おしえられないこと

日曜日の晩。たこ焼きをつくる。

暖かくなってきたので、テラスに使いみちを捜していた丸テーブルを運んだ。外で食べてみよう。西の海に真っ赤な夕焼けがちょうど沈んでいく。長女と次女を膝に乗せながら、酒屋で買った安いワインを飲む。十分贅沢な時間。気持ちいいぞというと、妻も少しだけ便乗する。夕日は、見る見るあっという間に沈む。沈んだ後も、空の色は赤から紫までグラデーションになって、娘たちもみとれている。でもそれもつかの間。どんどん遠い視線の先にある街のビルの人工的な光が目立ちはじめる。それが点滅してみえるようで、次女が「チカチカしてるね〜」とつぶやき、長女はビルのひと、スイッチ入れたり切ったりしてるの?と不思議がる。たぶん、交流電源だからなのだろう。家の電気はずーっとついてるようにみえるけど、遠くなったらそうみえるのかもね〜というけど、そんな下手な説明伝わるはずがない。

長男はサッカーにいっている。そろそろ試合形式のゲームをする時間。ゲームをみるのはたのしい。膝から娘たちを降ろしてむかうことにする。

サッカーコートにつくと、しまった今日はずっとゲームをやる日だったと気づく。息子のプレーをいくつか見逃したんじゃないかと惜しい。

4月から新しい一つ上のクラスになり、みんなむちゃくちゃテクニックもキック力もあって、うまい。息子のようにここと学校の昼休みだけのやつと、毎日スクールにかよったり父ちゃんに鍛えられる練習してるであろう子との差は歴然としてきている。

息子は、攻める花形ポジションはもう自分より上手いやつがいることは認識しているそうで、ディフェンダーの位置に陣取っている。攻めてくるやつのボールをとることで、少しは自分を出せるとおもってるのかもしれない。自分の今の身の丈をみきわめながら、楽しめる、価値の出るポジションを考えているようだ。たしかに相手の動きを読んで、いい場所にいることがたまにある。

最後、息子がカットしたボールをそのまま前のフォワードに真っ直ぐパス。フォワードもちゃんとゴールして、ゲームがおわる。練習が終わって、ナイスプレイだなと褒めたら「おれ、点はとれなくても、あの位置がいいわ」と納得しているようす。

こないだ、プノンペンで会った日本人のプロサッカー選手の友廣さんも、センターバックといって、今日お前がやってることと同じポジションなんだよというと、「そうなん!?」とうれしそう。今度、友廣さんのプレー見に行こう。

帰り道はブレーブボードに乗ってスイスイ進んでいる。どうしてこれに乗れるのか、オッサンはいまいちわからない。

「そういえば、今頃気づいたけど、星がきれいだね」ふと、息子が空を見上げながらつぶやく。たしかに今日は雲が少ない。

娘たちの夕日、息子の星空、それを綺麗だと感じることは、親は言葉じゃ教えられない。それを自然に心地よいものとして言葉が口からでるのを聞いて、この丘の上に家を建ててよかったと思う。