左利き

「右手でご飯たべられる?なんで直されたの?」(長女)

ぼくは生まれつき左利きだったようだ。食べるときだけ左利きのまま残り、あとはすべて右手を使うようになっている。

「食べながら、書けるんだよ」

長女が笑う。便利であるが、この機能は使ったことはない。

我が子それそれが利き手とは逆の手でご飯を食べ始める。

「左利きのままだったら、バスケもっとうまくて人生変わってたのになぁ。」

「ないない、そこまで変わってない」と妻。

物心つかないときに母に直されたと思い込んでいる。3歳のときの腕の骨折がきっかけかもしれない。腕の骨折は公演のターザンロープで起こった。ぼくの順番になって、ボール状の腰掛け部分にまたがって、手でロープをつかむ。母が「ぜったいに手を離してはだめよ」と必死で遠くから訴えている。それでぼくには「そこまでいうなら、手を離したら何があるのだろう」と好奇心が芽生え、手を離して落ちた。小さなころの記憶はないが、鬼の形相で駆け寄ってくる母の顔は今でも覚えている。さぞかし育てにくかった子どもだったろうな。

この話を夕食時に我が子たちにしたら笑いながら呆れていた。母との思い出が少しでもこの子たちに残れば骨折も報われるというものだ。

長女は「私もパパの遺伝でバスケは左利き」といっているが、真相はどうなのだろう。