卒業式の日

卒業式の日は、息子を散髪に連れていくことから始まった。空き時間に新しいハイソックスと、ぼく自身のためにベルトと、4月からのためのシャツとズボンを買った。

息子も一緒に車でいくかとおもったら「歩いていく」といって先に出た。新しいハイソックを早速履いていた。最近は崖を降りてショートカットしていたが、ハイソックスが汚れるからと妻から止められてアスファルトの道を駆けていく。ランドセル、安全帽、制服。これらの姿は今日で見納めだ。少しはしっておいかけて、遠くから呼び止めて、100mくらい先の彼の写真を一枚撮る。

妻と学校に向かい、車を駐車場にとめる。式が終わったらすぐに保育園にいくので、スーパーにいって巻きずしを買っておく。

学校につくと沢山の保護者がすでに学校の玄関の前に待機していた。定刻より少し早く玄関の扉が開き、体育館に流れ込んでいく。壁側の隅っこの席を妻と座る。

式の開始時間の少し前にぞろぞろと来賓らしき人が前方の席につく。反対側も教職員の先生方が揃いはじめる。最後に校長先生が来賓とPTA会長を引き連れて入場。校長が席につくと、全員起立していた教職員が一斉に座る。保護者の雑談が止み、静かになる。

司会の主任先生の「卒業生入場。皆様拍手でお迎えください」という声が体育館に響きわたる。ピアノの曲が流れはじめる。

胸にピンクの花飾りをつけた卒業生たちが次々に入ってくる。みんな最上級生にふさわしい立派な体格だ。拍手とピアノ。この2つがぼくの遠い卒業式の記憶を蘇らせる。わかっていたことではあるものの、急に「今日でこの子たちは最後なのだ」という事実が胸にせまってきた。ほんとうに最後なのだ。思いがこみ上げる。

6年3組の番になった。袴姿の担任の先生に連れられ、やがて息子の姿もみえる。彼なりにまっすぐあるいているつもりだろうが、いつものように体幹がぶれ、肩が左右に下がりながらフラフラ歩いている。

全員が席につくと、「卒業証書授与」と司会の声。同じような体育館で、一人ひとりが機械仕掛けのように順番に立ち上がり、移動し、指示や合図もなく名前が呼ばれたら校長の前にいって証書を受け取るという秩序をもったつつがない動き。何十年も受け継がれてきた形式。1週間くらいで指導されここまで揃えられるようになったのだから大したものだ。

担任の先生の児童を呼ぶ声だけが響き渡り、淡々と進んでいく。全員で147名もいるそうだ。実にマンモス校である。

息子は後半なのでまだまだなのだけど、最初の方で、自然と涙がこぼれた。なぜだろう。自分でもよくわからないが、「やりきった」という言葉が脳裏に浮かぶ。彼が産まれて12年。ずっと彼の存在がぼくの中心にあって、移住もして、勤務時間も半分にするきっかけとなった。入学式はもちろん、参観日も運動会もマラソン大会も参加できる行事はすべて出席したし、5年のときは学年委員長までした。これ以上やれないくらい時間を割いた。その全力で過ごした期間が、もうあと数時間で終わる。やはり、ぼくの人生にとって、何物にもかえがたい、かけがえのない時間だったのだ。終わりがあるから、自然と感謝の気持ちがうまれる。寂しい。だけど、それは成長したからでもある。

息子が席をたち、順番のテンポに合わせて舞台にむかう。名前が呼ばれ、聞き取れるくらいの声で「はい」と返事をし、証書をもらってまた席に戻る。とくに感慨はなさそうだ。

卒業式が静かなのは、親のためなのだろう。その静けさのおかげで、これまでの彼と過ごした時間の思い出にひたることができ、成長を噛みしめることができる。

校長先生からは壁にぶつかったときの3つのアドバイスを餞の言葉でもらっていた。「言葉に出せすから夢は叶う。まず言葉にして口から出す」、「楽しく、わくわくしながらやる。いやいややらない」、「自分のためではなく、だれかのためにがんばる」。

もっとも、息子にあとから校長先生の話で印象に残っていることは?と聞くと「ああいうちゃんとした話をするときって、最初は季節の話からはじめるんやなと思った」とのことで上の話は忘れていた。

PTA会長からは「中学校に入ったらほかの人と違うことを恥ずかしいとおもうかもしれないけど、密かにでもいいから、自分の好きなことをとにかく続けて」といっていた。将来、自分の好きなことを仕事にしている人は必ずそれをしているそうだ。

コロナのおかげで月並みで感情のこもっていない教育委員会からの来賓挨拶はカットされていた。書面で配られるらしい。むしろ毎年それでいい。この純粋な会にはああいう形式だけのものは雑音でしかない。

「別れの言葉」なる掛け声と歌の出し物。息子の出番はない。コロナのためだろうか、簡素で短い。ぼくの小学校の頃は1ヶ月は徹底的に練習していたのを思い出す。

式が終わる。拍手とともに、卒業生があっけなく退場していった。

保護者たちは校門の前で待機。40分ほど待って、最後のホームルームを終えた児童たちが出てくる。学年委員の企画した担任の先生と校長・教頭先生へのプレゼントを渡し、全てのプログラムが無事終了。式の看板の前で撮影して、駐車場に向かう。息子は寒くてずっと方が上がっていて、「早く帰ろう」と面倒くさそうだ。

「どういう気分?」と聞くと「中学だ!」と返ってくる。

車で巻き寿司をたべ、そのまま保育園に向かう。保育園時代の同級生が集結し、先生方に挨拶。息子がもう園長先生とほとんど背が変わらないことに驚く。次女は今日はママ友がスイミングに連れて行ってくれる。

男子はやがて裏山に向かい、姿が消える。聞けば裏山をみんなで登って、広場でずっと遊んでいたそうだ。6年たっても、裏山が遊び場であることは変わりないのであった。

「彼らのときに、裏山は開拓したんですよ」とリュウ先生。

息子は2期生で、彼らのときは10人ちょっとで、自由だった。どこに遊びに行くにしてもバス1台でいけるし、その日にどこいくか決めていたような調子。今は3倍になっている。

「幸せな学年だったんだね」とママ友の一人がいった。ほんとうにそうだ。

裏山からぞろぞろと帰ってきた。別れを告げて、家に帰る。

家で着替えて、長女と次女のスイミングに迎えにいく。そのままの足で息子が食べたいといったステーキレストランに行く。

家に帰って卒業証書をみる。長女も次女もしげしげと覗いている。担任の先生が「最後の宿題」といっていた手紙をもらう。「いままで育ててくれてありがとう。中学校でもよろしく」というたった2行の手紙であった。彼らしいが、妻はそっけなさすぎてむしろガッカリしていた。

寝る前、息子にもう一度「今の気分は?」ときくと「卒業したぞ!」と行っていた。良き日であった。いつものことであるが、友だちいっぱいで、トラブルもなく、元気に6年間小学校を満喫した。いうことはない。卒業おめでとう。