リクエスト

昨日は次女が「もっとプチトマト食べたい」といったけど品切れになったので、今日妻に頼んで帰りに買ってきてもらう。普段はみない新聞のチラシをたまたまみたら、スーパーで今日に限って半額というのをみつけたから。

一昨日は息子の「もっと濃い味のりんご食べたい」というリクエストに応えて青森県産を箱買い。地元の安いりんごはお口に合わなかったようだ。口にいれた瞬間、「うまっ」と声が出る。よかったよかった。どれだけ切ってもぺろりと消えていく。

昨日長女は保育園でたくあんをつくるために、畑から抜いて塩もみして着けるのを体験したそうで、「つけもの食べたい」というからキュウリを麹漬けにしておいて今夜食べた。

それぞれのリクエストに健気に応えていくのも喜ぶ顔がみたいから。

素直

次女と長女とお風呂あがりにババ抜き。2日連続。

次女ももう一人でペアをつくって捨てられるようになった。しかも場にペアを捨てるとき、「すでに捨ててある上に出せ」と注意してくるあたり、やっぱり几帳面だ。

ぼくが長女からジョーカーを引いた。

持ち札の4枚、ジョーカーだけをピンと出して置いて次女の前に出す。

次女はすぐその1枚出ているやつに手を伸ばすが、つかむ直前に指を止める。

少し考えてから、出ていない隣のやつを引いていった。少し前ならそのままとっていたのにな。警戒心とかが出てきたんだな。

次の順番。同じようにしていたら、次はピンと出たやつを抜いていった。

しまったという顔をして、「ジョーカー来たぞ」と小さな声でつぶやいて長女の前に出す。

最後は次女とぼくが残る。1枚の差で次女が勝って「やったー」と喜こぶ。

インフルはようやく彼女の身体の外にいったようだ。

愛着

長女が公文で水色のプラスチックでできた教材ケースを手に入れてきた。ポイントでもらいたらしい。傷ひとつないピカピカである。うれしそうだ。

一方息子のは同じものとは思えないくらいくらい古びて年季が入っている。黒ずんで、踏まれてベコベコになり所々破れていて養生テープで補修されている。教材が外に飛び出さないか不安になるくらい隙間だらけ。6年使い続けているだけある。使い始めはまだ東京時代だ。

「新しいのに変えたら?」と妻。

「いやや、これでいい」と頑なにこれにこだわる。慣れているし使いやすいそうだ。

「きたねぇなぁ」と茶々を入れても満足そうだ。

道端に落ちていて拾われたら迷わず捨てられてしまうであろう、プラスチックなので皮のような深みはないが、まぁ自分オリジナルといっていい年の取り方はしてて、もう公文といえばこれ、という相棒のような愛着があるのだろう。毎日教材はここから出し入れされ、優に延べ5000枚を超える。たしかにわからなくもないし、ものに愛着をもって大事にすることはいいことだ。

長女のはどうなっていくかな。

ついにきた

次女インフルA罹患。あつい。寝てるけど時々うなされている。かわいそうだ。タミフルのせいか朦朧としてて話しかけてもはっきりしない。長女が心配して「お茶のみな!」と走ってキッチンからお茶の水筒をもってきてくれる。飲ませようとするが、首を振ってのまない。

「飲んだら楽になるよ」の長女の声が力のこもっていて、必死さがひしひしと伝わってくる。心配なんだな。

やがて「上に行きたい。こわい」と上にいく。いつもと違う次女の様子をみて、パパも大きな声で呼びかけたりした緊張感から心配になったようだ。上にいる妻に抱きしめられて泣いていた。

ぼくは次女のふくらはぎをさすってやる。母がぼくが熱を出した時にしてくれていたこと。ふしぎとこれをやると、次女も落ち着くから不思議だ。

今日は寝床は次女とぼくで、あとは和室に寝る。倒れるのはぼくでいい。早く治れ。

将棋の日

今年も将棋の大盤解説。息子の付き添い。これで三年目。

観客200名、ほぼおっさん。子ども二人しかいない。


息子は決して強くない。熱中してるわけでもない。でもこの5時間の長丁場を「行きたい」という。盤面が動かなくて退屈なときもある。しかも今年は立ち見で壁際で立ったり座ったりしんどい態勢が続いた。根をあげるかと思ったけど結局最後まで満喫。途中で妻にお願いしたキャンプ用の小さな折りたたみ椅子やら飲み物を差し入れてもらって救われた。

 

駒の読みに興味あるかといえばそうでもない。そもそもむずかしくてわかるわけがない。

何を楽しんでるのだろう。横で観察していると、どうも棋士の普段の様子の雑談や、色紙があたる次の一手の抽選会や、羽織で真剣勝負してる様子とか、まぁなんか盤面の周りにある雰囲気のようだ。たとえば棋士同士でフットサルをやっているという話。「おれもいいなぁやりたい」と呟く。棋士にならんでもフットサルがしたらいいやん、という話なのかどうか。

 

学校でもきっと教科書の内容より、授業の雰囲気や雑談が好きなのだろう。そういうやつ、もう一人知ってる。

ツゲの樹で作った盛り上げ駒が欲しくて、天童市に行きたいそうだ。モノに興味があるやつも、もう一人知っている。

そう、それはワタシ。


8時間の対局の直後、すぐに両棋士現れて会場はその日一番の盛り上がり。

8時間の戦いの後、気持ち切り替える間も無く観客の前に来て話すってすごいことだな。そんなのスポーツでもないけど、スポーツの観戦と決定的に違うのは、観客がどちらを応援するかで分かれていないことだ。個人の中にはあるのかもしれない。でもそれは表には出なくて、観客は両者から出される一手一手を共に味わう、そんな一体感がある。スポーツのような緊張感と、舞台のような華やかさの両方がある。


そのあたりが魅力なのかなと思った三年目。羽生さんが小学生の時にカープの野球帽で、あのファッションが定番なったのもなんかしっくり。半分だけスポーツの表れ。

今年も抽選は外れた。いつか色紙、当たるといいね。明日は子ども大会。

ついに

妻が長女に制服、学生帽の一式を買ってあげていた。家でランドセルと合わせて撮った写真をみたら、すっかりもうそこには初々しい1年生がいた。生まれたての小さい頃を思い出す。感慨深い。もう少し、園児の長女を見ていたいから、まだ春は先でいい。

子だくさん

今日は長女と次女をお風呂に入れるのが21時を過ぎていた。

歯を磨いていたら、もう長女のまぶたはおちてきている。彼女の体内時計は正確だ。妻にヘルプをお願いして先に長女をあがらせる。

次女はぼくが何もいわずに先に上がってからも、ブツブツとコップに水を入れながら何か浴槽で遊び続けている。コップに入れる水は冷たいのがいいとこだわっている。

ガチャっと浴室のドアが開く音がしたので脱衣所に身体を拭きにいく。「先に上がって一人にしないで」とグズられるかとおもいきや、ご機嫌であった。

「何して遊んでたの?」

「家族ごっこ

楽しかったらしい。

「なんの役なの?」

「おかあさん」

「子どもはいるの?」

「うん」

「何人?」

「えっとね、女の子が10人」

男の子は9人で、合わせて19人の子どもがいるらしい。

ダイニングで聞いていた息子が「そんなに?すげー」と素直なリアクション。

祖父のぼくとしてもお年玉は大変だし、いま19人産んだ次女は何歳なのだろう。

「結婚した人は、優しい?」

「優しいよ。いま子どもたちとプールで遊んでいる」

次女にも優しいらしい。幸せそうな家庭を築いていて何よりだ。