いくらもっている

東京から旧友が家族で遊びにきてくれた。家を気持ちがいいとほめてくれて素直にうれしい。そのときの説明ぶりを次女も横で聞いていたのだろう、「パパがこの家、考えたの?」ときく。「このライト?」いやちがう。夕食がおわり、ぼくはキッチンにたって、彼女にリンゴと柿を向いてあげている。

「じゃ、なに考えたの?」

「この天井の高いところとか、この土地に住むこととか。」

「ここに、住むって?」

「そう」

「前はなんだったの?」

「売ってたんだ」

「へえそうなんだ。それで買ったの?」

いくらでとか、どうやって買ったと根掘り葉掘り質問が続く。借金をしたこと、70歳になるまで返さなきゃいけないことなど。今日読んだ本で住宅ローンと建物土地の所有神話がマンネリサラリーマンを生み、今の日本の低迷の根源だという主張がなされていたのが頭によぎる。

「お金、返せばいいじゃん」

「ぜんぜんぜんぶ返せないよ」

「お金、いくらパパもってるの?」

「わからない」

「わからないくらいあるの?」

いやちがう。この少額の貯金を次女が保育園でべらべらしゃべることを恐れている。「教えない」といいかけてやめたのも気づいて「最初、なんていおうとした?」とひつこい。

熊は出るが、ここを終の棲家に決めたのはいまのところいい決断だったとおもう。