長女を本屋につれていく週末。何度も読んでる『知っている』シリーズを、また読むために買った。そのなかの一節に、青色について語っているところがある。波長ゆえに、青は地球に溢れる特別な色。彼女が青色を好きになった理由。そんな手元に置いて起きたくなった文章に出会えたことは、しあわせなことだ。

パパの

朝、小学校の近くまで次女を乗せる。雨が降っている。傘がないから、息子のえの壊れた黒い蝙蝠傘、ぼくがいまを使いなと促す。

「パパのは?」

ぼくは折りたたみがあると言うと安心していた。

黒い傘は不釣り合い。長女の年齢になったら嫌がりそうだけど、「ありがとう」と言って降りて、振り返って車窓越しに手を振り、差して行った。

あと数年したら、振り返ることもなくなることを知っているから、よけいに愛おしい。

父より

「パパ、何時頃産まれたの?」(次女)

ぼくの誕生日に。父に聞いたら、覚えていた。

ぼくは確か船橋の病院で産まれた。

「午前中の11時頃だったよ。お父さんは浅草橋のつぶれたスーパーの長﨑屋での仕事を終えてから、駆け付けたけど、お母さんが両手で抱いて見せに出てきた場面を、はっきりと鮮明に覚えているよ。お母さんがすっぴんだったので、それもあったからなんだろうね。」

息子が産まれたときのことを思い出す。

父も当日、楽しみと喜びに溢れた、同じ気持ちだったのかと思うと、そのあと、ずいぶん親不孝してしまったと反省する。

執事

妻によると、ぼくは長女の召使いらしい。

帰宅時、間に合えばドライヤーを頼まれたらどんなに忙しくてもやるし、寝るときは足を揉む。

土曜日はトランポリンと図書館に連れていき、次女のパズル教室の間はミスタードーナツで本を読む。ドーナツは2つ。車の中はセカオワのDVD。なるべく彼女の好きなもので満たしてあげられるように。車中、会話は特にない。

寝床で、「面白いところ読んであげる」の音読も続いている。ときどき、ちゃんと聞いているか確認の質問が入り窮する。

図書館ではぼくが先に歩いて彼女が続く。横に並ぶのではない。鴨の親子とおなじ。

トランポリンの帰り、ショッピングモールでパンを買う。コンビニにもある全国チェーンの安くて美味しくないパンを選んでいるから「パパのお金ないの遠慮しなくていい。そんな大学生の一人暮らしみたいなのを今から食べなくても」といって、パン屋さんコーナーに連れていく。選んだサンドイッチの高いこと。しかも二つ。お気に召したようで、毎週買うようになってしまった。

息子には気の毒というくらい、甘やかしている。父なのか、執事なのかわからなくなる。ただお世話するだけで、しあわせなのである。

並木道

妻と次女とぼく3人でファミレスにランチ。次女だけを連れていくというのは珍しい。学校で休みは何してるとか、仲良い友だちはだれかとかを尋ねる。学校生活にストレスはなさそうで安心する。

「登校のとき、何歩で学校行くのかな?」と妻。

翌日。次女は並木道を入るところでそのことを思い出したそうで、数えたそうだ。2300歩。今朝は家から並木道までを数えるのだという。「足せばいいから」

「おはようとか話しかけられて、たいへんだったでしょ」とぼく。

「そのときは止まって返事したよ」

尋ねられたら、そのまま実行。小学3年生の素直さがまぶしい。