長女の参観日

長女は寝る時間によって、はなれと蔵の寝床のどちらかで寝る。はなれはぼく。蔵は妻と一緒。蔵で寝たときも、朝はなれにきて、ぼくの布団に潜りながら起こしてくれる。

今日は参観日で、「学校探検の発表」がテーマだった。長女のチームは図書室について発表していた。絵を書いて、言葉で発表する。本がたくさんあったこと、色がいろいろだったことなど。同じフレーズを前の女の子も言っていた。

絵は壁一面に並ぶ本を色とりどりに書いていて、すぐに本棚だと分かる上手なものだった。

感想のコーナーで、手がいっぱいあがって、長女の絵がうまかったと何人かの男の子が褒めてくれていた。

それにしても、一年生はよく手があがる。大声で。前向き、ひたむき、積極的のエネルギー。そういうのが、子どもたちには自然に備わっているものだというのが分かる。

いつから、日本は人前で手をあげることが恥ずかしくなり、質問や感想も言いにくくなるのだろう。もちろんぼくもそうだったけど、田舎だからだろうか、あの自粛するようになる空気は本当に、よくない。発表する側にとっては、どんな反応でも嬉しいことなんだ。臆せず手をあげること、それは我が子たちはぜひやり続けてほしい。質問するとなると、ボーッとしてられないし、内容もしっかり集中して聴くものだ。相乗効果なのだ。

ということを考えながら、フレッシュな一年生から英気をたくさんもらった。若い世代から元気をもらう。歳をとったことを実感した。

歓喜

最近息子の中で一番うれしかったことは、去年飼っていたカブトムシが、産卵していたことがわかったことだろう。1年間放置しておいたカブトムシの土から、幼虫がゴロゴロ発見されて大はしゃぎ。早速新しい虫かごを用意し、ぼくに腐葉土を飼ってこさせ、ふかふかの布団のような土に移し替えてあげた。長女と次女も一緒になって覗き込む。

毎日のように、シゲシゲと観察している。虫かごの縁でサナギになってくれたら観察できるからと、虫かごの周りは白い厚紙で覆っている。そうしないと隅っこは明るくって寄り付かないらしい。

こういうときの息子は実に生き生きしている。生き物、好きなんだな。

ことば

次女を自転車のサドルに乗せて、ぼくの身体につかまりながら登園。

次々質問が飛んでくる。

「ねえ、なんで0歳の赤ちゃんは、しゃべれないの?」

「言葉ってのは気持ちを伝えるためにあって、赤ちゃんも、言葉を出しているよ。どんなだ?」

「『うぇーん』とか」

「そう。そうしたら、お腹空いたのかな、おむつ変えてほしいのかなってわかる。」

言葉には英語やインドネシア語もあって、ぼくたちは日本語だけど、わからない言葉もある。赤ちゃんも一緒。犬も一緒。

そういう話をしていたら、近くの犬が「ワン」と吠えた。ミラクルである。

「なんていってるのかな。」

 

「ねえ、なんで犬とかうさぎの耳って、こう付いてるの?」

前に耳がついてるのが気になったようだ。

「前に耳がついていたら、どこからの音が聞こえやすいかな。」

「前。」

「そう。人間は?」

「左と右についてる。」

「犬とかうさぎは、前の音が聞こえたらうれしいんじゃないかな。」

「サルは、左と右だね。」

 

「あ、この道お散歩できたことがある。このお花、一番好き。」

街路に植えてある黄色い花が沢山さいている。

「あ、枯れてるよ。みて。」

 

「つかまるの、疲れてきたよ。」

階段をつかわないで、ずっと道路を自転車を引きながらいくコースは20分くらいかかる。ぼくも身体がつくなってきた。もうすぐ保育園につく。すれ違う自動車の中の友達のママに手を振っている。だれだれちゃんのママだったよ、と教えてくれるけど、ぼくは見ていない。

 

保育園につくと、今日から新しい水筒、黄色のプーさんの水筒を先生に見せて自慢していた。かつての東京の同僚が、こないだ遊びに来てくれて、長女と次女と仲良くなってくれた。古巣からたくさんプレゼントを送ってくれたうちの一つ。ありがたい。

ほしいもの

父の日。次女から「パパ、何ほしい?」といわれるけど、すぐに浮かばない。しばらく考えて「あ、眼鏡だね」というと「誕生日にいいな」とさばかれる。

今日はギュッとできたらそれでいいよと長女と次女にいっておくと、昼寝をしていたら布団にきてギュッとできた。

息子とはもうギュッとはないなぁ。彼は時間とノルマにおわれて最近いろいろ追い詰められているようなので、妻と息子と話をして、自由にしろということになった。図書館で借りた本を昨日から読み続けて、この2日で5冊読んだようだ。最近は「ぼくら」シリーズにハマっている。

夕食は妻と長女と次女でピーマンの肉詰めを作ってくれた。次女がリクエストのなめこ汁はみんなガブガブので一気にたいらげられた。

 

次女。夕食のとき、食卓から窓の向こうに三日月をみつける。

「ねえみて、すごい薄い三日月。月って、熱い?冷たい?」

「月って、自分で燃えてないよ」

「じゃ、冷たい?」

「太陽あたってるところは、あたたかいのかな」

「熱いと思うってことね」

言っておいてなんだけど、なんか、冷たそうだよな。

結婚と子どもと兄妹

次女。「ねえなんで、兄妹で結婚できないの。お兄ちゃんのこと、大好きなのに。」

その前に「パパとママは、同じ年齢なのに、どうして違うパパとママなの?」という質問だった。「結婚するのは、違う親の子どもなんだ。兄妹では、結婚できないんだよ」と返したらこうなった。

「兄妹の好きと、結婚する好きは違うんだ」

なんでなんでなにそれ?というかんじである。うまく説明ができない。

「男と男、女と女って結婚できないの?」

「できる国もあるよ。日本はできないけど。」

これまたなんでなんでになる。

「子どもは男と女じゃないとできないんだ。」

「へぇ〜」っと大きな声で長女驚く。

兄妹が「好き」なことはとってもいいこと。でも親が違う人を好きになる、家族になりたいなと思うことはまた別の「好き」で、大事にしてくれる人と結婚してねと結局いつも言っていることをいった。

似てる

学童の先生が長女をみて、昨年度までいた息子を面影をみることがあるそうだ。口を尖らせるところが似てるらしい。あまり息子と長女を似てると思ったことはないけど、第三者目線だと「やっぱり、兄妹だなと思うわ」とのこと。そうなんだね。