ぬ前は、それを思い出しながら妻と子どもの

手は顔をさすりながらがいい

死と向き合おうとして開き直ってみると、余計なことばかりで生きてるんだな。大事なものが浮き出てくる

しばらく目を閉じる

開く。目が見えるありがたさよ

読破

図書館で借りてきた星新一さんの文集をあっという間に読んでしまった次女。フィットしてハマったよう。時々声を出して笑っていた。

いくつか、おすすめのを読むように勧められた。『殺人者ですのよ』、『カード』、『勧誘』。賄賂、水商売、殉職。言葉の意味を聞かれたワードたち。次は何がいいか。星新一さんの代わりはむずかしい。星新一賞なるものもあるといったら、興味示していた。

自責と懺悔

息子を育てて15年、ぼくは彼の人生を歪めただけだったのではないかと自責の念に苛まれているのである。その都度、彼にとっていい影響があるだろうと、最適な声がけは何か、やりたいと思うことに対して、最適な選択肢は何か、持っている限りの思考を尽くしたつもりではある。その吟味には、手を抜いたことはない、とはっきり言える。最優先であった。いろんな人に会ったり、あちこち連れて回った。なるべく彼の意思を尊重し、おしつけることもしないで、彼の判断に委ねることもしてきたつもり。

しかしそれは、ぼくの限られた経験の、狭い視野でのアドバイスでしかなかった。ハマることは少なかったようにおもう。ただ彼は素直に父のいうことも、むげに切り捨てることはなく、少しだけ取り入れる。

でも結果、そのズレは彼を翻弄し、中途半端な影響として参与するだけにとどまったにすぎないし、こちらも心配が募り、結果純度の高い「口うるさいオヤジ」が反抗期に完成した。ならばと中学校には、入学式と卒業式しか足を踏み入れていないし、距離を置くことにした。

もし、つべこべ言わず、彼のやりたいことだけを純粋に支え、応援することができていたら、どうなっていただろうか。バレーの結果も違っていたかもしれないし、彼の納得する道が、もっと清々しくひらけていたかもしれない。良かれと思ってきた価値観に拘泥し、老婆心ながらと声をかけ続けてきたことを、申し訳なく思い、反省している後の祭り。思い入れがありすぎたせいだろう。力みすぎたら、歪むだけ。本人のためにならない。大事であればあるほど、もっとシンプルに、手放して育てるべきであった。取り返しがつかないが、バレーだけをもっと応援すればよかった。まぁ、それもうっとうしがられていたかもしれない。

そもそも、ぼく自身、自らに自信を持たず、人生の行き先を見失ったまま、たいした仕事もせず稼ぎもない。尊敬しうる、重んじるほどのものなど持ち合わせていない。そんな信頼に値しない父のいうことなど、いくらこっちが必死になったところで、むしろ「ああはなるまい」と思うのが関の山だろう。自分は違うと思いたくなり、まともに真剣に受け止める気になるわけがないのである。

何を伝えてももう逆に作用するのではないかと疑心暗鬼。父親はもうしゃしゃり出ない、黙って放任、元気であることだけを点検と言い聞かせる。彼の人生を邪魔しない。

やってることとして、見捨てると見守るの違いはどこにあるか、わからなくもなる。我が子を信じているかどうか、の違いか。

距離が再び近づくことはあるのだろうか。

ぼくの場合、父とは、悩んでいるとき、これも大半は息子への向き合い方についてなのだが、心構えや生き方のヒントをくれる彼のこれまでの膨大な読書を基盤とした博識さとリベラルさに頼ったことがきっかけだった。そんな話、彼は興味ないし、ぼくが持ちあわせてもいない。

こんな父で申し訳ない。巣立つ春。