フライパン世界

いろいろここまでかっていうくらい便利な世の中になって、さらなる進化を目指している。

コミュニケーションは簡単に垣根なく人とつながれるようにもなって、サッサとスクロールして匂いも温度もない情報となって知ってる人知らない人の近況を読み飛ばす。刺激がないと指は止まらない。てなわけで、ぐわーっと熱くなり、すぐ冷める。フライパンみたいな世の中になってきてないかな。刺激はどんどん強くならないと感じなくなるからやっかいだ。身体を離れた情報はかんたんに肉体の限度を超えちゃう。

 

いっけん何も変哲もない、刺激の小さなものに価値を感じて面白がる。スクロールしながらも、そんな感性をあらためて養いたい。それができたら日常が落ち着いて、静かで、安らいだものになって、実りのある生をかみしめられるんじゃないか。つまらないをつまらないでおわらせない。どうすれば面白くできるか。

消しゴムより、鉛筆でありたい。あるものをなんかするより無から有を生む方が楽しい。人生そういうふうにできている。だれにとっても限られた人生の時間。視野広く、顔を上げて世界をみて、自分は何が好きで夢中になれるかを探して、毎日一生懸命、生を謳歌するんだ。フライパンではなく、大地に根ざせ。

夜なべ

充実してるが忙しい。夜なべがつづく。2月はずっとこうなりそうだ。今日は立春をすぎたからか、朝は雪が少し積もっていたのに午後は晴れて久しぶりに暖かかった。春が近づいているのだな。庭や屋根の雪がほとんどとけた。長女が自分の名前の由来を親から聞き取る宿題をしている。小学校の宿題の中で一番の企画だ。

犬と鴨

長女がこっそりヒソヒソ声でママと二人でデパートのペットコーナーにいったことを話してくれる。次女に聞かれたら「ずるい」といわれるからだろう。ミニチュアダックスフンドがすごく可愛かったそうだ。

「でも29万円もしたんだよ。高い!」

そこからメルの思い出ばなしになる。メルがカエルを食べたときのエピソードや公園に一緒に連れていってペタペタ寄り道しながら帰ってきた思い出話に花が咲く。カエルは2匹まで食べて、3匹目は吐き出した。歩く仕草を思い出してニコニコ顔になる。

「かわいかったぁ」

まだまだメルは彼女の中で生きている。

「犬と鴨って、一緒に仲良くできるのかな」とぼく。

黒い大きな犬に追いかけられてみんな危機一髪だったことがある。

「むずかしいね。」

赤ちゃんの頃から一緒だったらどうなのだろう。

でも、中庭をみるとメルを思い出してまだ悲しくもなる。今日仕事帰りに川でたくさんの野鴨をみてしばらく愛くるしい仕草に見とれた。やっぱり鴨は複数でいるのが自然なのだな。

保育園の鴨は園児の川遊びでついてきて、川に入って首をつっこんで魚を食べていたそうだ。川からちゃんと戻ってくるらしい。グワッグワの声が恋しい。

「パパのママ、優しかった?会いたい。犬のマリリンにも、会いたい。パパパパにも会いたい。好きなもの買ってくれるから。」

節分

家に帰ったら、次女が保育園で作った自分で描いた鬼のお面と棍棒があった。鬼のお面は耳にかけられるようにゴムまで丁寧についているが、残念ながらぼくの顔には小さすぎてはち切れてしまうので手で持ちながら鬼の役をやる。小さな袋に入ったマメが子どもたち、妻からたくさん飛んでくる。そのまま退散しても面白くないのでそれぞれを捕まえてこちょがして「いい子にします」という言葉を引き出して去ることにした。息子も楽しそうにちゃんと参加した。そのあと、ぼくの外したお面で彼が鬼になって娘たちと対峙していた。節分をしたのは初めてである。夕食も巻きずしであった。

保育園にも鬼が2人、来たそうだ。長女のときは4人だったそうだ。コロナの影響かな。

あと少し

育児優先期間もあと2ヶ月。物事には終わりがある。もう少し次女が、長女のようにまだ膝の上にくる9歳になるまでこの生活ができたらと未練があるが、仕方あるまい。みな、元気に大きくなった。

振り返りながら、少しずつ総括してみたい。

ロボット登場

ぼくがバスケに行ってる間に。娘たちは段ボールで手と頭を出す「ロボット」をハサミでせっせとつくっていたらしい。

ぼくが風呂に入っている間に寝床から二人でてきえ、披露してくれた。次女、長女の順でニコニコしながら身にまとう。胸のところが顔になっている。元は無印良品の箱で「取扱注意」と貼り紙がそのままだ。話し方もロボットになっている。作ることを楽しむことができるのはとてもいいこと。褒めた。満足そうにまた寝床にいった。

ダイニングテーブルの上に置き手紙をしてくれていた。その旨をかいて、ロボットになったイラストとともに「おつかれ、おやすみ、大好きだよ」の3点セットも書いてあってうれしい。