義兄といとこのお兄ちゃんと夜はクワガタ探し。
この親子、毎年クワガタやらカブトをブリーディングしていて、何でも知ってる虫マスター。ぼくはそのあたり、からっきしわからないから使いものにならない。
近くの3箇所くらいく。クヌギの樹をみつけては、懐中電灯をあてる。みつからず。
「匂いがしないもんなぁ、樹液の」
へぇ〜クワガタ探しは鼻でやるものなのか。
昼間にクヌギの樹を見つけておいて、そこを夜行く、というのが王道らしい。蜜を塗っておくのはあまり効果がないらしい。蛾やコガネムシがいたら、樹液が出てるサインらしい。あとゴキも。不思議なことに樹にいるのはそこまで嫌悪感わかず。話を聞くだけで収穫なくても、楽しい。虫嫌いの妻もついてくる。途中20センチくらいのドデカイかえるがいたり。
「惜しいなぁ。めっちゃここ、いそうやん」
クヌギの樹から樹液が出ているところ。樹の肌がめくれている谷のようなところに虫が集まっている。「ここ、いつもやったらクワガタがおるのに、なんで今日はそこにゴキがおんねん」といとこの兄ちゃん。「今日はいないけど、また別の日にくればいるでしょ。」希望が見えた。樹の位置を覚える。
義兄は父ちゃん力と呼べそうな力をもっていて、息子の好奇心に寄り添って、増幅させられることができる。多分、ぼくと息子だけだといろいろ見逃して「収穫なし」だけでトボトボ帰ることになってただろう。憧れる。
今日は諦めて、公園を一周して帰ろうとする道中、街頭に集まる虫をみて。義兄「虫取り!」という。まるでドラマで見た手術中の主治医から「メス!」のような言い方で、ぼくは横の看護師のようにできるだけサッと渡す。できることはそのくらい。
網にかかる。茶色のコガネムシ。虫カゴにいれる。「珍しいやつや」と教えてもらえたら、なんかとてもありがたみがでてくる。
「この鳴き声、ウマオイやな」といとこの兄ちゃん、すすきの葉っぱに光をあてて、「おった」と同系色の中からすばやくみつける。足がながくて細いバッタみたい。鳴き声がおこったら、羽根がワサワサってなる。こんな細い線で、あの音がでるなんて。すごい楽器やなぁ。きれい。
「虫の鳴き声って、口から出てるんじゃなくて、羽根がこすれてるんですね」義兄親子からしたら、何をいまさら的な、おいおいそこからかよ、なんだろうけど。「そうだけど、セミは、お腹だね。」
その後も、たくさんみつけて、カマキリの赤ちゃんは夜は複眼が凝縮するので目が黒いこと、キリギリスじゃなくてクダマキモドキのメスは卵管がニョキッとがっているからすぐに見分けがつくことなどを捕まえては教えてもらう。
樹にとまっているセミの幼虫が殻から出て、成虫になってるのを見つける。蝉の形だけど、白くてつややかで透明。美しい。まだ羽根は丸まってる。
帰り道、また蝉を見に行く。羽根がまっすぐになって、よりセミの成虫になっている。
「父ちゃんも初めて見たよ」
興奮が、息子にも伝わったようだ。
「今日、クワガタはおらんかったけど、来てよかったね」。
蝉は7年間土の中にいて、成虫になるのは最後に子孫を残すだけにやること。彼らのメインの人生は、土の中なんだそうだ。成虫の時期は老後。こんな華やかな老後を迎えたいもんだ。
おじいちゃん家に帰る。虫カゴに入った虫を、最後にもう一回みて、庭に逃がしてやる。息子ももう捕まえておきたい、とはいわない。虫カゴよりも、外のほうが虫たちも楽しいというのはわかってるみたい。カマキリはトマトの葉っぱにのせる。蝉は掴んで投げると飛んで行った。
朝からたくさんの蝉の鳴き声が家の中で聞こえてくる。人生最後の謳歌。この声の一部に、昨日の蝉の声があるかとおもうと、急に愛しくなる。