ピュアな生命

息子のイチジクが小さな小指の先程の実を初めてならせて、見つけた息子は喜んでいる。とはいえ毎日水をあげてるのはぼくである。

朝顔も花がいよいよ盛りでもうそろそろ種を残し茶色くなっていくのだろう。和室に入る朝日の直射を遮ってくれて、優しく光を分解してくれて心地のよい緑のカーテンであった。

生温い風しか出さなくなったエアコンが修理されて、保証期間で直って安堵。でも急に涼しくなり今年はもう使わなさそうである。

和室からのその視線の先には中庭のメルが歩きまわっている。大したことをしているわけではないが、見飽きないのはなんでだろう。歩いて、羽を広げ、片足で立ちもう一方の足をグイと後ろに伸ばしてストレッチし、水場で水を飲み、水を浴びて、くちばしで毛繕いをする。餌場にいってついばみ、お腹が落ち着くと日陰をみつけて座り込む。やがてまぶたを閉じて寝る。呼べば返事をする。その何種類かの所作のランダムな繰り返しなのであるが、みていて次は何をするのかと楽しみなのである。どんなに精緻につくられたロボットでも、この味は出ないであろう。

おそらく、何にも邪魔されず、邪念もなく、迷いもなくただ目の前のやりたいことをやって純粋に「暮らし」を遂行して、生きている。それが実に羨ましい。朝顔もイチジクもしかり。我が家はそんなピュアな生命

たちに囲まれている。