なぜ雪かきをするか

週末から降っていた雪のピークが去ったもよう。
積雪は40センチほどになった。
今日は快晴。まぶしい。
今日の我が家はあちこちから光が入って、一年で一番明るいかもしれない。
週末にせっせと中庭につくったカマクラを、増築することにする。
屋根雪を降ろして、一箇所に山にする。上から同じところに繰り返しおとして、富士山型になる。
その富士山を、下からスコップで掘って雪を出す。
その分空洞ができて、カマクラの出来上がり。
では、なかった。事はそんなに簡単ではないと始めてみてきづく。

雪の山は崩れやすい。当たり前か。
掘ったら、その分上に乗っていた分の屋根がおちる。空洞はできない。
なので、手間でも下から壁を固めていくしかない。
空洞になるであろう部分のスペースをつくるために、雪を周辺に掻き出す。

増築部分は、思い切って広く直径2メートルくらいにしてみよう。
周囲に雪を積み上げる。

掻き出しすぎて、せっかく積み上がった壁がガザーっとくずれて振り出しに戻ることもしばしば。
横着してたくさん雪を一回に取ろうとしたら、くずれる。辞書の「急がば回れ」の項にぴったりだ。

掘って積んでを何十回も、同じような作業を繰り返す。
なかなか進まない。そもそも、直径が大きすぎたか。
でもこの中途半端でやめるわけにはいかない。
せっかく天から降ってきたこの不思議な材料、「さあ汝よ、築きなさい」の声がする。

下から材料を積んでいくこの作り方、組積造でしたっけ、これが石なら、ヨーロッパの古い町並みも同じつくりかた。
どこかで、パリの町並みは、そこにあった土をほって、それを壁と屋根にして空洞をつくったプラスマイナスゼロの街、というような話を聞いたことがある。雪を掻き出した分、壁は高くなるのを目の当たりにしてる今、同じことをしている。おフランスと同じな気になってくる。
壁は下の方が厚いほうが安定して、上になるにつれて薄くなるほうが合理的だというのも、積んでは崩してはを繰り返してだんだんわかってくる。
でも、この作り方だと窓は小さくなり、中は暗くなる。
ちなみに、組積造の次に、やがて柱と梁で建物をつくる技術ができたそうな。窓が大きくとれるようになって、教会にはステンドグラスができた。
その技術革新は、当時はそうとうなインパクトだったに違いない。
単純作業がつづくので、あれこれ考えてしまう。

だんだん、寂しくなってきた。だれからつくってくれというわけではない。
1人でいい歳のオッサンが、なんでこんなことしてるんだっけ。
途中で、新聞のオッサンが紙袋を届けてくれた。そこをがんばるなら、玄関までのアプローチ、もっとしろよと思われてそうな。
しかも、昨日はサラサラだった雪も、太陽に照らされて解けて重たくなってきている。水分がまったくないのも困るけど、多すぎるとくっつかないし、なにせ重い。時間がない。今週はもう降らない予報。解けるだけ。やめても誰も困らない。

でも、もう少し、子どもたちにカマクラのワクワク感を楽しんでほしいから、やる。
この地域に住む以上、雪を楽しまなきゃ損だ。
ちなみに、ぼくはカマクラに入った記憶はない。
でも、ずっとカマクラに入ることにずっと憧れいた。
なので実は子どものためは方便で、ぼく自身のためかもしれない。

とあれこれ考えているうちに、まだぼくのヘソくらいの高さしかない壁のところで、雪がなくなった。
ありゃま。まさかの雪不足。空洞というよりも、凹み。山の頂上の噴火口みたいなかんじ。カマクラではなくカルデラ。山のテッペンだけが中庭に顔を出し、その下には大きな山が埋まっている。まさに氷山の一角のように見えなくもない。

 

中途半端で悔しい。でも、ちょっとほっとしてもいる。
天からもうそのくらいにしておきなさい、ということにして、やめられるから。気がつけば無理をしてたのだろう、腰が限界だったようでいやなかんじのピリピリ感。

家の屋根からは次々と雪の塊が落ちて、樋からは水が滴り落ちている。
この時間をかけてせっせと積み上げたものも、いまは存在感を放っているけど、やがて消えてしまう。
残るのは、ズシンとくる疲労感と腰の痛みくらいか。

「なぜ、わざわざ雪かきをするんだ。待ってれば、いつか自然に消えるのに。」という考えもあるそうだ。
時間と労力の無駄、というわけ。一理ある。雪かきをしない新雪のフラットなままの雪面もきれいだし。
理由はいくつかあって、ズボラだとご近所さんに思われないように、とかもあるだろう。雑草を抜くのと同じ考え。

ここ数日、家の中が寒い寒いといっていた妻が、朝の出勤前に車を出すために雪かきをしている。
やがてぼくと交代。やり終わった後食卓に戻る。
座ってる妻から「最初からテメーがやれよ」と怒られるかと恐る恐るだったが、
彼女は「雪かきはいいね、温まる」といった。

なんていいこというのだろう。そういうことなのか。
確かに、真冬だというのに汗をびっしょり。暖房いらずでTシャツで過ごせたり。
そしてあとには何も残らない。エコな遊びだな。

ぼくの家のあるところを伝えたら、二言目には「ああ、雪多いところで大変でしょう」と言われることもしばしば。
雪は「やっかいなもの」という扱いなのかもしれない。
でもせっかくだし、子どもや犬のように、一緒にこの雪と戯れよう。

日に日に少しづつ春は近づいてきている気がする。でも、あと1回くらいドカンと降ってほしい。
せっかくだし屋根まで積んでみたい。