直島豊島の思い出

今年度の家族修学旅行、直島豊島に行って。

 

いつもは質素で禁欲的な節約生活を強いて何も買ってあげられてない分、こういうときだけはエイヤっと背伸びして貯金を崩し、ベネッセハウスビーチに泊まる。

蟻アートの柳孝典さんの「ワン・ダラー」と「コンポジション」が部屋に飾ってある。それよりも、ベットがフカフカなのに感激している。


妻は直島ホール、石好き長男はデマリアと安田侃の彫刻、長女はジョージリッキーの三枚正方形と藤本さんパビリオン、次女はカボチャが気に入ったそうだ。豊島はみんなそれぞれ感激していた。アートを我が子を見るのはほんとうに楽しい。「なにが面白かった?」と聞けば、自分の想像していなかった視点が、ストレートに出てくる。あれこれ考えない。直感で反応している。

 

その視点も三者三様で、それぞれの個性と感性があぶり出されたかんじがした。連れてきた甲斐があった。長女は絵描きさんになりたいと言い出した。


ぼくはというと懐かしくもあり、やはり緊張するので落ち着かず、くつろぐことはできなかったけど、初心に戻りつつ、いまになって受けた薫陶の意味がシミジミくるところがたくさんあった。

建築のような大きな責任は、小さな信頼の積み重ねがあって初めて背負えるし、たくさんの人が動いてくれて実現するわけで、だからこそ、どんなにささいだと思える小さな仕事(実は決してささいではないのだけど)もちゃんと手を抜かずやること、礼儀正しくすること、約束を守ること、それらがいかに大事か。

それができた上で、「デザインはついでやで」。センスがあればそれらを少しテキトウにしてもいい、そういう姿勢は一番怒られ、徹底的に叩き直される。

センスはそこそこでも信頼があれば仕事は成り立つが、逆は成り立たない。ふわっとしたデザインの世界でも、いやそういう世界だからこそ、プロとして厳しく自らを律さなきゃ、社会から信頼されないし、仕事が任されない。そういうことだったんだなぁ。

仕事という責任の重みが、リアルにぜんぜん当時わかってなかった。そしてたぶん、まだまだわかってない。ちょっとだけ、わかるようになっただけ。いわんや実行できているか、情けないがまだぜんぜんである。

 

子どもたちがどんな仕事につくかわからないけど、信頼をちゃんと築けるような人間になること、その上で、役に立つことを楽しめて、没頭できるものであること、仕事で会う人たちとフィーリングがあうこと、そんなあたりを大事にしてほしいなぁ。

 

単純に子どもたちがキャッキャ喜んではしゃいでいるのをみるのは至福だし、親も学びが多いいい旅だった。これからまた精進。