黄昏キャッチボール

夕刻、「パパ、キャッチボールしよ」とここ数日おねだりされる。水色のやわらかいゴムボールを最近買ってもらったため。夕庭からの先の道路でつきあう。ボールが横回転の投げ方をしている。変な癖にならないように、基本を教える。腕の振り方、足の出し方、体重移動。説明が長くなってしまう。ボカンとしているから、習うより慣れろなところもあるだろう。いったんいちいち説明するのをやめてひたすらキャッチボールを何度も繰り返す。少しずつ、本人の中でコツが少しずつつかめているのか、どんどん上手になる。ときどき高いボールを上げたりすると嬉しそうだ。

夕日が山陰に沈んでいく。少し中断して沈みきるまで道路のガードレールに腰掛けて眺める。空の色がどんどん変わってゆく。圧巻の時間。

視線の上を走る高圧電線に、鳥が何羽かとまっているのを長女が見つける。

「みんな、みてるんだね。」

振り返って夕庭にいるメルをみると、こころなしかこっちを向いている気がした。でもやはり夕日にはお構いなくまた虫と草を物色しはじめた。

 

「こっちの雲は橙色で、なんでこっちは白いままなの?」

「太陽って、沈んでいるんじゃないんだよね?」

質問がいろいろ飛んでくる。

太陽と地球の関係を、ぼくが太陽、長女は地球になって解説。長女がその場でぐるっと1回転すると、ぼくがどの角度でみえるかを実際に感じてもらう。真正面は正午だ。

いつか理科の授業で説明を受けたとき、これでピンとくるだろう。

 

「こんなにすごいショーは、人間はつくれない。」

ぼくが思わず口にする。こんなに大規模で、みんなが『美しい』と感動するもの。地球ができたときから続いていている。西方に浄土があると思ったように、昔の人も同じような気持ちになったはずだ。そう確信できる美しさがある。そして、場所や季節や天気によって決して同一なことはない。それでも毎回美しい。そのすごさを長女に説く。しかも、無料だ。

「雨の日は、お休みだけどね。『今日はお休みです』って。」

 

例えば劇団四季のライオンキングはどうだろう。素晴らしい傑作だ。人間がつくるショーの中では最高峰だろうし、何回も見たくなる。でも規模が違う。

例えば夜景はどうだろう。一面の広い夜景は人間が作り出しているし、毎日あるし、日々変化もある。でも何万年も続くものではない。

 

「太陽が終わったら、ショーは終わりなの?」

「太陽が沈んでからが、空の色ってもっときれいになるんだ。そして、星のショーがはじまる」

「今日はこれから、夜の部が始まります」

 

「さあ、夜だね。家に入ろう」

家の中に戻る。メルは長女とぼくについてきて、土間を自分で通り抜けて中庭に行けるようになった。特別なことは何もない。でも、とても幸せな時間。